第5話 魔法祖父ソルグランド

 大我が青森に出現した餓鬼兎を撃退するよりも前に、時間は遡る。

 既に夕闇の手は地平線の彼方にまで届き、廃墟と化した無我身市に人間の営みを象徴する明かりは一つもなく、荒涼とした雰囲気を一層深めている。

 そんな中でも、大我が仮の宿としている神社は変わらず深い霧に包まれている。朝も夜も変わらぬ明るさで、時間から切り離された異界だと誇示しているかのようだ。

 スカイガンナーとクリプティッドエヌの救出に成功し、神社への帰還を果たした大我は、境内に出ると肩をぐるぐると回して、体調に問題がないのを確認して口を開く。


「今度こそ生活環境を整えるかあ。しっかし、日本全国、どこもかしこも魔物の災害があるもんなんだな。自分がこれまでどんだけ魔法少女に助けられて生活してきたのか、今更になって噛み締めるわい」


 喉は渇かないし、お腹も空かない奇妙な体ではあるが、自分の精神衛生を守る為には、人間だった時と同じような生活を送るのが重要だ、と大我はこれといった根拠はないがそう感じていた。

 七十近い男性老人が十代後半の獣耳と尻尾を備えた魔法少女に生まれ変わった時点で、肉体も生活も激変もいいところではある。


 その変化による精神的な動揺は気づいていないところでまだあるだろうし、落ち着ける拠点くらいは確保しないと、魔法少女の助っ人家業を続けて行く内に、先に自分の精神が参ってしまいそうな予感がしている。

 どれ、今度こそ外出だ、と境内をてくてくと歩く大我の視界に映ったのは、あのやたらと美味しかった桃の種だった。


「おろ、こりゃあ、桃の種? あの時、食ったやつのを俺が持ってきていたのか」


 黄泉比良坂らしき坂の上でわざわざ食べさせられた以上、ただの桃でないのは明らかである。

 大我は石畳の上にポツンと転がっている桃の種を拾い上げると、しばらく手の中で弄んでから、なにか、良い考えを思いついたという顔をして手水場まで歩いてゆく。

 そこで拾った種を綺麗に水洗いしてから、境内の端っこに埋める。

 ついでに柄杓で掬っておいた水を、少しだけ盛り上がった土の上にちょろちょろと掛けた。


「常識の通じない食べ物と常識の通じない場所だ。万が一にでも実ってくれりゃ万々歳ってところだろ。栄養剤……は、まあ、無理だろうが、肥料もなあ。むしろこの場所では逆効果になりそうだな。さて、行きますかねえ」


 大我の足が向いたのは、数十年単位で放棄されて、荒れに荒れた無我身市のショッピングモールや百貨店、それに図書館などだ。

 六十年近く昔の魔物災害によって、電力、ガス、水道とあらゆるインフラが崩壊した都市では、食料品の補充はまず無理だろう。野生化した家庭菜園の生き残りくらいは期待したいところだ。

 機能している電灯の一つもなく、真っ暗闇の中を進む大我は星と月の光を頼りに、真昼と変わらずに見えていた。どうやら夜目も効く肉体らしい。


 それからかつての記憶を頼りに、市内の店を回るごとに大我の顔は曇りがちであったが、キャンプ用品の一部と調理器具の類の確保に成功し、少しは神社の暮らしに文明の恩恵に預かれる見込みが増えた。

 戦利品の一つである特大サイズのリュックにあれやこれやと詰め込み、無我身市を徘徊する大我は時折、廃墟をパトロールしているドローンを見かけながら、最後に図書館を目指して進んでいた。


「不法居住者対策のドローンか……。ステルスがなけりゃ、俺もすぐに見つかってたろうな」


 放棄され、復興計画が凍結されている無我身市には、反社会的勢力を始めとした後ろ暗い背景を持つ人々が集まり、利用されることがないようにと監視網が形成されている。

 これは一度、特大の魔物災害が発生した前例を持つ無我身市に再度、同等規模の魔物が災害した場合、すぐに発見する為の意味合いも含まれている。

 その厳重な警戒網に引っかからないことで、逆説的に大我が無我身市を根城にしていると政府側に推測される可能性は低くなるわけだ。


「今日もご苦労さんですよっと」


 何機かドローンを見送った後、大我はこっそりと忍び足のまま半壊した私立無我身図書館の成れの果てへとたどり着く。目的はいかにもこうなった自分のモチーフらしき神道関係とプラーナ技術、世界中の神話や武術、サバイバル技術について取り扱っている書籍だ。

 図書館の外観には盛大に罅が走り、窓ガラスも多くが砕けて風雨が入り放題だが、地下の書庫などで保管されていた資料なら、まだ無事な可能性は高いし、調べる価値はある、そう大我は踏んでいた。


 ささやかな星の光と夜の風、そして静けさばかりが広がる図書館でなんとか無事だった書籍のページをめくる音が、静かに、静かに、重ねられてゆく。

 流石に痛んでいる紙のページを慎重にめくりながら、大我の目は止まることなくページに記された文字や図式、記号を焼き付けるように記憶に刻む。


「んん~こりゃ目玉も脳みそも特別製になっているな。全部、一目で暗記出来ているなあ。学生ん時に欲しかったって言ったら、贅沢なんだろうがよぉ。

 にしても十束の剣ってのはあくまで長剣の総称みたいなもんか。スカイガンナーの嬢ちゃん達を助ける時に出た剣とか、他にも必殺技とか魔法少女としての名前を考えておいた方がいいよな。言霊だったか。言葉には力があるっていうしよ。

イザナギがカグツチを斬った天之尾羽張あめのおはばり、スサノオがヤマタノオロチ退治に使った天羽々斬あめのはばきり、天羽々斬と同一視もされる布都御魂ふつのみたま

 それにヤマタノオロチの尻尾から出てきて、天羽々斬の刃を欠いた天叢雲剣あめのむらくものつるぎないしは草薙剣あたりが、日本神話の有名所の剣だな。

 三種の神器となると八咫鏡に八尺瓊勾玉だろう。ええと、後は? 国生みの天逆鉾あめのさかほこ、同じものかもしれんが天之瓊矛あめのぬぼこ……。表記ゆれが多いのは仕方がないか」


 出典となる書籍や物語、時代によって名前や当てられている漢字が異なるのには参るが、それでも大我のページをめくる指は止まらない。

 魔法少女にはそれぞれ固有の魔法が必ずあり、更に魔法少女としての力量を上げ、才覚を目覚めさせることで必殺技に相当する強力な魔法の獲得に至る。


 魔法少女名を含めて魔法の名前のほとんどは、インスピレーションによるが、これはフェアリヘイムから供与されたプラーナ制御技術が思考制御と精神感応を主軸としているのが大きな理由である。

 制御者この場合は魔法少女本人の認識と直感がダイレクトに魔法少女としての性質に反映され、理屈よりもセンスオブワンダー、思春期の少女達の未成熟で自由な感受性こそが、魔法少女を強くする。


 わざわざ魔法の名前を叫ぶのも、必要もないのに詠唱を行うのも、そうすることでより精緻に、より明確に、より強力に魔法を行使できるから。その方が強そうだからという思い込みこそが肝心なのだ。

 それを踏まえれば日本神話からインスピレーションを受けて、魔法の名前を考えようという大我の行動は魔法少女のルールに適ったものだろう。


「神話に出てくるれっきとした神器の名前をそのまんま使うのは、かなり畏れ多いし、発音は同じでも当てる漢字は変えとくか。

 八咫鏡なら、そうだなあ、破壊の『破』と断つの『断』で、破断の鏡とか、か? 三種の神器が一番馴染みの深いというか、サブカルでモチーフにされているから知名度高いだろう。俺の名前と合わせて先に考えておくべ」


 そっと読み込んでいた神道関係の書籍を閉じて、大我はめぼしい書籍を市内で回収した風呂敷に包み、手に取って図書館を後にした。

 背中にはパンパンに膨れ上がったリュック、左手には風呂敷、右手にはいい感じの長さと太さの木の枝を持ち、大我は星空の下、のんびりと神社への帰路に着く。


「お~綺麗な星空じゃねえの。ゴーストタウンで周りに明かりがないからよく見えるってのは、悲しい理由だけども」


 無人島に漂着するよりはマシだマシ、と自分に言い聞かせる大我が仮の宿に到着したのは、それから間もなくのことである。

 霧に包まれた謎の神社の階段を登りきった大我の口からは、理解不能を意味する言葉がこぼれ出た。


「ええ……もう実っとる」


 ぽかんと口を開いた大我の視線の先では、階段を上りきったところから見て、境内の右端のあたりで、成長した桃の木がたわわに果実を実らせていた。


「さっき埋めてから二時間くらいのもんだろ? 桃栗三年柿八年って言葉知らねえの? 噓だろ。……まあ、食べるけど。怪しいが俺を生き返らせた桃なんだし、今更、食ったところで毒にはならんだろ。多分」


 確信が持てないのなら食べない方が良い気がしないでもない大我だったが、この体の大元になったかもしれない食べ物と考えると、桃を食べれば食べるほどパワーアップにつながるのではないか、という考えを否定できないのが悩ましかった。

 この体が桃で出来ている、とあながち否定できないのはちょっと笑えない可能性だったが。まあ、確かに体からほんのりと甘い匂いがしているのは確かである。

 なんだか釈然としない気持ちのまま、リュックを境内に卸して寝袋だけは社の中に入れる。仮にここが神域だとすると、下界から穢れを持ち込むのはどんな影響があるか分からない以上、出来うる限り避けるべきだろう。


「寝泊まりくらいはしていいとして、調理の類は境内でしとくか。インスタントのコーヒーとかティーパックは、あー、飲めるか? 大抵の毒は効かなさそうな体だが……」


 倒壊したデパートから掘り出した顆粒のインスタントコーヒーや破れていなかったティーバックを手に取り、大我は真剣に悩む。

 手水場の水ばかりでなく、味と香りのある飲み物くらいは楽しみたい。それくらいの嗜好品を楽しむ余裕のある生活を送りたいところだ。


「お供え物としては日本酒もいいが、瓶も樽も割れていたし、流石にアルコールとはいえ密閉されないまま何十年と放置されたのは、アカンよなあ」


 ままならないものである。もう一度、倒壊した自宅に向かって財布かへそくりだけでも回収してこようか、と大我が真剣に悩んだ時である。開けっ放しの戸の奥から、まばゆい光が境内に居る大我を呼ぶように溢れ出した。

 この光が意味するところは一つ。大我を魔法少女へと変えた者達からの、魔法少女への救援要請だ。大我は消費期限とにらめっこしていたインスタントコーヒーのガラス瓶を放り出し、大急ぎで社の中に駆け込む。

 うすぼんやりと光る鏡には、一千を超える兎の群れが四方八方に逃げる姿を、それをどうにか駆逐しようと奮戦している一人の魔法少女の姿が映っている。


 まるでフィギュアスケーターを思わせるスケート靴で、プラーナを変換して作り出した氷の道を優雅に滑り舞い、両手首に巻いた薄い布地で兎を巻き取って絞め殺すか、あるいは高速で振るった布で真っ二つに切り裂く魔法少女。

 薄い紫色の長髪をポニーテールにして、華奢な手足と体のラインを浮き彫りにする青い衣装を纏っている。フリルとスパンコールをふんだんにあしらった衣装は、ますますフィギュアスケーターを連想させるものだった。


 青森県を中心に活動している魔法少女ダンシングスノーだ。

 天地を問わずに伸ばした薄氷の道を高速で滑り舞い、刃にも鞭にもなる両手首に巻いた伸縮自在の布で魔物を討伐するベテランだが、その戦闘スタイルの関係上、一対多、それも逃亡を図るタイプの兎──餓鬼兎は相性が悪い。

 怜悧な美貌と氷の佇まいを纏うダンシングスノーの顔には、形勢不利を悟る焦燥が浮かんでいる。


「戦う力のある相手には躊躇いなく背を向ける。臆病にもほどがあるのではなくって!?」


 返事や反応を期待したわけではない。これまで魔法少女と言葉を交わせる知性を持った魔物の出現例はなく、発生に際して模した生物の生態を真似ることはあっても、ソレ以上のことはない。

 ダンシングスノーは亜音速で夜の大地を、空を滑りながら、分裂して増殖し続ける餓鬼兎を逃すまいと必死に両手の布を振るい、脚を振り上げて氷の刃を飛ばすが、増殖速度の方が勝っているのが偽りのない現実である。


「悔しいけど他の魔法少女は間に合わない。このままじゃあの兎モドキを逃がしてしまう!」


 プライドの高いダンシングスノーとしては歯痒いことこの上ないが、彼女一人では餓鬼兎の殲滅は不可能だと判じる理性と冷静さが彼女にはあった。

 現在、日本に所属している魔法少女の数は、四十七都道府県に対して百名超。一つの県におおむね二、三人の魔法少女が配置される計算になる。

 青森県にはもう一人魔法少女が居るが、彼女がこの戦場に到着するころには、取りこぼした餓鬼兎達が県内に広がった後となるだろう。


 餓鬼兎は単体としての戦闘能力は低いが、厄介なのが餓鬼のようにプラーナを貪り、驚異的な速度でその数を増やす特性にある。

 一匹でも逃がせば秘かにプラーナを貪欲に食べて、あっという間にその数を増やして人間や電力に代わって文明を支えているプラーナ発生装置に襲い掛かり、人命と社会生活双方に甚大な被害を与える可能性を持つ。

 餓鬼兎が準二級に分類されているのも、戦闘能力よりもその特性を危険視されてのことである。餓鬼兎のように特定の条件を満たした場合、あるいは環境下において、危険性が高まるタイプが『準〇級』に分類されるわけだ。


 プラーナを変換して作り出した薄氷の道を滑り、ポニーテールをなびかせるダンシングスノーは両足を立て続けに振り上げて、靴底のブレードを通してプラーナの刃を放つ。

 三日月上の青いプラーナは発射直後に氷へと変換されて、周囲の木々へ逃げ込もうとする餓鬼兎へ襲い掛かって柔らかそうな白い体毛ごと何体もまとめて真っ二つにする。


 それも四方八方へとバラバラに逃げる餓鬼兎達の総数からすれば、微々たるものだ。彼女よりもスカイガンナーやクリプティッドエヌの方が、ダンシングスノーよりも餓鬼兎との相性は良かっただろう。

 可能な限り餓鬼兎を減らす。たとえ目的を果たせなくても、その次の戦いで少しは役に立つはずだと、必死に自分に言い聞かせて鼓舞する。

 ダンシングスノーは自分のあまりの役立たずぶりに怒りでどうにかなってしまいそうだった。


闘津禍剣とつかのつるぎ


 そのままでは畏れ多いからと、津波の如き禍と闘う、という意味を込められた握り拳十個分の光の刃を持つ直剣の一振りは、天上から降り注ぐ神罰の光と変わり、東から南にかけて逃走中の餓鬼兎数百匹余りをまとめて消滅させる。

 もう一人の魔法少女の到着には早すぎ、彼女にはできない芸当が目の前で生じたことで、ダンシングスノーはスケーティングこそ止めなかったものの、咄嗟にその発生源に目を向けた。


 当然、そこに居たのは戦闘モードに移行した大我である。

 右手にはようやく正式名称を付けた光剣が握られている。まずはこの闘津禍剣を基本形態として、さらなる上位互換として天羽々斬や天之尾羽張、草薙剣を用いる予定となっている。

 大我は、焦燥から驚愕へと表情を変えたダンシングスノーを一瞥して、こう伝えた。


「白い奴の中に黒い奴が混じっている。見逃しやすいから、またこの兎共と闘う機会があったら、そこんところに注意しな」


「あなたは……」


「悪いな。今は自己紹介よりも悪さをする兎の始末が先だ」


「それは、そうね……」


「いい子だ。さてさて、さて。因幡の白兎ならともかく、魔物とあっちゃ容赦なく始末する他ないわな」


 ダンシングスノーとほぼ最低限の会話を交わしながら、大我の別物と変わった脳は回転し続けている。眼下にはいまだ一千匹を超える兎共が逃げ回っており、最も遠いものでは既に三キロメートルは離れているだろうか。

 残りの兎達をまとめて片づけるのに適した方法は何か? 先ほど図書館で仕入れた情報に加えて、これまで大我自身が蓄えてきた記憶と知識、情報を照らし合わせて最適解を探す。


「神楽の如く舞え、破殺禍仁勾玉やさかにのまがたま


 闘津禍剣に続いて当て字の名前がついた勾玉が、大我の首飾りから飛散し、高速で回転しながら餓鬼兎達の頭上に展開する。そして大我の思い描いたとおりに、首飾りの小さな鏡が太陽もかくやと輝きを発する!


「勾玉と鏡の合わせ技って奴だ。朝陽を拝めない代わりに、この光で消え果てるがいい。陽雨ひさめ篠突しのつき


 そして鏡から放たれた無数の熱線が勾玉へと命中し、その熱線をさらに勾玉が細かくはじき返すことによって、地上に広がっていた餓鬼兎全てを貫き、瞬時に大地ごとまとめて蒸発させる超熱量の光の雨へと変わる。

 篠突く雨ならぬ篠突く太陽光線の雨を発射した瞬間が、ちょうどザンアキュート達へ中継映像が回されたのだ。

 地上の一角だけ昼になったような明るさが一瞬で消えた後、あまりの光景に足を止めていたダンシングスノーが呆然とした顔で大我へと話しかけた。なにも考えずにほとんど反射的な動作だった。


「あなたは……なんなの? 誰、なの?」


 大我は慌てることなく、温めておいた魔法少女としての名前を告げる。最初はサングランパを思いついたが、それでは『燦のお爺ちゃん』という意味になると気付いて、考え直したのが、次に彼の口にした名前だった。


「俺はソルグランド。魔法少女ソルグランドだ!」


 特災省とそこに所属する魔法少女達、フェアリヘイムの妖精達が、大我を魔法少女の一人であると誤認した要因の一つが、大我本人も自分を魔法少女だと誤解したまま口にされたこの一言だった。

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