ステラ

資山 将花

第一章

第1話

 中学二年生は、多感な時期である。親や友達を含めた周囲の環境に敏感となり、自分と他の違いを認識し始める。自分の中にある思考が、必ずしも他者と一致するわけではないのだと、理解出来るようになるのだ。

 

 内面的な違いは心を通わせていくことで浮き出てくるものであろうが、もう一つ、この時期に強く出てくる違いがある。身体的特徴。男子は縦横に広がりより筋肉質に。女子は特有の膨らみを持って、柔らかで繊細な身体に。

 

 異性の違いは、子供たちのこれまでの概念を破壊して、新たな意識を芽生えさせていく。性意識である。男子は女子へ。女子は男子へ。これまで性別など関係なく、物理的にも精神的にも近い距離感にいた者たちが、その芽生えた意識によって側へ歩み寄ることもままならなくなる。会話をするだけで心が弾み、触れるだけで胸が張り裂けそうになるぐらいに鼓動が早くなる。

 

 そんな正常な反応を恥ずかしい、と思ってしまうのも、心情の変化ゆえと言えるだろう。

 

 そして現在。中学二年生である加藤学も、例外ではなかった。普段、他人とあまり会話をしない学も、クラスの女子と関わった日は、夜中に悶々とし眠れないなんてこともしばしばある。


 汗がじっとりと服に沁み込み、肌に不快感を覚える季節、学は一人の女子に恋をしていた。長い黒髪がよく似合う、おとなしい雰囲気を纏った女子である。違うクラスではあったが、昼休憩の時間などに図書室で会うことがあった。


 学もその女の子も当然の如く、本を読むためや借りるために図書室に来ているので、会話をすることもない。それどころか、きっと彼女は自分の存在を認識すらしていないはずだと、学は思っていた。図書室で出会って、勝手に一目惚れしているだけのことだ。この恋が実るわけもないと、悲観的になりながら学は図書室で彼女の姿を見かける度、本から目を背けて、綴られた言葉よりも美しい存在を見続けていた。

 

 図書室では彼女に没頭していた学は、家に帰るととある趣味に没頭する。それが、天体観測だ。

 

 学の十歳の誕生日。父親が、天体望遠鏡をくれた。レンズ部分の淵だけが黒い真っ白な筒と、真っ白な三脚。当時の学は天体に興味があったわけではないので、父親から貰ったそのプレゼントに納得がいかず癇癪を起した。本当なら新作のゲームソフトなんかが欲しかったが、親としてはゲームよりも別のものに興味を持ってもらいたかったようだ。

 

 両親の説得の末、学はしぶしぶ望遠鏡を望み込み、遥か遠くで光輝く星々を見た。学の頭の中に、感想は一切生まれなかった。何も感じなかったというわけではなく、その次元を超えていたのである。理解が及ばず圧倒され、ただ煌めく星を、口を開けて見続ける。学の脳は、その行動を指示する以外の働きを失っていた。

 

 それ以来学はすっかり天体観測にはまって、毎年時期によって移り変わっていく夜空を楽しんだ。しかし時折、悲痛の涙を流しながら望遠鏡を覗き込むこともあって――まさに今が、学にとって逃走の意味を持った天体観測が行われいた。

 

 父親から望遠鏡を受け取ってから四年。両親の仲は、著しく悪くなっていた。初めは軽く論争をする程度だったものが、今ではお互い会話をすることもなく、食事や睡眠も別々の部屋で行っている。離婚しないのは、金や子供のためであろう。ちなみに学は、母親の生活に寄り添うように言われている。

 

 極力生活圏を混じらわせぬように生きている二人ではあるが、形式上夫婦として社会の中で生きていくために、ちょっとしたやり取りをしなければならない場面がある。書類に名前を書く、などというのが良い例だ。


 仲が冷めきっていない夫婦であれば、何の問題もなくお互い書類の必要な箇所に記入をして、それで終わりだ。だがしかし、冷えて凍り切ったものに触れると、凍傷になってしまうことがある。皮膚に痛みがあるのならまだ薬で治る可能性もあるが、心の凍傷に薬はない。互いに触れて傷つき合って、それで終わりなのだ。

 

 学には、両親が声を大にして言い合う時間があまりに苦痛だった。部屋にこもって耳を塞いでも空気の振動が両手を貫いてくる。さっさと寝てしまおうと思ってベッドに潜り込んでも、怒声が響く度に身体が震えて眠れない。どうにかこの場から逃げたくて、学は天体の世界へと逃げ込んだのだ。広大な宇宙を遊泳していると時間はいつの間にか過ぎていて、戻ってきた頃には家の中も静かになっている。中学二年生になった学にとって天体望遠鏡は、趣味に使うだけではなく生きていく上でも必須な物となっていた。

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