メンタルが弱いS級アイドルを励まし続けた結果。

和希

第1話

 まもなく日付が変わろうとする真夜中。


「万央くん……お願い、もう消して……これ以上は見ないで……っ」


 リビングのソファーに横たわっている深月みづきさんが、とろけるような甘い声で訴える。

 ソファーに乱れ広がっている、艶やかなセミロングの髪。美しい顔は紅葉のように赤く染まり、目はとろーんとして、惚けたような表情を浮かべている。


「やだよ。ずっと見たくて、この時間まで待っていたんだもの。深月さんのこと、もっとよく見せて」

「うぅ……万央くんの意地悪……」

「そう言う深月さんだって、本当は僕にずっと見てほしかったんでしょう?」

「そ、それはそうかもだけど……。でも、やっぱり、いざとなったら恥ずかしいよぉ……」

「どうして? ちっとも恥ずかしがることなんてないのに」

「だって私、そんなに綺麗じゃないし……」

「僕からしたら、深月さんほど綺麗で美人なお姉さんは世界中のどこを探してもいないよ。もっと自分に自信を持って」

「やんっ……あまりじろじろ見ないで……っ」


 深月さんは耳まで真っ赤に染め上げ、今にも泣き出しそうになって、ついに顔を両手でおおってしまう。

 一方、僕は食い入るような目で、熱心にテレビの画面をのぞいていた。ちょうど夜の情報番組が流れている時間だった。


『さて、ここからはエンタメ情報です。現在人気急上昇中の五人組ガールズグループ『A―DRESSアドレス』のメンバー、三船深月さんが、自身がCMに出演しているお酒のPRに登場しました』


 新たな話題を紹介する女性アナウンサーが、にこやかな声で番組を進行する。


「あっ! ようやく始まったよ、深月さん!」


 僕の声にうながされ、深月さんが指の隙間からおずおずと、テレビ画面をのぞき見る。


「うぅ……恥ずかしい……っ」


 深月さんがもじもじと身体をわずかにくねらせる。


 黒いタイトなドレスが描き出す、女性らしい優美な曲線。スポットライトの下で輝く、聡明な瞳。透き通るような白い肌。目尻はやや下がり気味で、優しい深月さんの人となりをそのまま表しているかのようだ。


『三船さんは先日二十歳になられたばかりとのことですが、お酒は飲まれますか?』

『はい、もちろんです。これからお酒のことをもっと覚えて、さらに魅力的な大人の女性になれたらと思います』


 インタビュアーに対し、キリッとした顔で丁寧に受け答えする深月さん。その相貌は、まるで神様に精巧に作られた人形みたいに美しい。

 まるで『清楚』を絵に描いたような上品なたたずまいを決して崩さない、燦然と輝くS級アイドル、三船深月。


 そんな彼女が、今やダボッとした大きめのTシャツ姿でぐでんぐでんに酔っぱらって、ソファーに細い身体を無防備に投げ出し、真っ赤な顔でうめいている。


「万央くぅん……。私、ちゃんと綺麗に映ってりゅ?」

「うん、すごいよ。どこかの国の貴族のお姫様みたい」

「ほんと? えへへ、よかったぁー」


 深月さんがホッと胸をなで下ろす。無邪気にこぼす笑みは、僕が知っている少女時代の深月さんのそれと少しも変わらない。


『――続いてのニュースです』


 話題が切り替わったところで、僕はようやくテレビの電源を消した。

 さっきから深月さんが『消して』とお願いしていたのは、実はテレビのことだったのだ。


「ま、万央くん……どうだったかな……?」


 深月さんが心配そうに僕の表情をうかがいながら、感想を求めてくる。


「すごくよかったよ。大人っぽいし、色っぽくて、びっくりしちゃった」

「……お姉ちゃんのこと、ちょっとは見直してくれた?」

「見直すもなにも、僕はずっと深月さんのこと、尊敬してるよ。それに、深月さんがどうしてもこれを僕に見せたかった理由が分かったよ」

「う、うん。いつもはグループで紹介されることが多いけど……今回は珍しく個人で取り上げてもらえたから……万央くんにどうしても見てほしくて……っ」


 深月さんが気恥ずかしそうに微笑をこぼす。

 画面の中のクールな深月さんも美人で素敵だけど、家でリラックスしている時の飾らない深月さんも、年上なのに同世代の女の子みたいに親しみやすくて可愛らしい。


「それにしても、深月さん、普段お酒なんて飲まないじゃない。どうして『いつも飲んでいます』みたいな嘘をついたの?」

「そう言えば……スポンサーさんに喜んでもらえるかなぁー……って思ったから……」

「なるほど。深月さんらしいね」


 深月さんはいつだってそうだ。

 他人の顔色をいつも密かにうかがって、相手が不快にならないような最適解を見つけ出して、常に模範解答を口にする。

 真面目な優等生タイプゆえに、相手に気をつかいすぎる。それが三船深月というお姉さんなのだ。


「それで、スポンサーが気分を良くしてお酒をたくさん送ってくれたんだ。でも、だからって何もこんなになるまで飲まなくたって」

「ひっく……だって、いつ感想を聞かれるか分からないもん……」

「それで心配になって、一つずつ味を確かめながら飲んでいたら、こんなになるまで酔っちゃった、と」

「むぅー。お姉ちゃんは、ちっとも酔っていませんよぉーだ」

「そう? じゃあ、自分の足で立てる?」

「立てるよぉー。ちゃーんと見ててね」


 深月さんが赤らんだ得意げな顔でソファーからゆっくりと身を起こす。しかし、案の定ふらふらし始め、すぐに上体が倒れそうに傾いた。


「きゃっ!?」

「危ない!」


 僕は慌てて深月さんへと腕を伸ばし、倒れないように抱きかかえた。

 深月さんが驚いたように目を丸くする。

 けれども、深月さんは僕から少しも離れようとせず、むしろもじもじと遠慮がちに僕の背中に腕を回すと、そのまま「ぎゅっ!」と僕を抱きしめてきた。

 不意に襲われた深月さんの柔らかい感触に、今度は僕の顔がカッと熱くなる。

 深月さんはそんな僕の心情などおかまいなく、さらに身体を密着させると、肩の辺りに顔を寄せてきた。


「み、深月さん?」

「……ごめんね、万央くん。もう少しだけ……このままでいさせてもらっても……いいかな?」


 言いながら、すがりつくように腕に力をこめ、深く顔をうずめる深月さん。


「べ、別にいいけど。深月さん、本当に大丈夫?」

「……私、アイドルなんて向いてないもん……。飲まなきゃやってられないもん……」


 今にも泣き出してしまいそうな、か弱く儚い声。


「深月さん……?」


 可憐で、線が細くて、すぐにでも折れてしまいそうな深月さん。一方で、出るところはしっかりボリュームがあって大きくて、僕はどぎまぎしてしまう。



――きっと僕には分からない苦労がたくさんあるんだろうな。



『アイドル』とはいったいどういう生き物なのか、今の僕にはまだ分からない。

 けれども、深月さんが僕を求めてくれるのなら、少しでも力になってあげたいとは思う。


「……すぅすぅ……」


 やがて深月さんは僕にしがみついたまま、小さな寝息を立てはじめた。僕は慎重に立ち上がり、深月さんを部屋のベッドへと連れて行く。


「やれやれ」


 自分の部屋に戻り、日付をすっかり越えてしまった時計を見やって、ひと息つく。


 大学に通いながらアイドル活動を続けている二十歳の美人の従姉いとこ、三船深月さんと。

 高校に通いはじめたばかりの平凡な十五歳、前島万央まお


 普通ではありえないようなアイドルのお姉さんとの同居生活に、僕はいまだに慣れずにいる。


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