ラジコン勇者の更生

木戸陣之助

第一章 流天

第1話 操り人形の最期

 死ねば全部リセットされる。

 誰かの言葉だったが、俺にはこれが救いに思えた。やらかした過去も、嫌な過去も全部なかったことにしてくれるんだ。これ以上にうれしいことはない。

 打ち落とされた雨が次々と水面を貫いてはじける。

 それを穏やかに眺めながら深い海の底へと落ちるのが、さながら深海魚のようで。いっそ、ここが本当の居場所だったんじゃないかと思うほどに、抱えていた痛みがじわじわと抜けていくのが心地良くて仕方がなかった。


 気持ち悪い。


 生きていれば後悔の一つや二つはある。思い出したくもない後悔もあれば、忘れてはいけない後悔もある。喜びも悲しみも怒りも、この世の全ての感情というのは、本当に愛憎損得あいそうそんとく入り乱れたものばかり。

 そうやって思い出に色々な心情を織り交ぜ、価値を加えた数十年という濃厚な歳月。これこそが人のいう人生なのだと知った今、全てが遅すぎたことを理解した。

 誰かの迷惑にはなってはいけない。その一心で自分を殺して生きてきた最底辺の俺は、憎しみばかりかき集めたコールタールも同然だった。


『高い金を払ってるんだから、トップの成績を取れ』

『中卒で就職? 僕の顔に泥を塗る気か?』

『もっと周りにあわせてよ』

『なんで人の事を考えないの』


 親の命令、周囲の要求、世間の常識。

 期待に応えることが当たり前とされ、成功は必然、失敗には嘲笑と罵倒、暴力が待っている。

 頑張ったつもりなんだけどな、情けないことに力が足りなかったのだろう。器用でもなかった俺に待っていたのは、人を見下す冷たい視線と暴力ばかりだった。

 結局、そんな俺が迎えた最期は、父親と呼んでいた人間を自ら殺す。気まぐれで人の自死を止めようとしたら、勘違いで自分が崖から落っこちる。そんなバカみたいなオチだ。


 ああ。数々の思い出が、はるか遠くの水面から見下ろしてくる。

 なにがしたかったんだろうな。

 死にたかったのか、生きたかったのか。

 生きるために頑張って来たつもりだったのに、自分で全部台無しにしてしまった。そのうえ俺は悪くないと叫ぶ自分がいる。


 まあ、いいや。

 これでもう全部終わる。このまま沈み切れば俺は消えて無くなるだろう。いや、その前に地獄にでも連れて行かれるのかもしれない。まっさらになるには、綺麗に罪を洗い流してしまうには、そうなるのが自然の摂理か。


 じゃあ、上ばかり見ていても仕方がないか。そう思ったので、これからの居場所になるであろう水底を覗いてやった。なるほど、真っ黒で統一されて何も見えやしない。

 でも、これでいい。俺はもう疲れた。何かに期待して裏目に出る自分も、それにイライラする自分にもウンザリだ。


 もう、何も考えたくない。眠らせてくれ。

 そう祈って目をつむった。意識だけを残して、気が遠くなるほどの時間を祈り続けた。


 ところが、


「え?」


 急に体が締め付けられた。

 あまりの激痛に思わず目を見開くと、深淵から伸びた“何か”が、巨大な腕を伸ばして俺を掴んでいた。よほどの力が込められてるのか、剥き出しの筋肉からは血管が網目のように浮き上がっている。

 もう光は遠くなったのに、この腕だけはくっきり見える。明らかにおかしい。


「……は、はふがなにがほうあっえどうなって、えぁ?」


 締める力が強まった。全身から骨の軋む音がした。激痛で気が狂いそうな俺をあざ笑うように、謎の腕はさらに深い闇へと降下する。

 ……このまま引き摺り込むつもりか?

 途端に怖くなった俺は、体をよじらせてなんとか逃げようとした。しかし、身動きどころか指一本動かせやしない。どうしようもない。

 何度も早く終われと願いながら、痛みと気持ち悪さを延々と絶え続けた。


 そして、


「目覚めたか、殿

「は?」


 待ち受けていたのは、鬱蒼うっそうとした暗い森の中、俺を見下ろす青年の姿だった。

 ロクに考えも纏まらないまま、俺は体を起こす。ここがどこで、何が起きているかなんて当然知らない。


「どちらさまですか」

「俺は勇者だ」


 ひとつ言えるのは、どうやら俺は許されなかったらしい。

 生きて罪と向き合え。それを示すような第二の人生の幕開けだった。

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