第60話 一進一退
生命力を絞り取られ、死した惑星に異世界の神に由来する風が、水が、大地が新たに溢れ出している。
途絶えて久しい風は悪鬼羅刹を引き裂く刃となり、海でさえ腐り果てた星に溢れた水は不浄を飲み込む波濤となり、新たな命の芽吹きを忘れた大地に荒々しい生命力で生み出された新たな大地が隆起し、魔物達を次々と圧し潰してゆく。
「風土埜海食万──
大地に突き立て風土埜海食万のフルパワーによって、雷を逃れた魔物達は更にその数を減らしてゆく。
世界の全てを巻き上げるような強風、世界の全てを海の底に沈めるような水の氾濫、世界の全てを圧し潰すような大地の奔流。どれ一つをとっても神話の中で語られる世界終焉の一幕に匹敵しよう。
そしてその終焉の只中にあってソルグランドに攻撃を加えてくる猛者達が、うじゃうじゃと居たのは、ソルグランドにとって不幸だったに違いない。
神威の巻き起こす風も、打ち付ける波濤も、底なしの奈落に誘おうとする大地も乗り越えて、特級に相当する魔物達の攻撃が容赦なくソルグランドへと殺到する。
陽光を浴びて虹色に輝く被膜を持った、流線型の鳥類を思わせる魔物サンアイズが細長い胴体に六つの瞼を開けば、そこからレンズが覗いて体内構造とプラーナで増幅されたレーザーが六本、大気を焼いて迸る。
青白いレーザーをソルグランドが回避できたのは、反射神経ではなく物理法則を超越する神懸った直感と危機察知能力のお陰だ。
跳躍した大地をレーザーが貫くのを尻目に、空中に飛び上がったソルグランドの身体から再び破殺禍仁勾玉と更に破断の鏡が分離し、自立行動を始める。それぞれが強力な攻撃手段であるこれらの神器で、少しでも手数を増やす必要があった。
全方位に流れ出す水の中には先ほどマレフィシャークを襲わせた鰐達に加え、日本武尊が退治した
悪樓は現在の岡山県の穴海に生息していたという巨大魚だ。悪神かそうでないか、対峙した人物などについて諸説あるが、とりあえずは船を一飲みにするほどの巨大魚と覚えておけばよい。
波に飲まれている魔物達へ鰐と悪樓を差し向け、天空から睥睨してくる魔物と大地から睨みつけてくる魔物へ意識を多めに振り分ける。
厄介なレーザー持ちのサンアイズを叩くべく、空中に浮かせた破断の鏡を遠隔操作し、極大のレーザーを撃ち返してやる。
既にこの星は死んでいるが太陽についてはまだ存命だ。降り注ぐ陽光を神通力で捻じ曲げて破断の鏡に集中させる離れ業を行い、取り込んだ陽光をプラーナで増幅させれば、ヒマラヤ山脈の東西二千四百キロメートルを貫通する威力に達する。
「
破断の鏡そのものが太陽に変わったような強烈な光が発せられて、直径百メートルにもなる陽光の奔流が解き放たれる。
サンアイズを狙って放たれた日光大砲は光の速さでかの魔物を焼き尽くすはずだったが、射線に入っていた他の魔物こそ焼いたものの、本命に届く前にぐにゃりと空間そのものが飴細工のように曲がると日光退崩もまたあらぬ方向へと逸れてしまう。
ソルグランドの瞳はサンアイズの足元に、頭部がレドームのような円盤状になっている赤い土偶のような魔物が浮かんでいるのを捕捉した。
土偶とは違い真っ黒いレンズを二つの目の代わりに嵌め込んだ魔物ネガドグウこそ、空間を歪めてサンアイズを守った立役者であった。
(空間を歪めるか……。図書館で呼んだ小説とか漫画でチラホラ見たな。あれを攻撃に使われると厄介か)
空間そのものに作用するとなれば、どれだけソルグランドの肉体が頑健であっても意味はないだろう。そういった意味ではネガドグウが味方を守る為に、その異能を行使したのは不幸中の幸いだった。
サンアイズのレーザー射撃も中断しているが、その代わりと言わんばかりに周囲からは無数の攻撃が降り注いでいて、距離を詰めてきた獣型や巨人型、昆虫型が接近戦を挑んで来るのを、天覇魔鬼力を片手に返り討ちにしながらソルグランドの思考は止まらない。
(あの土偶のパチモンは防御に専念させておくのが吉。破断の鏡による射撃はしばらくアレに集中させて……)
天覇魔鬼力の右袈裟の一刀で十六本の腕を持った赤銅色の鬼モドキを斬り捨てて、ソルグランドは破断の鏡から威力を減らした代わりに発射回数を増やした砲撃を、サンアイズに浴びせ続ける。
サンアイズは当然回避行動を取るが、思金神を筆頭とする知性優れたる神々の分霊を含むソルグランドには手に取るように逃げ道が分かり、常にネガドグウが守ってやらなければならない状況の出来上がりだ。
ネガドグウを始末する算段を頭の中で整えるソルグランドだったが、やはり多対一の状況は厳しい。思考の一部を割くソルグランドに向けて、絶対零度に近い極低温の冷気が大津波となって襲い掛かったのだ。
味方の魔物を巻き込むのも厭わずに、死神の吐息を思わせる白い冷気がソルグランドを含め、周囲数キロメートルを白銀の世界へと変える。
日本の環境ではまず味わえない極寒の凍結地獄に放り込まれたソルグランドは、それでも活動を停止していなかった。
体表に新たにプラーナによる結界を複数展開し、結界と結界の間に火の神々の権能による火炎を挟み込む──これらを刹那の速さで終えたのは流石の神業であった。
それでも衣服ばかりでなく、ふさふさとした尻尾や耳、頬も凍り付き、吐息は白く濁って冷気を完全には防ぎきれなかったのが見て取れる。
「ちぃ、あのでかい狐モドキか! 狐火ってもんがあるから、狐はどちらかと言えば火のイメージだったが、やってくれるね、まったく」
ソルグランドは凍結を免れた右目で、七キロメートルの彼方からこちらを睨む体高六十メートル越えの真っ白い狐型の魔物を睨んだ。五つの目と二つの口、六本の尻尾を持った狐型は、かつてアフリカ大陸の一角を氷銀の中に閉じ込めた準特級の魔物だ。
冷気に飲まれて氷像となった魔物達がわずかな振動で次々と砕ける中、凍結を免れた魔物達が動きを止めたソルグランドに止めを刺そうと動きを見せる。
「冷えすぎたんなら次は温めなきゃな。
凍結を免れたソルグランドの右手に天覇魔鬼力の代わりに天交抜矛が握られ、魔物達からの攻撃が届くよりも早く、その矛先が凍りついた大地と突き立てられる。
天交抜矛が突き刺さったのは、風土埜海食万によって生み出された大地だ。ソルグランドのプラーナと日本の神々の権能によって生み出された大地は、天交抜矛によってソルグランドの望むままにその姿を変える。
変則的な国産みとも言える神業が、今、魔物達に対する神罰となる。凍り付いたはずの大地が次々と氷を砕きながら隆起をはじめ、内側に凄まじい熱量を宿すと見る間に大地がひび割れて行く。
ひび割れた大地から覗く赤は、大地の奥底を流れる星の血液、灼熱の溶岩流だ。天交抜矛によって、百を超える活火山がこの死せる大地に疑似的に作り出されたのである。
そしてソルグランドの首を狙って襲い掛かる魔物達の足元で、百を超える火山は一斉に噴火した。サンアイズを守るネガドグウは足元に開いた火山から噴き出した溶岩流に飲み込まれ、ネガドグウの守りを失ったサンアイズもまた同じ運命をたどる。
凍結した大地は瞬く間に原始の地球を思わせる灼熱の世界へと変わり、視界の全てが噴火によって巻き起こった噴煙と岩、溶岩によって埋め尽くされている。
地獄の一角を再現したような光景の中で、溶岩の熱で凍結から解放されたソルグランドの姿があった。大きく突き出た大地の上に降り立ち、息を整えているようだ。
立て続けのプラーナの大量消費によって、若干、疲労している様子が見られるが、肩を大きく上下させるほどではない。
次の標的を求めるソルグランドの瞳に溶岩流も魔物にのみ有毒なガスも突っ切り、右方からこちらに突っ込んでくるディザスターの姿が映った。恐るべきことに噴火によるダメージはない。
(上手く避けたにせよ、出鱈目に頑丈な奴だな。他の魔物少女の気配はなし。ディザスターを囮に奇襲か?)
ディザスターは超音速で接近しながら、足元から、頭上から、横からと次々と襲い来る溶岩を腕の一振りで吹き飛ばし、覚悟を固めた表情で殴り掛かってくる。ソルグランドに明確なダメージはないが、消耗しているのは間違いない。
天交抜矛を両手で構え直し、身体に委ねて構えを取る。特に近接戦闘において、素人の自分が考えて戦うよりも、数多の戦神、武神から成り立つこの身体に委ねるのが最善だと大我はよく理解していた。
天交抜矛の分だけ、リーチでは圧倒的にソルグランドが勝る。
だが、堂に入った構えから天交抜矛が突き出されるよりも先に、ディザスターの右拳が振り被られる光景は、ソルグランドの意表を突くものだった。間合いの外の一撃にソルグランドの脳裏に警鐘が鳴らされる。
間合いを見誤るようなボンクラが相手なら、ここまで手こずりはしない。天交抜矛の間合いよりも外から、わざと拳を振り抜いた理由は?
「ッ!?」
振り抜かれたディザスターの右拳がべりべりと剥がれるような音を立てて、ソルグランドを目掛けて飛んできた。肘から先が飛んできた? いや、ディザスターの右腕はきちんと繋がっている。
皮一枚だけが剥がれたように飛んできているのだ。気味の悪さもあって、流石に意表を突かれるソルグランドの前で、剥がれた右拳が液状に崩れて大きく広がる。
剥がれた右拳の正体はシェイプレスだ。ディザスターの右拳に変身して被さり、ここに至るまでソルグランドの感知を潜り抜けてきたのだ。再びこちらを拘束しようとするシェイプレスに、ソルグランドが冷酷に告げる。
「罪なき罪の炎の産声を。
伊邪那美を焼いた火の再現たる小さな火種がソルグランドの左手から放り投げられ、包み込むように広がるシェイプレスを容赦なく内側から焼き焦がすが、その勢いは途中で急激に弱まる。
(やっぱりプラーナ系統の攻撃はある程度、吸収されるか。効きが落ちる)
フォビドゥンが持っていたプラーナ吸収能力の一部をシェイプレスも有しており、それで火夢須灯を半分以上吸収しているのだ。一度はソルグランドの拘束に成功し、膂力のみで脱出するしかなかった最大の理由となる。
燃やし尽くされるのに必死に抗うシェイプレスが隠れ蓑となり、ディザスターは妹を飛び越えてソルグランドへと挑みかかった。
(タイミングをずらされたかっ!)
ソルグランドに出来たのは体を捻り、ディザスターの拳を顔ではなく右肩で受ける事だけだった。多重展開した結界をことごとくぶち抜いた魔物少女の拳に、ソルグランドの身体がはるか遠方へと一気に吹き飛んで行く。
下手に堪えるよりも殴られた勢いのままに吹き飛ぶのを選んだソルグランドの身体は、あっという間に火山地帯を飛び越え、そこへ他の魔物達からの攻撃が殺到して無数の爆発が数珠繋がりで発生する。
ソルグランドはそのまま彼方の山脈の麓に落下し、何本もの大木をへし折り、大地を抉っってようやく止まった。隕石でも落下したような惨状のまっただ中で、ソルグランドは全身を汚した姿で立ち上がり、殴らせた右肩を中心に自分の状況を急いで確認する。
「骨は折れちゃいないが、しばらくは動きが悪くなるか。……それに魔物少女からの俺に対する恐怖が薄れてきている。一撃を貰えば二つ、三つと更に悪くなるか。なかなか難儀だね、コイツは」
髪も顔も、尻尾も耳も、全てが汚れた姿で、それでもソルグランドは二本の脚で大地を踏みしめて、こちらに群がる魔物達を睨み返す。
「お互い、まだまだ元気いっぱいだな。負けるつもりなんて欠片もねえけどよ」
*
世界中を襲う魔物の集団との刻一刻と変わる戦況を見守るワイルドハント司令部では、ソルグランドとの戦いこそもっとも重要視していたが、彼に救援を送る為にも世界中の戦況を把握しておくのを疎かにはできなかった。
「ブレイブローズによる特級魔物の撃破を確認! 残敵の掃討が終わり次第、ビクトリーフラッグ、ブレイブローズが救援に向かうとのことです!!」
久しぶりに入ってきた朗報に若い女性のオペレーターが笑みを浮かべて、バルクラフトを振り返る。ソルグランドが向こう側に連れ去られて──半分以上、自ら飛び込んだようなものだが──以降、険しい表情を崩さなかった表情が、ほんの少し緩む。
正面モニターにアテナの兜、ユニオンフラッグの盾を失いながら、ヘルセージを撃破したブレイブローズの勇姿が映る。単独での特級撃破という偉業を達成したのだ。
イギリスではミリタリーと騎士が入り混じるマジカルドールも、ブレイブローズの切り開いた好機を逃すまいと、果敢に残る魔物達に攻撃を仕掛けている。
「アメリカでもブラッディテイルⅡの撃破を確認しました。ロックガーディアンとスタープレイヤーがやってくれましたよ! 現在はフェイトルーラーを中心に残存戦力を再編中です。こちらも状況が整い次第、ソルグランドの応援に向かうと!」
特に強力な魔物が集中していたイギリスとアメリカが勝利を手にした報告は、ワイルドハントのみならず人類と妖精にとって紛れもない吉報だ。
これでソルグランドの救援に間に合い、向こう側に居る魔物少女と魔物を殲滅できれば、この上ない大戦果となるだろう。
「凄まじいものね、ブレイブローズ。本人はあんなに純朴な子なのに。それにマジカルドールも想定以上の戦果を上げている」
厳密に言えば上げ過ぎている、と言うべきかもしれない。バルクラフトの瞳は均質であるはずのマジカルドールでありながら、ワールドランカークラスの戦闘能力を発揮しているごくわずかな例外の映るモニターに向けられる。
北欧で、ギリシャで、熱砂の地で、アフリカで、南米で……世界中の戦場で目立つ異常な強さのマジカルドール達。
雷を放ちながら自在に飛び回る鉄槌を金属製の手袋で受け止めては、次々と魔物を砕く北欧神話の雷神トールの如きマジカルドール。
四頭の立ての戦車を召喚して乗り回し、体の一部のように自在に槍を振るうギリシャ神話の戦神アレスの如きマジカルドール。
強い風に、黄金の角を持つ雄牛に、黄金の飾りを着けたラクダに、霊力溢れる鳳に、またあるいは黄金の剣を人間に……十に及ぶ姿に変身しながら戦う、ゾロアスター教の英雄神ウルスラグナの如きマジカルドール。
決して多くはないものの、この他にもあまりにも多彩勝つ異様な力を発揮するマジカルドールが確認されており、それらは全て地球各国に配備された個体ではなく、フェアリヘイムから緊急通信の後に送り込まれたイレギュラーということになっている。
バルクラフトや地球各国の関係者達は、フェアリヘイムから来たという事で、中身は妖精なのではないかと考えているが、それにしてはあまりに地球の神話に寄せすぎているとも疑っている。
まさかそれら異常なマジカルドールに、本当に地球の神々が関与しているなどと、誰が考えようか。……意外といるかも?
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