15 繋ぎ留める手、踏み出す一歩。
――ゆっくりとまぶたを上げた少女は、頭に装着していたフルダイブ機器を外してベッドから起き上がる。
セミロングの髪を後ろで束ね、ポニーテールにした少女は、凛々しさのあるクールな印象を抱かせるような顔立ちをしていた。
だが、そんな印象からは真逆とも言える可愛らしいピンク色の部屋に少女は居る。
ふと、棚にたくさん置かれたぬいぐるみをじっと見つめると、そのうちの一匹をむんずっと掴みあげ――。
「うぅぅぅぅ~~……っ!」
少女はぬいぐるみに顔をうずめてベッドにジタバタと転げ回った。
「っはぁぁ……ダメだ。イベント上手くいく気がしない……」
ぬいぐるみを抱きしめたまま天井を見上げて、独り言を呟く。
――少女の名は
デイドリーム・オブ・ファンタジオでは、弓使いのエルフ《
桜木一澄はベッド横にあるデスクの前に座ると、白いノートパソコンを起動してDoFのイベントを検索した。
「……8月30日から開始ってことは、まだ二ヶ月以上先じゃない!? 気が早いというか、リリちゃんやる気だなぁ」
唇を結ぶ。
「アルタイルも多分本気よね。ノスタはきっと全力でサポートしてくれるだろうし、
一澄は気を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐く。
しかし、胃が痛くなってきたのか眉間にシワを寄せた。
「イベント中は各配信サイトにて生配信される……か。うわぁ……見られちゃうのね……」
年に数回行われる目玉イベント。
運営はアップデートや新規プレイヤーの参入での盛り上がりを期待しているのだろう。
元々人気の高いコンテンツだから、きっと大勢の人が見ることになる。
背もたれに体重を預け、カチカチという時を刻む音に耳を傾けながら、一澄はまぶたを閉じた。
――桜木一澄が
夏の弓道大会に出場したことがキッカケだった。
一澄が弓を引くと、風が行儀よくピタリと正座したかのように、寂寞した空気が辺りを包み込む。
研ぎ澄まされた集中力を発揮しているこの瞬間が、まだ中学生だった頃の一澄は大好きだった。
一度集中すれば途切れることは滅多になく、文武両道の天才とまで呼ばれた。
故にその少女は、自惚れていたのだ。
(一射目、まずはここを当てて、そして……優勝する……!)
――夏の弓道大会、一射目……桜木一澄は外した。
本番の張り詰めた空気に気付いた一澄は、緊張したのだ。
絶対に勝つという意志が渦を巻いて、一澄の首を締め付ける。
その時に向けられた真剣な人間の目が、たまらなく怖くなった。
(――練習では上手くいくのに本番になると途端にダメね……。やっぱり、あのピリピリした空気……みんなの目…………怖い)
昔を思い返していた一澄は、たまらずぬいぐるみを抱きしめる。
本番で失敗すれば、失望される。
天才と呼ばれた少女は、いつしか『天才』という言葉が重りになっていた。
クラスメイトが自分のことを話題にしても聞こえないフリをした。
みんな残念がる。「天才なのに」と失望する。
「でも、今日は当てられたわよね。外せない場面で当てられた……」
天井を見上げ、脳裏に賢狼を射抜いた瞬間を浮かべた。
あの時、サクラは本気になれていたのだろうか。
「本気になれる理由……あたしも見つかるかな」
人の目すら気にならないほどの集中力。
昔は出来たはずの本気。
皆の熱に当てられれば、自分も熱くなれるだろうか――。
一澄はそんな切望を胸に抱いて、眠りにつくのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――朝、制服に着替え、母親が焼いてくれたバタートーストをかじりながらローファーを履く一澄。
「いっへひふぁーふ!」
そうして玄関のドアを開け、足早に学校へ向かう。
なぜそんなに急ぐのかと言えば、理由は単純。
昨日、夜遅くまでゲームをしていたせいで寝坊したのだ。
「はむっ、あむっ……!」
サクサクで、バターがじゅわっと溢れるトーストを頬張りながら走る。
マンションの角を曲がると、制服を乱雑に着こなしたプリン髪の男子高校生が立ち止まっていた。
「あっ!
「あ? ってお前も遅刻かよ!」
高校生に見えない悪人面をした
一澄は道端で立ち止まっていた双士を訝しげに眺めると、彼の前に人影があることに気付く。
長い黒髪。小柄だが、一澄や双士と同じ高校の制服を着た少女が、体をビクつかせていた。
「ちょ、こんな可愛い子に手を出したの!?」
「いやいやいや! 違うって! 走ってきたらこいつとぶつかっちまってさ……」
「その顔で迫られたら誰でも怖がるに決まってるじゃない。全く……このバカがごめんね? こいつ、こんな顔してるけど一応あたしの幼馴染だから安心して」
肘で双士の脇腹を突くと、道路脇に落っこちていたヘッドホンを拾い上げる。
「ほら、ヘッドホン……これ可愛いわね。付けてあげるわ」
耳に掛かっていた黒髪にそっと触れて退かすと、ヘッドホンを付けて覆い隠す。
すると、震えていた少女は次第に呼吸が落ち着き始めた。
「あ、ありがと……ござ、います……」
「いいっていいって! それよりその制服、あたしと同じよね? このバカに構ってたら遅刻するわ。早く行きましょ!」
「バカは余計だろ! まぁ急ぐことには賛成だ」
「あ、いや、私は……」
一澄に手を引かれる少女は、勇気なさげな声を漏らす。
身を引き、一澄の手から逃げようとする少女。
そんな彼女に一澄は、なるべく優しく、そっと手を握りながら微笑んだ。
「ごめんね、名乗りもせずに。あたし、
――私は、と、少女はその場から逃げようとした足を留め、結んだ唇を解いてか細い声を振り絞る。
「私は…………
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