ラジコン勇者

木戸陣之助

第一章 流天

第1話 操り人形の最期

 雨の降る日は天気が悪い。そんな当たり前にすら馴染めなかった十七年の集大成――喉から手が出る程欲しかった自由は、どこまでも味がしなかった。


「痛いなあ」


 ゴミだらけの居間には、父親だった初老が傷だらけの床板を血で汚して倒れている。暴力をしつけであり親としての義務だと息巻いて、ついさっきまで元気に殴る蹴るをしていたが、今では壊れたロボットみたく動かない。

 顔に飛び散った血を手で拭う。わらわれている気がした、『お前は普通になんてなれやしない』と。言い得て妙だ、確かに道行く人で顔面血まみれだなんて見たことがない。


 子供の頃を思い出す。両親に守られるようにスクールゾーンを歩く同学年の子供たち。後ろ姿が羨ましかった、彼らと同じようにランドセルを背負っていた時代が俺にもあった。

 毎日ひとり穴の空いた靴で帰り道を歩く俺と、幸せそうなあの子達で一体何が違うんだろう。

 それがわからなかった俺は、あの子たちみたいに振る舞えば、いつか父親も変わってくれると信じていた。部屋に寝転がってたビール瓶から伝わる頭蓋骨の感触より、ずっと柔な俺たちの関係性を認めたくなかったのである。


 アレが普通だと知った時は、欠陥品の焼印を押し付けられた気さえした。微笑ましいはずの憧憬は、父親の向けた包丁より何倍も心をえぐった。生まれながらに与えられる幸福の数が決まっているって知ったのはつい最近、それまで馬鹿みたいに夢を追い続けていた。


 後悔はない。と言えば嘘になる。

 さっさと見切りを付けていれば、ずっと誰かをひがむこともなかったと思うと、やるせなくもなる。

 認めたくなかった。誰かにとっての当たり前は、俺にとってショーケースで仕切られた贅沢でしかなかったのだと。


『やられたらやり返す。それでは争いは無くなりません。私達にとって大事なのは"許す"ことなんです』


 罰だと言いたげに記憶の底から沸いて出たのは、小学生の頃苛められていた俺を叱った教師が口にした"お説教"。苛めっ子曰く、仲間をけしかけての罵詈雑言やリンチは仲良しのための裏返しだったという。それなのにどうして、と怒られたのである。

 やり返してしまった、空気が読めなかった、痛いのでやめて欲しかった、敵だと思ったという童心は免罪符にもならない。正しさの象徴だと信じていた大人を真似た俺は、正しさを説く大人によって間違いだと切り捨てられたのである。


 結局、教師の説教に反して苛めは無くなった。

 その代わりずっと腫れ物扱いだったが、実害に比べればどうという事はなかった。

 ごめんよ先生。最後まで貴方の講釈には共感できなかった。でも、ちゃんと知っているよ。その子の親が市議会議員だからって贔屓ひいきしてたこと。


「飯でも食うか」


 腹の虫が鳴ったので冷蔵庫の扉を開ける。空だった、もう既に全部喰われていた。いつものことだ、俺は地を這うネズミのように余りものを頂戴するしかない。

 次は目につく収納棚を全て探した。その次は床下を探した。誰かを欺く為か、へそくりみたく人の見えない場所に非常食を隠していたことを俺は知っていた。


 そんな思い込み。


「ない、な」


 終わりはもう行くところまで届いていたのだと知った。この家にはもう何にもなかった。

 沢山の色が混ざれば黒になるって学校の先生が言ってたけど、感情だと真っ白になるなんて誰も教えてくれなかった。義務教育なんて何一つ役にたたないじゃないか、先生。


「あーあ、もうどうでもいいや」


 全部終わりにしよう。せめて腹いっぱいで死のうと思ったけど、それも贅沢なら仕方がない。俺みたいな奴はさっさと地獄に落ちろということだろう。

 俺はその啓示に従い、ぼろ切れ同然の着の身着で外へと繰り出した。雨が降っていようがどうでも良かった。風呂に入れず体にへばりついた汚れを洗い流してくれる、それだけで十分だった。


「……死ぬときは、綺麗でなきゃな」


 歩く道は途方も無く、先へ進むほどに冷えた体から熱を奪い、大事にしていた何かを奪っていった。そんなもの持っていても仕方がない、人生なんて割り切りの連続だ。

 全部捨てよう、自分の中にあるものは全部。そう自分に言い聞かせる内に見慣れた景色も綺麗さっぱり。


「あれ、今何時だっけ」


 ズボンのポケットに入っていた携帯を取り出す。くだらない人生が植え付けた悪癖に嫌気が差しながらも、ホーム画面を開く。そして思わず噴き出した。


「こんなもんか、俺の人生は」


 昼の三時半、家を出てからたったの一時間で俺の過ごした街並みは綺麗さっぱり無くなっていた。

 誰かのご機嫌を取り、誰かの目を気にし、器用さもないので常に虐げられてきた人生。あまりに俺に相応しいこの瞬間は、あまりに色褪せていた。ざあざあと打ち付ける雨に打たれ、よれた服は吸い切れずにびしょ濡れ。吹っ切れた俺は歩道の上を軽快にスキップ。どうでもよくなるほど小刻みな歩幅は広くなり、比例してピッチも上がった。


「アハハハハハハッハハハハハ!!」


 全部じれったくなって走り出して、喉が焼ける痛みを訴えようがひたすら走った。どこに向かってるのかなんて知らない。やっと手に入れた自由がそうしたいと産声を上げた以上、やるしかなかった。そうすれば自分の汚れが洗われる気がしたから。

 無我夢中に走った。口から血の味がしたが、暴れ回る衝動を止めるにはまるで足りない。慣れた我慢にねじ伏せられて、体中が悲鳴を挙げても止まることを知らなかった。


 そして、俺の人生は一つの完成を迎える。


「……何だ、アレ」


 おぼろげに映るそれに惹かれた俺は、立ち入り禁止と看板が貼られたフェンスをよじ登り、人影の元へと走った。覚束おぼつかない足取りで、霧の向こうへと進もうとしている。


「何でこんな時に」


 一瞬でわかった、同類だと。

 そんな後ろ姿に無性にイラついた俺は、ボロボロの体に鞭打って全力で走っていた。何のためにこんなことを、自分でも意味がわからなかった。


「あああああああああああああああああああああああッ!!」


 走る。まだ遠い、しかし止まれない。

 走る。もう少し、手を伸ばす。

 走る。指先が空を切る、人影はまやかし。

 霧が晴れる、ようやく見えた。


 ここは崖だ。


「ああ」


 干からびた体は、空を飛んでいた。

 海はどこまでも蒼く、美しかった。

 澄んだ風は、とても心地よかった。


 あの人影が許せなかった。まるで人生に挫折して、全てを終わらせようとしている負け犬に見え、それと自分がどう足掻いても重なってしまう。

 あんなものとは違う。俺は自分の力で自由を手に入れたんだ。確かに俺は色んなものを捨ててきた。全てを放り投げた訳じゃない。この最後だけは、この最後だけは俺が掴み取ったんだ。


 わかってる。そんなもの、全部幻想だ。

 本当はおれ、


「気持ち悪い」


 ぼちゃん。

 これが俺の集大成。ロクに罪も償わず、分不相応な夢を抱え、やっとの思いで得られた自由も無に帰した。まさにゴミのような人生のクランクアップ。

 自由の果てに得たのは、海に投げ捨てられた小石のような最期だった。



 これが、今からの出来事である。



 人生を終わらせた俺を待ち受けていたのは、鬱蒼うっそうとした暗い森の中、俺を見下ろす青年の姿だった。

 

「目覚めたか、殿


 ロクに考えも纏まらないまま、俺は体を起こす。ここがどこで、何が起きているかなんて当然知らない。


「どちらさまですか」

「俺は勇者だ」


 理解の範疇はんちゅうはゆうに越えている。だが、人生という名の歯車は、俺が死んだところで止まりはしないらしい。


 逃げは、絶対に許さない。

 それを示すような第二の人生の幕開けだった。

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