第2話
翌日、学は昼休憩になると何時ものように図書室へ行き、本を読もうとした。いや、気持ちの三分の二ほどは、彼女の姿を見に行こうと、思っていたかもしれない。
図書室に行くと彼女は既に本棚の前で立っていて、何やら本を探していた。学は彼女の姿を確認すると、本を探す振りをしながら彼女の姿を観察した。彼女が本を手に取って席に座ると、ようやく学も意識を本に向けて、さして興味のない本を一冊手に取った。
彼女が座っている場所が良く見えるように位置取りを確認して、席に座る。昨日見た白鳥座よりも綺麗だな、なんてことを思いながら、学はこの一時を何時ものように楽しみ始めた。
学が席に座ってから十分ほどが経つと、唐突に彼女が立ち上がった。持ってきた本をもう読み終わったのだろうかと、学は注意深く彼女の行動を見ていると、どうやら彼女の手には本はなく、しかしある目的を持って歩き始めたようだ。
何処へ行くのか。目で追っていく学だったが、次第に左右の目が中心に集まって来て、気付けば彼女は自分の目の前に立っていた。
「放課後、話がしたいの。体育館裏に来てね」
彼女はそう言い残して、座っていた席へと静かに戻って行った。
突然の出来事に、学は当惑していた。憧れだった彼女が側にやって来たことだけでも胸がはちきれそうであったのに、更には声までかけられた。高めで、まだ幼げな可愛らしい声だった。思えば、彼女の声をはっきりと聞いたのは、初めてのことだったかもしれない。学は彼女の声を脳内で何度も反芻させて、ひとしきり楽しんだ後、ようやく彼女が放った言葉の意味について考え始めた。
話がしたい、とそう言われた。
何時も見ていたことがばれてしまっていて、それに対して怒っているのかもしれない、とも思ったが、それならばわざわざ人気のない放課後を選択して、上乗せするように体育館裏を指定する必要もないだろう。今ここで咎めれば、公開処刑となり、より一層自分を苦しめることが出来るのだから。
となれば、彼女の真意はなんだ。学は、彼女を見つめながらそんなことを思い続けた。時間、場所、彼女が提示したそれらは、あからさまに告白に最適なものだった。だがしかし、そんなはずはない。でも、そんなはずはないことを、否定出来る材料も揃っている。幸せになれる可能性があるのなら、無意識にそちらが現実になるのだと思い込んでしまう。
いや、駄目だ。そうならなかった場合のことを考えると、初めから期待などしない方が良い。暗い海の底に沈められてから這い上がって来るのは、かなりの労力が必要となってくるのだ。
放課後までドギマギとしながら過ごした学だったが、結果として、そんなはずはなかった。何度も深呼吸を繰り返しながら体育館の裏に行くと、そこには憧れの彼女と、自分よりも十センチは身長の高い男子がいた。その男子は制服に身を包んではいるものの、この学校のものとは違っていた。それに、見るからに中学生の学とは体格が違っている。
学が誰何の言葉を発しようと唇を動かした瞬間、強い衝撃が学の顔面を襲った。尻もちをついて、じわじわと顔中に広がる痛みに涙を流しながら、学は自分が殴られたことに気がついた。
なんで。不思議に思ったのも、数秒だけだった。彼女が嬉しそうに男子に感謝を述べている。その言葉の中に『お兄ちゃん』という単語が混じっていた。妹に呼ばれて学校に来て、そこに殴る相手がいるのだとしたらそれは、妹に害を為す存在でしかない。やはり、何時も見ていたことはばれていたようだった。
その後、学は何度か殴られた。顔を殴り過ぎると大人にばれてしまうとかで、ほとんどが身体をメインに痛めつけられた。痛みを堪えながら学は、真っ当な正義を心より受け入れていた。
兄妹は満足して、地面に転がる学を放ったまま去って行った。自然のベッドを堪能している学は痛みのせいで身体が動かず、一時間ほどしてようやく動き出すことが出来た。
家に着いた頃には、陽も沈み始めていた。学は玄関で「ただいま」と一言だけ告げて、すぐさま二階にある自分の部屋へと向かった。幸い顔は腫れていないようなので親に問い詰められることもないだろうが、身体は当然まだ痛む。夕食の時間まで身体を休めていたい、と学はそう思って、部屋着に着替えて人工のベッドの上に寝転がった。
学の部屋に、大きな物音が響いた。眠っていた学はその音に反応して、飛び起きた。何の音だろうと部屋の扉をおそるおそる開けると、音が階下から発生していることが分かった。衝撃音、破裂音、破壊音、そして怒声。
学は慌てて扉を閉めて天体望遠鏡の側に行き、息を荒げながら覗き込んだ。夜空には、様々な星が光り輝いている。
学は、懸命に星々を探し眺めた。耳に届く不安で不快な音を遮断するために、別世界にのめり込むことに必死になった。宇宙に溶け込み、星に縋った。
それでも。音は消えなかった。
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