(二十一)

 美麗の『自分の欠片』が見つかって三日経った。アリシス様は、俺の『自分の欠片』は水色でぷよぷよしていると言っていた。その情報から推測するに、『自分の欠片』は恐らく『海』にある。

 しかし、だ。

 美麗は自分自身で『自分の欠片』が何であるかを考え、そして見つけ出した。張り合うわけじゃない。……いや、この言い訳が出て来ている時点でもう張り合っているのだろう。『海』の世界から『自分の欠片』を見つけ出すことは俺のプライドが許さない気がした。俺も、俺自身を見つめ直して自分の手で『自分の欠片』を見つけたい。『自分の欠片』を取り込む時の美麗の表情。今までで一番輝いていた。あの表情はきっと、自ら考え抜いた末に『自分の欠片』を手にした者にしか出来ない。

 アリシス様から『自分の欠片』について最大の情報を得た今、『海』の世界にとどまる必要はない。美麗も陽菜も、俺の『自分の欠片』が『海』にあると思ってこの世界に残ってくれている。その中で、焦りを感じないはずがなかった。




✳︎




「俺、コンのところ行ってくる」


 そう言って一人出掛けて行ったのは私が『自分の欠片』を見つけて一週間経った時だ。

悠稀君が『自分の欠片』のことで焦っているのは重々承知だ。陽菜ちゃんも悠稀君の焦りや苛立ちを察してか、最近は大人しく部屋の隅で本を読んでいることが多い。私も窓の外の濁った空(海)を眺めながら、気まずい静寂を忘れようとしていた。

 悠稀君の意図はわからない。しかし、男の子同士(片一方は雄だが)の方が何かヒントになる会話が生まれるのかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、振り返らず手をひらひらさせて部屋を出る悠稀君を見送った。




✳︎




 ギイ。


 重厚な古城の門扉は、以前と同じく調律の為されていないバイオリンのような音を立てて開く。そういえば俺、音楽でバイオリンやるんだっけ。いや、ヴィオラだったか。


「誰?」


 コンの、声変わり前の高い声が響く。


「俺。悠稀だ。少し話したいことがあるんだけど上がっていいか?」

「勿論だよ!螺旋階段、酔わないように気をつけてね」


 そう言って、コンは螺旋階段の頂上から俺を見下ろす。ここからでも分かる程弾けるような笑みを浮かべている。俺は照れ隠しの苦笑を漏らし、一気に螺旋階段を昇る。


「もう。そんなに走ったら疲れちゃうし酔っちゃうでしょ。話聞いてたの?」


 頬を膨らませたコンが、腰に手を当て怒る。しかし、俺が来た喜びを隠せないのか、口角が上がっている。


「ごめん。少しでも早く会いたくてさ」

「そんなご機嫌取りしてもダメなんだからね?はい、アメ」

「ご機嫌取りが効いたのか?」

「そうじゃないよ!酔った時はアメって、アリシス様がずっと前に言ってたんだ」


 アリシス様がビール片手に顔を紅潮させて言っている姿が目に浮かぶ。

 そこでふと、以前バリケードが張られていた所に楽器が置いてあることに気がつく。


「なあ、コン。後ろにある楽器って」

「はー君も音楽好きなの?僕、音楽が大好きで、『海』の人たちからいらないものをもらってそれで楽器を作ってるんだ。たまに街に出て演奏会もするよ」

「マジかよ。それ全部手作りなのか?」

「うん。まあ昔の楽器の形を見て真似して作っただけだから、多分出来栄えとか音の感じは微妙に違うと思うけど」

「パーティーの時の衣装といい楽器といい、コンの器用さには脱帽するぜ。天才職人になれるんじゃないか?」

「だ、か、ら。褒めても何も出てこないから!……はい、アメ」


 単純である。


「何か演奏してみてくれないか?」

「どの楽器にする?はー君が知っているような曲は弾けないけどね。ほとんどオリジナル曲だから」


 桁違いのセンスに声も出ない。しかしいちいち突っ込んでいるとキリがなさそうなのであえて無視する。


「じゃあこのバイオリンみたいなやつ弾いてみてくれないか?この城の扉、いっつも下手くそなバイオリンみたいな音がするんだ」

「へえ。この楽器、バイオリンって言うんだね。うん、素敵な名前」


 そう言いながら、コンはバイオリンのボディを撫でる。その姿はまるで人間が飼い猫を撫でる姿とそっくりだった。


「じゃあ、弾くね」


 瞬間、空気が変わる。一音目は開放弦で伸びやかに始まる。ゆったりとした曲かと思えば段々とピッチが上がっていき、複雑で繊細な旋律が城中に響き渡る。バイオリンよりも音が少しサラサラしている気がする。目の前で雪が舞っているような、そんな景色を彷彿とさせる曲だ。

 目を閉じ、コンの作った音楽を味わいながら考える。


 中学二年生の時、転校を経験した。十三年間住み慣れた土地を離れ、全く知らない環境、知らないクラスメイトと共に過ごすことになる。教室の中は濁っているように見えた。女子の雑談、男子の騒ぎ声、ロッカーを開閉する音、定期的に弾ける爆笑。それら全てが教室という水槽の中で泥として汚く混ざっているように感じた。

 魚は綺麗な水では泳げないという。俺もその魚の一匹だった。この濁った環境下で生きていくしかない。無意識にそう感じ取り、話し方や仕草、服装など全てを模倣した。それが、この水槽の中で生きる術だと思ったから。

 しかしそんなのは迷信だった。皆に合わせて泥の一部となり溶け込んでいくうちに、いつしか本当の俺を見失っていた。こんな生活はうんざりだと思い、周りの反対を押し切って地元の中学の奴らが一人もいない高校を選んだ。

 入学式を終え、教室に入った俺は絶望した。同じだ。水槽は濁っていた。嗚呼、また俺は何も知らない魚にならなければならないのか。これ以上自分を失いたくないのに。……いや、そもそも俺って何なんだ?俺が生まれた意味は何だ?こんなことをするために生まれてきたのか?それなら__。

 そこからはヤケになって過ごした。学校もサボり、一人真っ昼間に商店街を意味もなくふらつく。悪事に手を染めるほど強い反抗心もなく、ただただ意味もなく街をふらついていた。もう、何もかも投げ捨てようか。最後は線路に飛び込んでやろうか。そう思って学校へ向かうふりをしたのが「あの日」だった。


 コンの音楽は佳境を迎えている。いつの間にか雪景色は去り、目の前には「あの日」見た『雲』の世界が広がっている。コンのバイオリンから零れ落ちる一音一音が、『雲』の世界に溢れる色一色一色とマッチしている。

 コンが弓を思い切り振り上げ、うやうやしい挨拶を終えた後、俺は割れんばかりの拍手をコンに送った。


 いつの間にか俺の頬には、一筋の跡が残っていた。

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