第60話 家族 その2
城を出た頃には朝日だったが、いつしか昼下がりも終わり、空が少しだけオレンジに染まりはじめていた。
「見せたいものがある」
物見塔だろうか。野原の上に何本かの鉄塔が建てられている。その一つを指さすと、王様は馬車から外に降りて、ゆっくりと据え付けの螺旋階段を登っていった。
俺もそれに続いて頂上に辿り着くと、そこには壮大な景色が広がっていた。
ヴェーミールを挟むように、目に見えるほど密度の濃い気流と、空高く回遊する水流が上空でぶつかり合っている。非同盟国家の象徴である自然障壁だ。どす黒い積乱雲が出来てもおかしくないのに、なぜか空は透きとおっていて、ひとつの虹が二つの国を繋ぐ架け橋となっていた。
絶妙なバランスで生まれた清涼な土壌は、生い茂る大森林に潤いを与え、艶やかでひんやりとした空気が体に染み渡る。
世界の神秘を詰め込んだような場所だった。
「ここまで発展したのも、先人の労力あってこそ。並の人間では立ち入れない過酷な土地だからな、元々はぬかるんだ土だけだったという」
「……どれほどの努力で」
「五百年、だそうだ。今日に至るまで何世代もの先人がこの自然と街を作り上げた」
夕日が王の瞳の中で輝いていた。いくつもの星が
「世界は、素晴らしいと思わないか」
「……綺麗だとは思います」
「不可抗力とはいえ、いくつかの国を渡り歩いた。その経験が否定するか?」
「筒抜けですね」
「私はお前の父親だからな」
言葉にしてない分も、きっと全部手のひらの上。情けない話だが場数が違いすぎた。
それでも足元を見るような真似はしてこない。配慮に徹することでうやむやに出来なくさせるつもりなんだろう。俺なんていつでも殺せるのにな、容赦がないよ本当に。
「……お母様から、お父様とは本音で話し合うように言われました。しかし、私はこの本音を打ち明けることが怖いです」
「理由を聞かせてくれないか」
「言ってしまえば、貴方の嫌いな人間になるかもしれない。私はそうなりたくはない」
王様は目を見開いた。それでも、止めることはしなかった。
……これ以上、この人たちを見られない。知られているのと、自分から言うのはやっぱり違う。
終わらせるしかないよな、こんな偽物の時間はさ。
「私は、世界が憎いです。見たくないものを嫌というほど見てきたし、何かの輪に入ることなんて到底出来なかった」
王様は一体どう思うだろう。そう、ステラにそんな過去はない。俺は部屋で彼女の手記を見つけてしまった。だからある程度は理解してる。彼女は生まれてから死ぬまで、きっと幸せだった。それに俺は泥を塗ったんだ。
「でも、わかってるんです。そうやって穿った目で何かを見ても強くなれるわけじゃない。周りとは壁ができて、それで……」
情に絆されて、こうして口を割っていたたまれなさから逃げようとする。そうさ、俺はどうしようもないクズだ。
「私も結局は汚い存在だった。こうして皆様にお見せする姿も、私なりの清廉さを示したものです。実は私、多くの魔物を殺してきたんです。時には人語を話せる魔族という奴もいた、そいつらも殺しました。そいつらにも生き方はあったのでしょう、でもそいつらを全部自分の都合で殺してきた。俺の手はもう、血で汚れてるんですよ。こんなに綺麗なのにね」
するすると、ドロドロした何かが口から漏れ出て空に紛れた。どれだけ潔白に生きたつもりでも、やってしまったことは永遠に残り続ける。そんな一つの苦い教訓さえも、誰かからの共感で中和しようとしている。
これを化け物と言わず、何と言おうか。
「幻滅したでしょう、覚悟はしてるつもりです。しかし、私は生きている限り私を全うしたい。それが私に出来る贖罪と考えております。はは、笑っちゃいますよね。お前が決めれる問題なのかって話ですけど」
これが俺に言える最大限の本音。もう顔を見ることも満足にできない、捨てられて当然だこんなヤツ。実の娘の皮を被った悪魔を野放しになんてするわけがない。
目をつむるしか出来なかった。
「迫害の民。我々は、そう呼ばれていた」
「何です、それは」
「世が我等に与えた“業”だよ」
淡々と告げる姿が、業と呼ばれたものがどれほど悪意と呪いに満ちているかを知らしめているようだった。そうだ、理不尽な出来事というものは、語れば語るほど淡白になる。
全部話そうとすると、思い出したくないものまで思い出す。なにより、それが当たり前だったから不幸とすら思えない。
「生まれた時から差別の対象だった。子供の頃の私はそれに納得がいかなくてな、理由を探った。すると、どうやら数百年ほど前に世界を脅かすほどの大災害を引き起こしたらしい、そう古い文献に書いてあった」
「……それが理由だとでも?」
「どうだろうな。きっとこの世界の人間は、そんなことはもう忘れているだろう。迫害の理由に災害がどうという話は聞いたことがなかったからな。そこに標的がいた、それだけだ」
一緒でありたいと、共感したいと思った日を恨む。俺は決してそちら側には行けない。俺は……
「私達が何を思い、何をしたところでこの世界にとっては些細なものでしかない。私達にとって幸せな今日は誰かにとっての不運かもしれない、逆も然りだ。そして、」
「そして?」
頬に何かが触れた。ついにその時が来たのだと思った。急にせりあがる何かがとてつもない怪物か何かに化けて、取り繕っていた平常心をまるっと飲み込んだ。
久しぶりだな、これはアレだ。死ぬと悟る時に起きる奴だ。息も荒くなって、喉とあっという間に枯れて、頭が真っ白になってただ逃げたくなってしまう奴。
首元までやってくる、もう逃げられない。震えて待つしかない。だめだ、怖い……
それでつい、目を開けてしまった。やってしまった。
そして、すぐにそんな自分を後悔した。
「そんなものに一喜一憂して、目の前にあるものを見失ってはいけない。私はそう思ったのだ」
王は笑っていた。顔を見ればわかる、殺すつもりなんて微塵もありゃしない。これは子を大事に思う親の顔だ。怖がらなくていいと、安心していいと落ち着かせてくれるやさしさだ。
『お前は今まで何を見てきた』
今の今まで忘れていたさ、どんなに短くてもその瞬間はあった。それを消したのはお前だ。
目をつむれ、道化を演じ切れ。この人達が余生を終えるまでステラであり続けること。それ以上望んではいけない。
わかっていたはずだ、やさしさなんて流行りみたいなもんだって。熱い内は良くても、それが冷めたらびっくりするくらい冷たくなって、いずれ見向きもされなくなるんだって。
思い出せ、俺の父親は俺が殺しただろうが。
「笑うわけがないさ。やっと本音が聞けた」
「……なんで、いまさら」
もう嫌なんだ、誰かに捨てられるのは。
嫌われたくない、嫌われたくない。
「私はこの国を守るためならどんな犠牲をも厭わない。最愛の家族を守るためなら悪にもなって見せよう。それこそが、私の生きる道だ」
向けられたのは剣ではなく、親から子への愛情だった。
生きてから死ぬまで、生き返ってから今まで、ずっと飢えていたものだ。俺がどれだけ頑張っても手に入らなかったもの。
『……どうして、僕だけ』
考えたって答えは出てこない。結局俺は運が悪かっただけなのだと思う。やり切れない思いはある、当然恨みは消えない。この先ずっと痛みに焼かれ続ける運命かも知れない。
けれど、恨むことはあっても、そこを誰かのせいにしてはいけない。
それなら、
「みんながやさしい世界を望みます。俺みたいな奴が生まれてしまったとしても、穏やかに生きられるような、そんな世界を」
たとえそんな資格はなかったとしても、俺はそんなふうに……
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