今日記憶を失っても、明日また貴方に恋をする~とある令嬢と騎士見習いの恋物語~

あさぎ かな@電子書籍二作目

前編

「私も……オグリット様が好きです。たとえ記憶が明日まで持ち越せなくても、私はまたオグリット様を好きになります!」

「それは熱烈な告白だ」


 金髪碧眼の見目麗しい青年は、嬉しそうに微笑む。

 接点なんてなかったけれど、朝早く自主練している姿を何度も見かけていた。彼は平民出身で、努力していて――気付けば好きになっていた。彼を思って二年。

 私は魔導書解析学部の三年生で、彼は騎士学部の四年生。できれば彼の卒業まで学院にいたかった。


「でも……あの」

「でも?」

「その……実家の都合で、学院を中退しなければならなくなったのです」


 この日の出来事は、数ページ掛かったとしても、思い出を残しておかなければと魂が震えた。

 だって明日に記憶を持ち越せないのは、比喩でもなく事実なのだから。



 ***



 我がユピリア国は、魔物の侵攻を防ぐ辺境国だ。後ろに控える大国や貿易国からの支援と、《神々の遺産》の魔導書の多重結界のおかげで魔物の侵攻を防いでいた。


 騎士団という武力と、魔導書の叡智の二つが、この国を支えている。

 それともう一つ。

 一日一度は実りをつける存在だ。神々の子孫である《果実姫》は一日で種から芽を生やし、成長し花を咲かせ、夕焼けが落ちると同時に野菜や果実を実らせる。それと同時に《果実姫》は深い眠り――仮死状態になると言う。

 この奇跡を生み出している膨大なエネルギーは、《果実姫》の感情や記憶量を変換して生み出される奇跡であり、呪いでもあった。


 そして《果実姫》の記憶を補填するのが《終わりのネバーエンド無い手帳・ダイアリー》という魔導具だ。

 簡単に言えば外部記憶装置のようなもので、本体の記憶が消えても複製コピー可能となっている。


 《果実姫》が誰なのかを知るのは、国王と一部の貴族、そして教会の枢機卿数名だけで、無闇矢鱈に探ろうとすることはタブーとされ、破れば死罪となる。


 なぜそこまで《果実姫》に詳しいかと言えば、私がその神々の子孫で、勤めを果たしている一人だからだ。本当は魔導書の解読を専門とする学士になりたかったけれど、《果実姫》として役目を果たしていた姉が眠ったまま起きなくなってしまったことで、私は二年だけ通っていた学院を去ることになった。



 ***



 オグリット様と会うのは今日で最後になるかもしれない。

 そう思うと勇気を振り絞って会いに行くことができた。

 二年前とは違って彼の周りには友人や、貴族令嬢が取り囲んでいる。彼の研鑽は周囲の認識を大きく変えたのだ。それが嬉しくもあると同時に、一緒に居る時間が減ったことに凹んだ。


 一年前、騎士団長から直接お言葉を頂いて、卒業後は《白銀の騎士団》の入隊が決まってから、彼の周囲は一変した。

 魔物討伐や、北の遠征にも積極的だし、会う回数も減ったから以前のように気軽に声をかけられなくなった。手紙のやりとりだけは定期的にあるのが唯一の救いだ。


(挨拶ぐらいはするけれど、それ以上は貴族令嬢たちの目が怖くて長居できなかった……)


 私が《果実姫》だと言うことも、立場が教会の枢機卿と同等なのも秘密だ。辺境地の没落貴族という身分で入学している。私は他の《果実姫》とは異なり、日中自由行動をしても平気だから許可も下りた。何より転生者としての知恵が魔導書解読の鍵になるかもしれないと、王家が思ったのが大きい。


「(今日は権限を駆使してでも、二人っきりになる!)オグリット様」

「やあ、アリサ嬢」


 いつもの鍛錬場に訪れると、オグリット様は爽やかな笑みを浮かべて出迎えてくれた。二年前から変わらない学院の鍛錬所の一つで、校舎裏かつ森の傍という不人気な場所だったのに、今は数人の騎士学部が鍛錬に利用している。


 他の騎士学部の生徒とオグリット様が目当てなのか、令嬢たちが群がっていた。

 私の登場に令嬢の何人かは眉をひそめる。ほんの少しだけ怯みそうになったが、この機会を逃すわけにはいかないと強気の姿勢を貫き、オグリット様へと微笑む。


「少しお時間を頂けませんか?」

「ええ、構いませんよ。ちょうど鍛錬も終わったところですし」

「そんなことより! 私たちとお茶をしません? せっかく良いお店を見つけたのです」


 割り込む伯爵令嬢に、オグリット様は困った笑みを浮かべる。相手は有力貴族だ。後ろ盾のないオグリット様が強く断れないことも計算しているのだろう。

 それなら、と首から提げている枢機卿の証ペンダントを伯爵令嬢にわざとみせる。


 目敏く気付いた伯爵令嬢――ベアトリスは顔が青ざめていく。彼女がそこまで馬鹿ではなくて本当によかった。彼女にだけ聞こえるように小声で窘める。


「ベアトリス嬢、伯爵家の権威を笠に着るような態度でオグリット様に接しているのなら、私も容赦なく権威を使ってしまおうと思うのですが、いいですよね?」

「枢機卿の―――っ、なんで貴女なんかが」

「貴女のように権威を借りたくなくて、静かに学院生活を過ごしたかったからです。オグリット様の未来を潰すようなことだけは許しません」


 今まで頑張ってきた彼が自分の道を選べるように、そのぐらいは力を貸したい。

 彼と出会えたこと、恋をすることができた奇跡のお礼だ。



 ***



 騎士学部の生徒が気を利かせて、私とオグリット様を二人っきりにしてくれた。

 二人きりになると木々の音、小鳥の囀りが聞こえてくる。

 二年前と変わらない景色。少しだけ近くて遠くなったオグリット様との距離。


「頻繁に手紙のやりとりはしていますが、お会いするのは久し振りですね」

「そう……ですね。(私は図書館や、教室、研究所の窓から彼を見ることがあるから、そんなに久しぶりな感じはしないのだけれど……)」


 オグリット様は空間ポケットからタオルを取り出して汗を拭った。そのタオルは私が去年贈ったものだ。まだ持っているとは思わなかったので、思わず凝視してしまう。


「伯爵令嬢を追い返すなんて珍しいですね。いつもなら彼女たちがいるからと挨拶だけで去ってしまうのに」

「それは」


 少しだけ責めるような言い回しに、言葉を詰まらせる。


「下手に目を付けられるのを好まないからです。私は……平穏を愛しておりますので」

「我が儘な方だ。でも、助かりました。……伯爵令嬢はどうも苦手で」


 頭を掻いて正直に答える彼に、私は勇気を出して良かったと自分を賞賛する。この気持ちはあとで三ページほど書き連ねよう。


「そうでしたか。……勇気を出して良かったです。もし……オグリット様がベアトリス嬢に懸想していたらっ……」

「本気ですか? 私の才覚が芽を出す前から声をかけてくれて、何かと助けてくれた貴女の恩義を忘れて、他の令嬢に愛嬌を振りまくとでも?」

「(恩義)……ここ二年で口も達者になったようですね」

「かもしれません。でも、それはアリサ嬢のおかげですよ」


 彼は口元を緩めて微笑む。この笑顔がずっと好きで、甘く蕩けそうな眼差しに、胸の鼓動が速くなる。ずっと近くで見て、応援してきた未来の騎士様。

 こんな風な人が騎士であってほしい。


 優しくも、志のある誇り高い人。

 その心を揺らすことができたのなら、私は頑張ったほうだと思う。


「それで人払いまでして私に話とは?」

「あ、そうでした」

「告白でしたら、もちろん承諾です。婚約は私が騎士になってから改めてプロポーズをしても?」

「え、こ、ええ!?」


 思わぬ言葉に固まっていると、オグリット様は頬を少し赤らめて「違うのですか?」と柔らかい声音で尋ねてきた。卑怯だ。


(この恋は実らないと思っていたから、ひた隠しにしてきたのに……。どうして人生とはままならないのだろう。傍にいられなくても、私のことを好きでいてくれるだろうか? 私が《果実姫》だと知っても――)


 そう唇が震えたが、私の秘密は彼に話せない。

 話せば――彼を巻き込んでしまうし、騎士の夢が潰えるかもしれないのだ。

 華々しい凱旋や、勲章などもなく、主に教会の守護がメインとなってしまう。それは彼の語ってくれた夢とはほど遠い生き方だ。


「アリサ嬢、それでどうなのです?」

「私も……オグリット様が好きです。たとえ記憶が明日まで持ち越せなくても、私はまたオグリット様を好きになります!」

「それは熱烈な告白だ」

「……でも」

「でも?」

「その……実家の都合で、学院を中退しなければならなくなったのです」

「え」


 笑顔だった彼の顔が一瞬で強張る。次の瞬間、私の両肩を掴んだ。


「も、もしかして縁談が? 貴女に縁談が来たのですか?」

「ええ!? ち、違います」

「違う。……よかった」


 一気に力が抜けたのか、私の肩に顔を埋める。心臓が飛び出すんじゃないかと思うほど、ドギマギした。彼のシトラスの香りが鼻孔をくすぐる。


(これは誕生日に贈った……!)

「では……恋人、と思っても良いのですか?」

「(甘い声が近くで……)はひぃ」

「……よかった。これで晴れて貴女が恋人だと周知できる。……私の片思いだったらと、これでも不安だったのですよ?」

「そうだったのです……ね」

「しかし学院を去るとなると連絡方法は、実家に直接手紙を送れば会えますか?」


 確約はできない。私がどれだけ自由な時間が貰えるのか不明だ。

 私はオグリット様に銀の腕輪――特別な魔導具を渡した。


「これは、いつでも手紙を送り合える魔導具です。これを……受け取って貰いたくて、人払いを……お願いしたのです」

「こんな高価なものを?」

「それと、もしオグリット様が後ろ盾で困ったら、これを使ってください」


 私は首に提げていたペンダントを彼に差し出した。枢機卿の証であると同時に、コレを持つ者はその枢機卿の庇護下であることを意味する。私にできるのはここまで。


「アリサ嬢、君は……一体」

「オグリット様。貴方様のおかげで、私の学院生活は春の心地よさのような幸せな日々でした。勇気を出してあの日、声をかけて良かった。ちょっとでもお話ができて、貴方に贈り物をして喜んで貰えた――些細な日々がとても愛おしくて、……私を好きになってくれてありがとうございます」


 告白はできなくとも、感謝を伝えようと思っていた。順序が逆になってしまったがオグリット様がいたからこそ、幸福な夢を見られたのだ。

 甘く、桜の花のような美しく儚い日々。


「……できるだけ早く出世して、貴女を迎えに行きますから」

「!」


 それが叶わない夢だと分かっていながらも、胸の高鳴りは抑えられなかった。

 彼の言葉は私の心を甘く蕩けさせる。今の衝撃と感動を書き記すのに、十ページは固いだろう。


「オグリット様……」

「これは前払いです」


 ぐっと顔を近づけたオグリット様は私の唇に触れた。

 啄むような甘く、優しい口づけ。

 唐突な告白から、恋人。そしてキス。

 怒濤の展開に、私が卒倒したのは言うまでもない。



「ん……」

「ああ、よかった。目が覚めたのですね」


 重たげな瞼を開けると、彼に抱き上げられていることに衝撃を受けた。


(え、ええ!?)

「気絶してしまったので、ベンチに寝かせようかと……」


 気絶してしまった私を運ぼうと抱き上げて、木陰のベンチに寝かせるところだったようだ。


(まだお姫様抱っこされていたい!)


 思わず彼の腕に手を回して、ギュッと抱きつく。


「あ、アリサ嬢!?」

「もう少し! ……もう少しギュッとして欲しいです」

「──っ、貴女はどうしてそう、可愛らしいことを……。いいでしょう、私も貴女をもっと近くで感じたい」


 コツンと額をくっつけて嬉しそうに笑うオグリット様は、最高に素敵だった。

 その日から、学院を去るまでの短い時間を惜しむように、私たちはできるだけ一緒の時間を過ごした。


 一緒に昼食を取ることも増えたし、図書館やカフェで勉強をしたり、放課後ショッピング区画にデートもした。

 幸福だった。

 甘酸っぱい恋だったけれど、それだけで私は──生きられる。


「卒業して、騎士になって功績を上げたら必ず迎えに行くから、必ず待っていてくださいね」


 魔法の言葉。

 その魔法が儚く溶けてしまう夢だったとしても、私は受け入れて微笑んだ。


(貴方の夢が叶いますように)


「さようなら」とは最後まで言えなかった。口にしたら、それが本当のお別れになりそうだったから。


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