2-②

「土岐田君はね、きっちり40週0日に産まれたのよ。小さめだったおかげか、大安産で、こっちが慌てるくらいスンナリ出てきて。お父さん、嬉しくて、面会時間中、ズッと張り付いていたのよ。まさか、自分で取り上げた子が、来年には看護師になるなんて……年を感じるわぁ」


 市立病院で産まれた学生は、例外なく佐原主任の思い出話の肴にされるらしいが、ハルのグループは、ハルだけだったので、集中攻撃である。


 他のメンバーも興味津々で、正直ハルはうざったい。


 個人情報保護や守秘義務はどうなってんだ? と恨めしい気分にもなる。



 それでも、すでに母からは聞くことができない当時の様子を他者の視点から知ることが出来て、少し嬉しい。


 父の瑛比古さんには、改めて聞きづらいし、他人から見た父の様子は意外と面白い。




 そんな佐原主任の頭脳には、ハルに限らず、自分で取り上げた赤ちゃんのことは、家族に至るまでインプットされているらしい。


 例の女性もまた、佐原主任のデータベースに入っていたわけだ。




「そうね、丁度ハルくんの時みたいだったな。」


 実習終了後、ハルは再び面談室で佐原主任と向き合った。


「二八五四グラムの小さめで、初産なのに、陣痛も短くて。ただ、彼女の場合は、予定日より十日早かったけど」


「よく憶えてますね」


 ハルは素直に感心する。


「やだ、全部は憶えてないわよ。顔と名前を見て、初めて思い出せるの」


 顔を見たときは、何となく見覚えがあると思ったが、名前を思い出したのは、見かけてから一週間経ってからだったという。


「最初は、悩んだけどね。事件のことは聞いていたから」


 すぐに声をかけることに、躊躇していたと。


「……物静かな奥さんだった。旦那さんは仕事の都合がつかなくて、面会時間過ぎにくることが多かったんだけど、『スミマセン』ってそっとステーションに声かけてね。ちょっとだけカーテン開けて欲しいって。そういう人は多いから、パパ達には特別に面会してもらっているんだけど、時間外だからって遠慮してね。大丈夫だからって言うと、スゴく恐縮して」



 どちらかといえば、目立たない、印象の薄い感じ。



「でもね、とてもいい顔で笑うの。赤ちゃん抱っこする時や旦那さんが来た時。幸せだな、って感じで」



 見ているこっちが、幸せになれる、素敵な笑顔で。




 ……確かに、そんな笑顔だった。


 穏やかで、やわらかで、ホンワカとした。

 目に見えて華やかさはないけれど、通り過ぎるたびに周りを暖めていく、春風のような。

 



「何て言うか、ある意味平々凡々な人で。悪い意味じゃなく、与えられた幸せを素直に受け取って、喜べるというか、当たり前の出来事を幸せに感じられるっていうか……」


「それって、むしろ、非凡というか……」



 無い物ねだりで平凡な日々を不幸とさえ感じる人間が多い中で、日々の小さな幸せを喜べるのは、一種の才能だ。



 幸せになる才能。



「そうかもね。その理論で言うなら、ハルくんのお母さんは、天才かもね」


「?」


「メイちゃんの生まれる前、内科病棟に入院していた頃、何度か訪室したことがあったの。美晴さん、病気になったのは悲しいけど、赤ちゃんが産まれてくるまでは生きられそうだ、良かったって」



 赤ちゃんはきっと、お母さんのことを憶えてないだろう。


 でもたった一人じゃない、お兄ちゃん達がいてくれる。


 みんなを授かって、とても幸運だった。


 それは、瑛比古さんに出会えたおかげだ。


 別れは悲しいけれど、出会わなかったら、こんな幸せもなかった。



「『だから、私は、幸せなんだなあって思うの』、そう話していた。虚勢じゃないんだよね、美晴の場合は。ある意味、平凡でなく不幸せな生い立ちなのに、自分が不幸せとは思ってないんだなあ」



「あの、今、スゴく親しげに聞こえたんですが……」


「うん、だって中学から一緒だもの、美晴とは」



 助産師になって、初めて一人立ちして受け持ったお産だったんだよ、シャアシャアと驚愕的な事実を告げる。




「まあ、それはさておき」


 そういえば、小さい頃家にも遊びにきていた気がする……なんて考えているハルの思考には頓着せず、話は転換される。




「でね、彼女は、事件のことなんかまるでなかったかのように、笑顔だったから、つい話しかけちゃったのよ」


 お久しぶりですね、と。




「そしたら、言ったの」



「……?」






「『どちら様ですか?』……って」




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