報道のジレンマ 6

「財務相と関わりが?」

 紫子さんの強い眼光が向けられた。憎しみのこもった鋭い視線に貫かれ、俺は動けなくなる。

 しばらくすると、眉間の皺が溶けていった。そして艶やかな唇から息がもれる。

「ボヤッとした顔を見ていると、気が抜けるわ」

 失礼なことを言われた気がする。

「ところでボヤオ、二階堂武史のことで、相当悩んだでしょ」

「え? まあ、そりゃあ」

 話が急に戻ったので、俺は戸惑った。

「髪を切った時にはなかったのに、ハゲがある」

「えっ」

 俺は紫子さんの指先を辿って、後頭部を押さえた。

「これは五百円玉より大きいね」

「うわ、またか」

 隠すように髪を手櫛で整えて、俺はため息をついた。

「ウィンウィンな記事ばかりできるといいんですけどね」

「世の中、おめでたいニュースばかりじゃないんだから、そんなの不可能よ」

「そうですけど」

 気になって、五百円ハゲを指先で触ってみる。見事にツルツルだ。

「ボヤオは目の前に死にそうな少女がいるとして、助ける? カメラを構える?」

「ああ、報道か人命か、ですね」

 ジャーナリストとしては、どんな凄惨な状況が予想できても手を加えず、その瞬間を記録して、世間に発信するのが使命だろう。

 一方、目の前の命を救うのが、道徳的な判断だ。

 ――有名な話がある。

 うずくまった小さな少女と、その背後から少女狙っているハゲワシ。

 そのシーンを収めた『ハゲワシと少女』というタイトルの写真は、一九九四年にピューリッツァー賞を受賞した。この賞は、新聞報道などに与えられる、アメリカで最も権威ある賞だ。

 しかし、『ハゲワシと少女』を撮ったケビン・カーターは、「写真を撮る前に、なぜ少女を助けなかったのか」と非難され、ピューリッツァー賞の授賞式から約一か月後に自殺した。ちなみに、撮影後にカーターはハゲワシを追い払ったとされている。

「俺は助けるでしょうね」

「ジャーナリストの風上に置けないわね。なに即答してるのよ。戦場カメラマンを目指してるんでしょ。目の前の命を救ってばかりいたら、シャッターを切る暇もないわよ」

 それじゃカメラマンじゃなくて、人命救助だ。

「少女は助けるし、末期がんの俳優の情報も隠蔽する。あなた、なんのために報道してるの? みんなを笑顔にさせたいっていうなら、職業が違うでしょ。お笑い芸人になれば?」

「……」

 返す言葉がなかった。俺は唇をかみしめて、俯いた。

 やれやれと紫子さんは肩をすくめた。

「私がその場に居合わせたら、絶対に、撮る」

 紫子さんは左目を閉じて、両方の親指と人差し指で四角く作ったフレームを覗き込むようにした。

「私たちは食べないと生きていけないでしょ。なにかの命をいただいて生きてるの。それと一緒だと思う」

 紫子さんは、指で作ったフレーム越しに、俺を見た。

「犠牲が大きい程、伝わるものも大きいのかもしれないね」

 その言葉に、ドキリとした。

 なにかを伝えたい。

 その気持ちに偽りはない。でも俺は、その「なにか」をまだ掴めないでいる。

 誰も傷つけることなく、心に響くなにかを写真で伝えることは、不可能なのだろうか。

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