寂しさ 2023/12/19

 古池や

     蛙飛び込む

           水の音



 日本人ならみんな知っているであろう、松尾芭蕉の詠んだ俳句である。

 恐らく今回の「寂しさ」というお題に相応しい文章であろう。

 短い文で情景を浮かび上がらせて、寂しさという感情を抱かせる。

 ここまで無駄がなく完璧な文もそうそう無い。

 

 そしてこの俳句は、もう一つの寂しさを浮かび上がらせる。


  そう自分の知識とボキャブラリーの寂しさである!

 上の文章、なんか薄っぺらいって思っただろ。

 その通りだよ。


 この俳句のことを述べようとしても、あまり言葉が出てこないんだ。

 別にこのの俳句の完璧さに打ちのめされたわけじゃない。

 単純に知識とボキャブラリーが無い!


 背景を語ろうしとしても、意味以外の事なんて知らない。

 松尾芭蕉のことなんてもっての外。

 ていうか、俳句を詠むだけでどうやって生活していたのか、全く見当もつかない


 褒めようにも、褒め方も褒め言葉も知らぬときた。

 一応物書きなのに恥ずかしい限りだ。


 これは人間としての引き出しの寂しさを明るみに出す、恐ろしい俳句だ。

 これを読んでいる人も、多分そういう人が多いと思う。

 なので巻き添えにした。

 スマンが一緒に、自らの引き出しの寂しさに震えてくれ。


 八つ当たりばかりも何なので、ネットで調べた時にプログで見つけた、興味深い解釈を紹介したいと思う。

 最後に、忘備録も兼ねてここに引用する。

 

(下の文の下品というのは、当時は蛙は鳴かせるもので、「蛙を鳴かせずに飛び込ませるなんて、なんと下品な」ということらしいです)


“つまりこの句は「生命の無い白黒の世界」からはじまり、さいごは「みずみずしい生命あふれるフルカラーの世界」へと大展開を遂げているのです。

 いま説明したように「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句は「侘び」「雅」「下品」「寂び」が融合している。当時のひとからすると、一句のなかでさまざまなドラマがおきている。これが松尾芭蕉のすごさです。”


    「考え続ける力」著者:石川善樹

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