第6話 貧困は万民の敵である

 青森で餓鬼兎を討伐した際に大我自らの名乗りを通信画面越しに見ていた特災省の旗門は、ようやく話題の魔法少女の名前を知れたことに嘆息し、ザンアキュートは崇敬する魔法少女の貴い名前を知れたことに体が震えるほどの喜びを覚えていた。


「一つだけですが、彼女の新しい情報が得られましたか。できればこのまま彼女の普段の様子や素性、魔法少女としての力の出所を知りたいものですが……」


 旗門自身、可能性は低いと承知した上での発言だ。画面の向こうでは名乗りを終えた大我ことソルグランドがダンシングスノーの制止を他所に、ステルスを起動して、プラーナ反応を始めとしたあらゆる機器から存在を消している。

 世界中の魔法少女を探せば大我のようなステルス魔法を扱う者も居るだろうが、大我ほどの絶対的な戦闘能力を発揮する別の魔法を兼ね備えた魔法少女はまずいないだろう。


 魔法少女達がそれぞれ発現する固有魔法は、一人につき一つ。これはほぼ絶対のルールだ。

 例えば模倣や強奪、継承といった特性を備える固有魔法を除けば、大我のように全く異なる系統の魔法を行使する例は確認されていない。

 ダンシングスノーのように冷却の固有魔法をベースにして、自身のプラーナと大気中の水分を材料に、氷の道を作るなど応用で出来る範囲を明らかに超えている。

 地球各国にフェアリヘイムから提供され、各国が独自に発達させた魔法少女技術は、少女達の資質と精神に性能を依存している部分が多く、二つ以上の固有魔法を意図して持たせられる段階に達していない。


「あの方、ソルグランド様が私達の味方をしているのは間違いのない事実です。せっかくの救いの手に対して、疑念を抱かれるような行為をこちらから行うのは避けるべきでは? あの方の存在は今のところ、私たち魔法少女と特災省にとって利益となっています」


 冷たい眼差しを向けてくるザンアキュートに、旗門は少しだけ眉根を寄せた。ザンアキュートの心が特災省とソルグランドのどちらに傾いているのか、まるで隠すつもりがない。


「もちろん、私個人を含め特災省はフェアリヘイムと連携の上、魔法少女を助ける為にはいかなる労苦も惜しみません。

 ですが、ソルグランドに支援の手を差し伸べるにも、また彼女がソレを必要としているのか、いないのかを確認する為にも、彼女との連絡手段を確保しなければなりません。

 更に彼女自身のことも知る必要があります。お互いに不幸なすれ違いをしない為にもです」


 二心なくはっきりと断言する旗門の言葉と眼差しに、ザンアキュートは異論を挟む余地がないのを認めて、これ以上の余計な口出しを控えることにした。

 ザンアキュートは自分が優れた魔法少女ではあるが、巨大企業の経営者でも有力な政治家でもないのを、彼女はよく理解していたから。


「余計な口出しをしてしまって、申し訳ありません。命の恩人の事ですから、少し、過敏に反応してしまいました」


「いえ、ザンアキュートさんのお気持ちは分かります。……話を戻しますが、ソルグランドの三度の出現時の行動を鑑みれば、彼女はこれからも窮地に陥った魔法少女を助ける為に姿を見せると推測できます。

 全国の魔法少女にソルグランドについて、彼女が獲物の横取りを目的としているのではない事、我々側にとって未知の要素が多く、情報収集と連絡手段の確保を図っていると周知するべきでしょう」


 ザンアキュート、スカイガンナー、クリプティッドエヌ、ダンシングスノー、いずれも彼女達が窮地に陥るか、魔物を取り逃がして危機的な状況に陥るのを防ぐ為にソルグランドは姿を見せている。

 日夜行われている魔法少女と魔物の戦いで、魔法少女が危機に陥るような場面はそうそうないが、同時に彼女との接触の機会が少ないという意味でもある。

 もちろん魔法少女の危機など、無い方が良いに決まっているが、ソルグランドというイレギュラーの情報収集が遅れるのもまた困った話には違いない。


「あの子のことは僕達フェアリヘイムでも調べてみるっきゅ。もしかすると彼女を魔法少女にしたのが、未知の第三勢力である可能性もあるし、彼女が地球側かフェアリヘイム側か、それともさらに別の次元を拠点にしているのかも、フェアリヘイム側からも調査するっきゅよ」


 フェアリヘイムは地球の数世代先を行くプラーナ関連技術だけでなく、次元制御、次元間渡航技術も持ち合わせている。その技術をもってソルグランドが姿を消した際の反応を調べて、どこに姿を消しているのか調べるつもりらしい。


「よろしくお願いします。アムキュさん」


「任せてほしいっきゅ。それにしても、あの子につけたヒノカミヒメって名前、結構似合っていると思ったきゅけど、すぐに使わない羽目になっちゃったきゅね」


「ああ、それは……そうですね、少し惜しいかもしれません。ですが、魔法少女の名前ばかりは、本人自らがつける特権でありますから」


 今後、ソルグランドと穏便な接触を図る、全国の魔法少女にソルグランドの存在を周知して、接触した場合には情報収集と友好的な態度を心掛ける。

 フェアリヘイム側も調査を行う、とまとめられた段階で、夜も深まっていたことから解散となった。なにしろザンアキュートをはじめ、魔法少女達はまだ学生であったので。



 自分がそこまで特災省や魔法少女、妖精達の間で話題になっているとは、想像もしていない大我はと言うと、ダンシングスノーを救助して名乗りを上げたことで満足していた。

 そうして例のステルスを起動して社に戻った後、手水場の水を柄杓で救って一飲み。


「今日はもう寝るかぁ。密度の濃い一日だったぜ。そういや寝巻はどうすっか。魔法少女の衣装はプラーナで編まれているから、汚れても破れても、再構成すりゃいいって、前にテレビの特番で言っていたが」 


 しげしげと自分のなんちゃって巫女装束と、その上に重ねている千早を見て、大我は首を傾げる。これも魔法少女の衣装であるから、汚損を気にしなくていいのだろうが、普通に脱げる代物なのだろうか?

 日本だけでなく世界中で活躍している魔法少女の中には、着脱が不可能に思える奇抜なデザインの子も多い。大我の衣装は現実の巫女装束に近しいデザインだが、いつの間にやら着ていたこの衣装の脱ぎ方を、大我は知らないのだった。


「う~ん、寝るなら、まあ、この千早だけ脱いで帯と襟を緩めればいいか?」


 いつまでもステルスに頼ってばかりもいられない。街中で活動する為の普段着や、こうして寝る時のパジャマや寝巻も早めに調達して、生活のクオリティを上げていきたいところである。

 そう考えてウンウンと唸っていると、千早がほのかに光を放って、見る間に消えてしまった。どういう理屈なのか、服の方が大我の意思をくみ取ったような現象だ。


「おおう、便利だな? いや、なんか、こう、俺の知らない機能がありそうだな。こうなった俺自身の機能とか性能も確かめていかねえとか……。まあ、明日からな、明日」


 大我は誰の耳にも疲れていると分かる溜息を零して、そのまま寝袋に潜り込み、明かりの無い社の中でゴロンと横になる。

 境内にテントを張るのもよかったが、荒廃した無我身市の探索と短期間で発生した戦闘の影響で、大我の精神はそれなりに疲弊しており少しでも楽をしたかったのだ。


「流石に今日はもうなんも起こらねえだろう。お休みなさい」


 孫娘の燦、子供達、妻、友人達、シロスケ……たくさんの顔が脳裏に浮かんだが、大我の精神的な疲弊はすぐにそれらの顔を押し流して、彼の肉体に眠りを命じた。

 ほどなくして社の中に、規則正しい小さな寝息が響き始め、それを聞くものは誰もいないのだった。

 大我の仮の拠点となっている神社が霧に包まれ、時間の変化が分からない場所であるのは、以前にも記した通りだ。その為、快眠の後にスッキリと目を覚ました大我は、差し込む光が朝陽なのかどうかも分からず、自分がいつに目を覚ましたのかも良く分からなかった。


「ふあ~あ。……ああ、そういや家は壊れちまったんだな。自分の声が若い女の子になっているのも、まだ慣れねえや」


 もぞもぞと動いて寝袋から出て、ひとまず顔を洗うべく社の外に出る。幸い、手水場の水は絶えず流れており、清らかなままだ。せめて水以外にも、もっとこう、生活を豊かにする援助が欲しかったが、誰に言えばいいのかも分からないから、大我は考えないようにした。

 顔を洗い、口をゆすいでひとまずスッキリすると、ほんの数時間でたわわに実った桃の木の根元まで歩いて行って、二つほど捥いでみる。


「本当、なんでこんな早く成るかね? 俺みたいに一度死んだ人間以外には、食べさせない方がいいんじゃねえか?

 あの世の食い物を食ったら、あの世の人間になっちまうって話があったよな。よも、ヨモツヘグイとかなんとか。ギリシャ神話にも似たような話が在ったよなぁ」


 ギリシャ神話の話は冥界の主たるハデスに攫われたペルセポネが、その後、母デメテルの働きかけもあり、地上に帰れることになったのだが、冥界産の柘榴を食べていた為、一年の内、何か月かは冥界で過ごさなければならなかった、という逸話の事だろう。

 細かい部分は伝承によって異なるが、大筋はこんなところである。

 死んだはずの大我を生き返らせ、魔法少女の肉体を与えたと思しき桃だ。どんな劇薬になるか、はたまた妙薬となるか、確かめたいところなのだが、その辺の権能や機能が自分にあるのか、大我にも謎であった。

 そういった分析関係のスペシャリストの魔法少女が居て、縁を繋げられた暁には分析を依頼してみるのもいいかもしれない。


「もぐ……美味い桃なんだが、ただの桃と思うには怪しいところが多すぎるわ」


 そのままあっという間に二つの桃を平らげて、大我の朝食は終わった。キャンプ用品の中にあった折り畳みの椅子に腰かけ、大我はこれからの基本的な行動について思案に暮れる。

 魔法少女達の救援はいつ起きるか分かったものではないから、予定に挟むだけ無駄だろう。


「現金調達してえが……いくら廃墟っつっても無我身市の中を漁るのはなあ。質屋にでも行けば宝石なり希少品が見つけられるだろうが、未成年が持ち込んだ貴金属なんざ、怪しいよなあ。まっとうなところじゃ断られそうだし、後ろ暗いところのある店を探す暇はねえぞ。

 それか腹を括って俺の正体を伝えるか、俺が真上大我だと信じてくれる奴を頼る? う~ん、証拠が自分の証言しかねえってのはなぁ。魔物災害で世界中が荒れていて、不法難民にあふれて世界中が厳しいご時世だし、下手な真似は出来ん」


 魔物災害によって社会秩序を維持できずに国家が崩壊した例は、いくらでもある。特に国力の低い小国家に多く、寄る辺を失った人々が難民となって、もう何十年も世界規模の大きな問題となっている。

 プラーナ技術が魔物を引き寄せている可能性が論じられ、人類の文明を維持・発展できる代替エネルギーの発見と研究もまた、世界規模の課題である。まあ、大我の頭の中にはそこまで大きな規模の話はなく、彼は命がけで戦う少女達と孫娘の事で精一杯だ。


「仕方ねえ、魔法少女達の情報収集と俺の能力の把握の継続で行くか。政府の方との接触は、もう少し俺の信頼ってもんを積み上げてからでないと、拘束されちまいそうだわ」


 我が身可愛さを含んだ考えだが後々の為にも、魔法少女の中に出来るだけ味方を作っておいた方が良いだろう。まあ、鏡に強制的に助けに行けと急かされるし、大我の中で魔法少女達を助けないという選択肢はないのだが。


「それにしても、今はまだいいが、桃に飽きちまう前に他のものを食べられるようにしたいぜ」


 大我は大きく伸びをして、食べ終えた桃の種を手の中で転がす。これを植えたら、また新しい桃の木が生えるのかな、とそんな呑気の事を考えていた。



 大我が鏡に呼び出しを食らうのは基本的に魔法少女の窮地なのだが、場合によっては魔物が出現した直後にも呼び出しを食らうこともある。

 そうして大我がほとんど毎日出動し、


「はああああ!! 万魔を斬り伏せろ! 天覇魔鬼力あめのはばきり!」


 天に覇を成す力をもっていかなる魔性も鬼も悉く滅ぼさん、そう名付けられた光剣を振るい、沖縄でクラスター爆弾の雨にも耐える鱗を持つ三つ首の百メートル級大蛇を真っ二つにし、


「まだまだ元気いっぱいだぜ! 日輪に飲まれろ、破断の鏡・日光退崩にっこうたいほう!」


 破断の鏡に収束した日光を増幅し、焦点温度一千万度に達する日光の砲撃で、小笠原諸島に出現した直径三キロメートルを超す球形のスライムをこの世から消滅させ、


「今日もか。……まだまだやれらぁ! 忌むべき苦しみを持って誅せん! 忌苦弓矢いくゆみや!!」


 須佐之男命が所持していた弓矢であり、大国主命が用いて八十神を対峙して葦原中国を治めた生弓矢に肖った矢は、上空七千メートルに出現し、そのまま京都府に落下しようとしていた、全身に結晶を生やした五十メートル級アルマジロを狙撃。

 矢を構成する大我のプラーナによって、アルマジロ型の魔物は体内から自身を構成するプラーナを無茶苦茶にされて、もだえ苦しむようにして消滅し、


「はいはい、今日も頑張りますよー。……神韻縹渺しんいんびょうびょうの調べに魔性去るべし! 悪滅勅琴あめののりごと


 その琴の音は悪を滅する勅である、として名付けた光の琴が大我の両手の中に出現し、プラーナで形作られた糸を大我のしなやかな指が弾く度に生ずる音が、群馬県に出現した翼長七十メートルに達する巨大蝙蝠の殺人超音波を打ち破り、逆に分子レベルに崩壊させる。


 以上の戦いは大我の魔法少女活動を本格化させてからの戦いの一部を抜粋したものだが、連日連夜の出動は戦いが大我の一方的な勝利で終わるとはいえ、大我の精神に疲労を積み重ねるのには十分すぎた。

 生活を豊かにする余裕のない日々の為、相変わらず手水場の水と野生化した元家庭菜園の野菜少々、得体のしれない桃という食生活もまた大我の心を蝕んでいた。

 その癖、肉体は相変わらず元気いっぱいであり、お腹も減らないし、眠気もない。疲れもないし、肩が凝る様子もない。まあ、胃に穴が開いたり、神経が参る心配はなさそうだ。どうにかなるとしたら、やはり大我の精神に限界が来た時だろう。

 だから、徳島県に出現した首無しの騎馬武者軍団百騎を相手に大暴れした後、駆けつけてきた魔法少女に声を掛けられた時、大我の頭はろくに回っていなかったのも、無理のない話である。


「ええと、これは全部君が? ありがとうね! あたし、君のこと知っているよ! すごい噂になってるもん。ソルグランドって言うんでしょ? あたしはアワバリィプール! 徳島を中心に活動している魔法少女さ!」


 ワールプールというと渦潮を意味する。鳴門の渦潮、すだち、阿波踊り、ゆるキャラあたりの要素をミックスしたコメディな衣装のアワバリィプールは、裏表のない明るい性格をしているようだった。

 既に何度も魔法少女を助け、事前に魔物を倒して被害を防いだ実績があるとはいえ、スカウトした妖精不明、本名不明、住所不定と怪しさ百点満点の要注意人物と伝えられているソルグランドに演技なしで話しかけている。


「君さ、戦いが終わったらすぐにいなくなっちゃうんだって? でもさ、たまにはお礼をさせてよ。君に助けられた子達もさ、お礼一つ満足に言えなかったって悲しんでんだ。

 だからさ、ほら、徳島ラーメンとか、フィッシュカツとか、鳴ちゅるうどんとか、祖谷そばとか、美味しいものがいっぱいあるからさ!」


 これまで、大我は腹の虫の大合唱にも負けず、その誘惑を振り払ってきたが、今は駄目だった。この瞬間は駄目だった。クリティカルヒット、いや、スーパークリティカルヒットである。


「うえ!?」


 アワバリィプールは思わずそんな声を出していた。目の前の魔法少女の中でもずば抜けた美しさと神秘性、そしてプラーナ量を誇る謎の魔法少女ソルグランドが、ドバっと口から涎を垂れながしたからである。

 この後、アワバリィプールの奢りで涙を滲ませながら徳島グルメを堪能する大我の姿が、特災省と魔法少女達の間で共有され、ソルグランド貧困疑惑が広まるのだが、当の大我は知る由もない。

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