罪な男
名波 路加
罪な男
「いいか、ここからが肝心だ」
聞き飽きた言葉だった。彼の口癖。「ここからが肝心だ」と言われて、その先の展開を聞いてみて感心した試しがない。
「俺が作ったこの精巧な偽札を、大量に刷る。そしてそいつをそのまま悪用するのかと君は思うのだろうが⋯⋯」
思わないよ、お馬鹿さん。
「なんとこの俺は、そいつをさらに刷り続ける。国内に流通する本物の紙幣と同じくらいの量にまでな」
「そんなに印刷してどうするの?」
「すり替えるんだよ。本物の紙幣とオレの偽札を。この偽札は完成度が高過ぎて、恐らくは政府もすり替えられた事実にすら気付かないだろう」
私は手渡された何枚かの偽札を眺めていた。目を凝らすまでもなく偽札だと分かる。ツッコミどころは満載なのだけど、何よりも紙幣に刷られた偉人の肖像画は、まさかのフリーハンド模写で描いていた。彼がこれを夜な夜な一心不乱に描いていたかと思うと笑える。
「更に抜かりのないこの俺は、万が一こいつが偽札だと政府が気付いた場合の事も考えてある」
そっちが本題じゃないの?
「結論から言う。バレたところで、俺達がする事は何もない。何故ならば、その規模でお金が偽札にすり替わってしまうと、偽札が本物のお金に成り代わるんだ。経済を維持するためには、偽札を無効には出来ないのさ。政府は馬鹿な国民を騙しながら、背徳感に苛まれて偽札を運用し続けるしかない。そしてその影で笑う男と女がいる」
このタイミングで彼にウインクされた。馬鹿を通り越して、逆に神の領域に達しているのかも知れない。それにしても、この国の国民は哀れだ。こんな神がかり的な馬鹿に馬鹿と言われるなんて。
「そっか。凄いね、ダーリン。そのお金で、今度は何を買ってくれるの?」
「おいおい、ハニー。全てのお金が俺のものになるんだぜ。何でも買ってやるよ。君がこの前美味しいって言ってたシュークリーム屋さんを買収して、シュークリームを独占する事さえ出来るんだぜ」
買収の目的が幼稚過ぎて、危うく飲んでいたアップルジュースを吹きそうになった。そもそもあのシュークリーム屋さんは小さな個人経営のお店なのだけど、彼はその辺りをどう考えてるんだろう。
「そろそろ行こうか、ハニー。今すぐにでもこの計画を実行したいところだが、俺は偽札作りを頑張り過ぎて睡眠不足なのさ。今日のところは帰るとしよう」
世紀の大犯罪を妄想してご機嫌の彼は、ウキウキでクーポン片手にレジへと向かった。これが国家経済を支配しようと企む男の背中である。笑える。
大きな口を開けてイビキをかく男に布団を被せた後、私はノートパソコンを開いてカタカタとキーボードを叩いた。
ダーリンは本当に馬鹿。アホ。間抜け。これからの時代、紙幣の信用は落ちていくばかり。一般に流通し始めた電子マネーや仮想通貨。こういった実体のないお金が将来の経済を回していくのよ。
何処にも痕跡を残さず、検知もされず、どんなに使っても永遠に減らない違法な電子マネーを生成した私は、欠伸をしながらノートパソコンをそっと閉じた。
お馬鹿なダーリンが、今日も良い夢を見れますように。
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