第3話 その名は……なんだろう?

「女神って、俺か? そんなわけないだろう。わはははは!」


 大我は助けた魔法少女の零した呟きをあっけらかんと笑い飛ばす。もしかするとこの身体は女神と呼ぶべき代物なのかもしれないが、あくまで動かしているのも、宿っているのも真上大我なのだ。神様扱いなどされても、正直困る。

 ただ、大我が今の自分が持つ神聖かつ荘厳な雰囲気、見る者の心を震わす神域の美しさ、心から支配されたくなるカリスマ性を理解していないのもまた事実。

 ましてや魔法少女の側からすれば、絶体絶命の危機を救ってくれた恩人というシチュエーションなのだから、そのインパクトたるや絶大だった。


 そうとは知らない大我は、孫娘を少しばかり重ねながら魔法少女へと近づいて、膝を突き、怪我がないか確かめ始める。孫娘が戦っているのでは、と勘違いして駆けつけたとはいえ、戦いが終わったら、はい、さようなら、ではいくらなんでも薄情過ぎる。

 大我の、傷をつける者が居たら、世界中の人々から恨みを買いそうな指が今も呆けている魔法少女の頬に寄せられ、ブラック・ダイヤモンドやジェットも敵わぬ黒い瞳が慈愛の輝きを秘めて魔法少女の顔を覗き込む。


 魔法少女は大我の瞳に映る自分に嫉妬さえした。あの瞳の中に閉じ込められたい、どうしてこの自分ではないのか、と。

 嵐の夜のように暗く荒れる魔法少女の内心を知らず、大我は魔法少女の全身をくまなく見回す。


 同時に魔法少女化した──厳密には異なるのだが──大我の五感は、目の前の魔法少女から感じ取られるプラーナが活性化しているのを把握していた。

 プラーナとは生命力。大我に心を奪われ、魂を魅了された彼女の肉体が呼応しているわけだが、大我は命の心配はない、と解釈した。


「俺は医者じゃあないが、見た限り大きな怪我はなさそうだ。自分でどっかに違和感は覚えたりしないか? 我慢はしちゃダメだぞ?」


 父性よりも包み込む母性を感じさせる大我の言葉を受けて、魔法少女はようやく我に返ると、大太刀を地面に置いて自分の身体をペタペタと触り、異常がないか確かめる。

 魔法少女の肉体はプラーナによって構築され、どれだけ欠損したとしても本来の肉体に影響が及ぶことはない。

 戦闘に際しては必要に応じて痛覚の遮断なども行われ、可憐な見た目ながら紛れもない兵器なのだった。


「大丈夫、です。どこにも異常はありません」


 その言葉が本当であるのを証明するように、魔法少女は大太刀を拾い上げてすっくと立ちあがる。

 大我よりも五、六センチほど背は低いだろうか。魔法少女の衣装の一部が破れ、髪が乱れてはいるが、出血や骨折している箇所はないようだった。


「そうかい。そりゃなによりだ。勝手に横槍を入れて悪かったな。俺はこれから大急ぎで行かなきゃならねえところがあるから、これで失礼するぜ。すぐに病院へ行きなよ? 魔法少女なら、国からの支援は手厚いはずなんだから」


 とりあえず助け舟を出した魔法少女の無事は間違いなく、大我は安堵の吐息を零して踵を返す。

 彼はまだ最愛の孫娘の無事を確認できていないのだ。急ぐ様子を見せる大我に、魔法少女は引き留めてはいけないと察したが、それでもこう問わずにはいられなかった。


「あの、私は魔法少女名ザンアキュートです。せめて、貴方の名前だけでも教えていただけませんか?」


「名前? 魔法少女としての名前か。……あ~、いや、そうだな。名乗るほどの者じゃないさ。それじゃあ、達者でな!」


 ザンアキュートと名乗った魔法少女の声には切実な想いが込められていて、縋るような瞳を向けられては、大我の庇護欲が掻き立てられて聞こえなかったふりをするのは不可能だった。

 しかし、魔法少女名など今の今まで考えもしなかった大我に答えなどあるはずもなく、人生の中で機会があったら言ってみたかったセリフを口にして、格好つけながら輝く笑みと共にその場を跳び去る。


 一気に数百メートルも跳躍して見せる大我の背中を、ザンアキュートは見えなくなるまで見送り続けた。

 その赤く染まった頬、潤みきった瞳、わずかに開かれた唇からは熱く濡れた吐息が零れだし、ああ、それはまるで……


「あの人が、あの方が、私の、ああ……女神様!」


 恋するように、堕ちるように、ザンアキュートは大我の姿が見えなくなっても、その幻影を瞳に映し続けていた。



 助けた少女から向けられる感情の重さをまるで知らない大我は、背筋に悪寒が走ることもなく、あっという間に無我身市から隣の四季彩市に到着し、見知った街並みに破壊の痕跡がないことと、戦闘が勃発していないのを確認してまずは安堵する。

 大我自身も戦闘態勢が解除されて、胸元を飾る首飾りこそそのままだが、背中の光輪は消えている。

 あんなものを輝かせながら移動していては、ただでさえ目立つ容姿なのに、注目してくださいと言わんばかりだったから、消えたのは幸いだ。


(あれからどれくらい経ったのか分からんかったが……)


 無事な高層ビルの上に飛び乗り、そこでいったん足を止めた大我は街頭モニターに流れるニュース映像から、魔物による襲撃を受けてから一夜明けただけと察する。どうやら体感時間と実際に流れた時間にそれほど差はないらしい。

 近年では魔物の襲撃に備えて、都市ともなればプラーナ探知機がそこかしこに設置され、監視用の無人ドローンがあちこちを飛び回っているものだ。大我も魔法少女と化した今の自分のプラーナを探知される可能性くらいは考える。


「あんまり一か所に留まっちゃいられないな。俺ん家は……」


 正直、自分が死んだと思ったら魔法少女に生まれ変わった経緯を、大我は飲み込みきれていない。魔法少女を管理する政府機関へ顔を出すにしても、果たして信じてもらえるかどうか。

 それになにより七十歳間近の爺が十代後半の美少女に変身した、というのは恥ずかしくって仕方がない。事情を話すにせよ、せめてもう少し大我の中で心の整理をつけてからにしたい。


「あれだ、ステルスだか光学迷彩だか出来ねえかな」


 愚痴っぽくないものねだりをして、大我は首飾りを手に取ると鏡の中の自分を覗き込み、そこに映る獣耳を生やした少女の顔に思わず溜息を零す。

 今でも鏡の中の人間離れした美少女が自分だとは信じがたいが、太くて丸い眉、いわゆる麻呂眉、殿上眉は大我の心情を現すように寄せられて、困った表情を浮かべている。


「やっぱ俺か。似ても似つかねえなあ」


 果たして元に戻れるのか、それともこれからはずっとこの姿なのか、と思わず大我が自分の現状に嘆いていると、手の中の鏡の表面が揺らめき、そこに映る自分の姿が陽炎のようにぼやけると、なにやら半透明の膜がかかったように変わる。

 なんじゃこりゃ、と大我は思わず目を見張り、鏡を手放すとしげしげと自分の手足を眺めまわす。すると鏡の中の自分と同じように半透明の膜を、というよりビニールの雨がっぱを着ているような状態になっている。


「?? んん~? アレか、俺がさっきステルスなんたらって言ったから、か? 都合がいいっつうか、なんつうか、なんでもありなんだな。魔法少女ってすげえな。ま、俺にとっちゃありがたい話だ」


 大我の愚痴をシロスケが聞き届けたのかは不明だが、大我の言う通り現在の彼は光学的に透明化し、周囲の風景と完全に同化している。

 また彼の発する熱放射、心音や呼吸音、プラーナに至るまでが遮断されており、極めて高度なステルス機能が起動している状態だ。

 これがシロスケの助けによるものだとしたなら、まさに至れり尽くせりだろう。だからといって事前承諾なしに、性転換させられた上で魔法少女に転生させられるのを納得できるかどうかは、また別の話である。


 とはいえこれで他者の目と社会の監視を気にしなくてよくなった大我は、すぐに行動に映る。

 四季彩市中心部からやや外れた郊外にあった大我の家へは、この肉体の超人的な身体能力を駆使すれば、飛んでいる鳥やドローンとの激突に気を付けて速度を調整しても、ものの数分で到着だ。

 時刻は春の夕暮れ時、彼方の空から青よりオレンジ色に染まりだし、まさに黄昏時、逢魔が時と呼ぶに相応しい時刻。

 突然の魔物の襲撃によって破壊された大我の家の玄関には、立ち入り禁止を示すテープが何枚も張られ、周囲への立ち入り禁止を告げる看板が立てられている。


「お隣さんは……ちょっと崩れちゃいるが、俺ん家よりはマシだな」


 流石にまだ瓦礫の撤去はされていないが、見る影もない二階建ての住宅と荒れ果てた庭を見て、大我はやるせなく溜息を零した。

 せめてもの救いは同居している娘夫婦が孫兄弟の四人家族水入らずで旅行に出かけて不在だったこと、そして妻もまた小学校以来の親友達と観劇に泊りがけで外出しており、留守だったことだ。

 普段は六人家族で暮らしているのだが、久しぶりに一人で過ごす時間を堪能していた大我のところに、たまたま燦が遊びに来ていて、そこへ魔物の襲撃となったのである。


「あーあー、よくもまあここまで壊してくれやがって……」


 立ち入り禁止のテープをくぐり、勝手知ったる我が家の庭を歩く大我の口から零れるのは何十年と暮らしてきた家を破壊された事への恨み節が多い。


「魔物災害の支援金が出るとはいえ、こりゃまいったな。それにこの状態では燦もウチに泊まれるわけもないし、ホテルに泊まったか、家に帰ったか?

 魔法少女なら政府の方で宿の一つも手配してくれるだろうから、そこは心配しなくていいか……」


 しかし、祖父の死を目の当たりにした燦の心痛はいかばかりか。こればかりは自分の不甲斐なさが原因とは言え、大我も悩ましい問題だ。

 こうして魔法少女になって生まれ変わったのだ、と馬鹿正直に伝えたところでどうやって信じてもらえばいいのやら。この自分が真上大我だと証明する術を、少なくとも今の大我は思いつかない。


「記憶を読むとか、心を読む魔法を使える娘がいりゃあ、話は早いんだろうが……。気分の良い話じゃないし……」


 大我は壊れた家の瓦礫に足を取られないように気を付けながら歩き回り、なにか使えるものはないかと探し回る。

 ほとんど前兆なく出現する魔物災害において、魔物は人口の多い都市部ほど出現する頻度の高い傾向にあり、現在では人口百万人を超える都市は世界中を探しても見当たらない。

 また魔物の出現に備えて市内各地にシェルターが設置され、各家庭にはいつでも逃げられるようにと、すぐに持ち出せるように荷物をまとめてあるのが当たり前だ。大我が探しているのは、その荷物である。


「いや、待てよ? 俺は“俺”が真上大我だと知っているが、証明のしようがないんだし、俺のものだからといって勝手に持ち出していったら、火事場泥棒になるのでは?」


 起動中のステルスの効果で、家から荷物を持ち出したのが大我だとはバレないだろうが、誰かが勝手に敷地に入って火事場泥棒を働いたのは分かる。

 そうなったら心無い誰かの行いに、大我の家族やご近所の人達も悲しみ、憤るだろう。さらなる心労を重ねるような真似は避けたいのが、大我の偽らざる本音だ。


「どうするか、いや、背に腹は代えられんし……ん?」


 どうしたものかと足を止めて頭を悩ませていると、大我の頭から生える獣耳が音を拾ってピコピコと先端を動かす。拾った音は一人分の足音だ。まっすぐに崩壊した真上家を目指してくる。

 ステルスが効いているとはいえ、一応、姿を隠しておいた方がいいだろう、と一階の奥にあった和室の壁だったものの影に隠れる。身を屈めて、息も潜めて、そっと壁の影から顔を覗かせた大我は、立ち入り禁止テープの向こうで足を止めた少女──燦の姿に目を見張る。

 魔物に家を襲われたあの時、魔法少女となった燦が魔物を倒したのは見ていたから、無事だろうと思ってはいたのだが、こうして直接無事な姿を目にすると安心の度合いは大違いだ。


(まずは燦が怪我もない様子で一安心、なんだけどよぉ。あんな思いつめた表情をさせちまっているのは、ちょっとというか、かなりキツイ、な)


 紺色のワンピースにベージュのジャケットという私服姿の燦は、崩れ落ちた祖父の家を前にして小さな拳を力いっぱい握りしめ、顔を俯かせている。

 祖父として贔屓目はあるかもしれないが、燦はその名前の通りに明るく元気いっぱいの女の子だ。笑顔を浮かべればつられて周囲の皆も笑顔になり、元気をもらえる、そんな子に育っている。

 だが、救えなかった祖父の家を前にする彼女の瞳は暗く沈み、唇は強く噛み締められている。それこそ、掌も唇もいつ血が流れてもおかしくない様子だ。


(あああああああ、俺は無事だってここは飛び出すべきでは? いや、しかし、燦からしたら祖父を名乗る見知らぬ女の子が、祖父の家から出てくるわけで……状況が、状況が悪い!

 ここで動いてもむしろ燦に不審者扱いされるだけというか、逆鱗を無理やり引きはがすだけでは!?)


 まったくもってその通りだった。せめて真上大我だと証明できる手段があればともかく、今のまま燦の前に姿を見せてお爺ちゃんだ、と名乗り出るのは悪手も悪手。


「お爺ちゃん、私、頑張るから。魔物なんかに絶対に負けない。私が魔物は全部やっつける!!」


(ああああああああ、いや、やっぱり名乗り出て、いや、名乗り出ても裏目にしか出ない。出ないと分かってはいるけれども、しかし名乗り出て安心させてやりてえ。でも安心させられねえ。今の俺が不審者過ぎる!!!)


 頭を抱え、胸を搔きむしり、悶絶する大我の姿が見えていたなら、燦は迷うことなく警察を呼んでいただろう。大我が名乗り出るべきか、出ないべきか、この二つの問いを前に心を千々に乱している間に、燦はこの場を立ち去って行った。

 おそらくこれからの戦いに向けて、亡き祖父へ誓いを立てに来たのだろう。大我の見た目だけは神秘的な微笑の口から、うごごごご、と形容しがたい言葉にならない言葉が溢れ出る。


「うごごごごご……あ、帰っちまったか。……俺も、帰る……どこに帰る? とりあえずはあの神社か。あの坂から出たところがあそこだったし、俺が使ってもおそらく大丈夫だべ」


 今は孫娘の無事を確かめられただけで満足しよう、と大我は思考を切り替えて、前向きに行動しようと自分に言い聞かせる。

 こうして落ち込んでいても仕方がない。いつか燦をはじめ、家族に自分がこんな姿になったが、生きていると告げられる日も来るだろう。

 燦が遠ざかったのを確認してから大我は立ち上がり、ヤレヤレと言わんばかりに頭を左右に振るう。傍目に見ても落ち込んでいるのは明らかだったが、無理をしてでも行動しなければならない時だろう。


「お、氏神様はご無事か」


 大我の視界の端に小さな祠が映った。敷地の隅に建てられたソレは、大我が口にした通りこの地域の氏神様を奉った祠である。

 魔物による家屋の破壊からは免れて、祠とその中のご神体にも傷はない様子だ。


「不幸中の幸いかね。俺がこうなったのもシロスケだけじゃなく、氏神様に導かれたからかねえ。一応、拝んどくか」


 人が来る前にそれだけしておこうと、社の前に進み出た大我は祠の扉が開いて、中に収められたご神体の小さな鏡が見えるのに気づき、そこに自分が映った途端、グラリと天地の揺らぐ感覚に襲われる。


「なん? じゃ、こりゃ、あああ!?」


 次の瞬間、大我は頭から鏡の中へと吸い込まれ、一瞬の軽い酩酊感と浮遊感の後で大我が放り出されたのは板敷の部屋の上だった。頭から倒れ込む姿勢で腹を打った大我は、おっふ、と息を吐きながら膝を着いて立ち上がり、周囲を見回す。

 大我の背後、部屋の奥には直径五十センチほどの飾り気のない鏡が台座の上に鎮座しており、どうやらそこから大我は出現したらしかった。

 家具の一つもありゃしない部屋を見回した後、ずいぶんと古びた戸を開き、外を見ればそこは四方八方を白い霧に囲まれた例の神社だ。


「図らずもあの神社に戻ってきたってわけか。鏡を通じてワープした? 便利と言えば便利だが、誰かあらかじめ説明してくれよ。本当にさあ、マジでよぉ」


 長いこと手入れのされていない様子の境内、表面がすっかり摩耗した狛犬、賽銭箱と鈴付きの紐も年季が入っている。

 参道を下った先には荒廃した無我身市が広がっていたが、霧の向こうにはなにがあるのやら。また黄泉比良坂に逆戻りでなければ、とりあえずは幸いか。


「どうするか。周囲の散策をして状況を把握するか。無我身市に出てなんとか生活できるようにも、色々と物色してくるか?

 それも火事場泥棒か、でもまあ、半世紀近く経っているし、食料は缶詰でも駄目になっているだろうし、服とかも使えるものがあるかね? 流石にこの格好と耳と尻尾で街中は出歩けねえし、政府に新しい魔法少女ですって出向いた方が……」


 現状、燦を助けるのは大前提として、そうする為にどうするのが最善なのかを判断する材料が少なすぎるのが、大我の問題点だ。幸い、お腹は減っていないし、喉も乾いていないが、この体がいつまで飲まず食わずの状態で動けるか分かったものではない。

 プラーナは生命力だ。当然、飢餓状態に陥ればプラーナも弱くなり、魔法少女としての戦闘能力も大幅に減少する。そうなっては燦を助けるどころか、自分の身を守るのだって危うい。


「後ろ盾のない魔法少女ってのは、世知辛いなあ……」


 思わず頭を抱える大我だったが、そんな彼を導くように本殿の中から戦闘中と思しい少女達の声と爆発音が前触れもなく聞こえてくる。思わず耳と尻尾をピンと立てて、大我は驚きをそのままに慌てて本殿へと駆け込む。

 音の発生源はあのご神体と思しい鏡だった。

 鏡面には地上から空を見上げる構図で、夕闇が訪れつつある空を舞台に、ジャンボジェット並みの巨体を持つ首の長い怪鳥とその幼体らしき一メートルほどの怪鳥の群れ、そして二人の魔法少女が交戦している様子が映し出されている。


「おいおいおい、これは、どこで戦っている? ありゃ富士山か? どうしてそんなところの戦闘の様子が……。ひょっとして、燦の代わりに戦ってやりてえって願ったが、燦だけじゃなく他の魔法少女達のことも助けてやれって、そういう意味なのか、シロスケ?」


 シロスケの答えはない。だが、こうして魔法少女として戦う力を与えられた上で、生き返らされた以上、なにかしらの代償が求められていると考える方が自然だ。

 そして孫娘だけでなく、他の魔法少女の為にも戦うのが代償ならば、それは大我にとって悲観するべきものではなかった。


「いいじゃねえか。子供に命がけで戦わせてるのを、悔しい思いをして見ている事しかできねえ大人の代わりに、戦ってやるさ!」


 意を決した大我の背後に再び光輪が浮かび上がり、彼の目元に紅が刷かれる。プラーナを高まらせ、更に強大な力を宿したとは知らず、大我は意気揚々と鏡の中へと飛び込む!

 推測の通りならこの霧に包まれた神社の鏡を通して、全国の祠や神社の鏡へとワープできるはずだ。はたして、大我の読みは的中する。

 おそらく青木ヶ原樹海と思しい場所で、絡み合った木々の中に埋もれていた、ひび割れた鏡から、大我は勢いよく飛び出したのだ。空中に躍り出た大我は、そのまま地面があるかのように立ち止まり、上空で死闘を繰り広げている怪鳥の群れと魔法少女達を視界に収める。


「あのでかいのが本命で、周りの小さいのは子供と言うか分身ってところか」


 高度五千メートル近くで戦闘している両者を認識した大我は、次にどうするべきかを思案する。下手に横やりを入れて魔法少女達に不利に働いては堪ったものではない。

 自分に出来る事をよく分かっていない大我としては、いったん落ち着いて状況を見極める必要があった。幸い、魔法少女達はまだ余裕のある様子だ。大我は再びステルス機能を起動し、上空を目指して飛び上がり始めた。


 一方、怪鳥型の魔物も魔法少女達もステルスを起動中の大我の出現に気付けずにいた。

 怪鳥は灰色の羽毛に包まれ、首の長いハゲワシを思わせる姿の巨大な個体だ。

 その周囲に同じ姿だが、格段に小さい幼体が何十羽とまとわりつき、巨体故の死角をカバーする動きを見せている。

 戦闘機よりも速く、ヘリコプターよりも小回りが利き、戦車よりも頑丈で、プラーナを利用した光学兵器モドキやミサイルを多数備えた厄介な相手である。


 残念ながら魔法少女達に自衛隊機による援護はない。これは高密度のプラーナで構成される魔物を倒すには、同じくプラーナをぶつけるのが唯一にして最善手であるからだ。

 たとえ核兵器を用いようとも、魔物には火傷一つ負わせられず、放射能汚染もなんら意味をなさない。

 それをするくらいならプラーナ増幅器を積んで、パイロットごと戦闘機や戦車をぶつけて、パイロットの命=プラーナと引き換えにして、小さな傷の一つもつけた方が、まだ効果があるくらいだ。

 現代兵器と人類文明に圧倒的なアドバンテージを持つ魔物に対し、その格差をひっくり返せるのは、魔法少女だけなのだ。


 そして今、怪鳥と戦っているのは銃身の長い重機関銃を抱え、腰の裏に戦闘機の翼とジェットエンジンらしいパーツを付け、戦闘機のパイロットを思わせるフライトジャケット風の衣装とヘルメットと言う、魔法少女らしからぬ衣装の魔法少女スカイガンナー。

 もう一人は空手や柔道の道着をベースに、胴体は茶色く、四肢は虎を思わせるデザインに黄色に黒い縞模様の巨大なナックルやレッグガードで覆い、お尻からは金属製の蛇を尻尾代わりに生やした魔法少女クリプティッドエヌ。

 戦闘中でも気だるげな印象を受ける表情のクリプティッドエヌは、魔法少女に変身するのに伴って、黄色く変わった三つ編みを揺らしながら、長々と戦い続けている状況を変えようとスカイガンナーに合図を送った。


「叫ぶから、耳、塞いどいて」


 超音速での戦闘中に、声での意思疎通はほぼ不可能だ。クリプティッドエヌからの声は、プラーナを触媒としたテレパシーによってスカイガンナーの脳裏に響き渡る。

 スカイガンナーは担当地域が同じクリプティッドエヌとの共闘経験の多さから、すぐに相方が何をしようとしているのかを察して、ヘルメットを遮音モードに切り替える。


 クリプティッドエヌは思い切り息を吸って肺を膨らませて、あらんかぎりの絶叫を放って、半径一キロメートル以内に音の狂気を齎す。

 彼女のモチーフとなっている妖怪『鵺』はトラツグミを思わせる不気味な声で鳴き、時の天皇が病にかかるなど、不吉な出来事を齎したという。

 そんなクリプティッドエヌの喉から放たれた咆哮は、不可視の衝撃となって怪鳥の群れに襲い掛かり、彼らに回避も防御も許さず巨体を構築するプラーナそのものに作用して、一時的な麻痺状態を引き起こす。


 喉への負担とプラーナの消費量から、二十四時間に一度しか使用できない奥の手『ミステリアス・ロア』が確実に効果を見せた瞬間を、相方の魔法少女は見逃さない。

 愛銃と両翼のミサイルポッドから、ありったけのプラーナ製の銃弾と小型ミサイルを怪鳥の頭部から首元に掛けて叩き込む!


「ぶっ壊れろ!!」


 気の荒い十代のスカイガンナーは、ここまで自分達をてこずらせた怪鳥に、たっぷりの苛立ちと怒りを交えてトリガーを引きっぱなしにして撃ち込み続けた。

 プラーナを消費して銃弾とミサイルを生成する為、排莢はなかったが、もしあったら地上に空薬莢の通り雨を降らしただろう。

 スカイガンナーのプラーナと怪鳥のプラーナとが反応し、お互いを食らい合って消滅する発光現象が連続し、クリプティッドエヌの咆哮から回復した時にはすでに遅かった。


 射線上にいた小型の怪鳥もまとめて吹き飛ばし、周囲を埋め尽くす爆発的な光が生じる。

 両者のプラーナが入り混じり、プラーナ感知では怪鳥の撃破の成否が分からない為、スカイガンナーは油断なく両手で構えた重機関銃マーヴェリックのマガジンを交換する。

 これはあらかじめプラーナで生成しておいた銃弾をマガジンに詰め、交換する事で、本人のプラーナ消費を節約する為だ。携行しているマガジンが無くなるか、交換する手間を惜しむような状況になれば、直接、本人のプラーナ消費へと給弾方法が切り替わる。


「見えるか、ヌエ!」


「見えないけど、警戒は怠らない。それと、あたし、ヌエじゃなくて、エヌ。間違ないでって何回言えばわかる?」


「だってモチーフは鵺なんだろう? だったら素直にヌエにしとけよ。なんでエヌなんて間違いやすい名前にするん?」


「N・U・Eのエヌ」


「ますますクリプティッド『ヌエ』でいーじゃん!」


 二人が警戒を維持しつつ、言い合っている間にプラーナの光は大気中に拡散し、その中から頭部が半分ほど吹き飛び、首が千切れかかっている、瀕死の怪鳥と数を減らした幼鳥達が姿を見せる。

 飛行速度は時速四百キロほどに低下しており、高度を維持できずにどんどんと下がっている。この調子なら、もう一撃で終わりだ、とスカイガンナーもクリプティッドエヌも認識を共有した。


「このまま!?」


 スカイガンナーが照準を付け直した、まさにその時、残っていた幼鳥達が半死半生の怪鳥へと群がり、激突するのと同時にスライム状になり、そのまま怪鳥の傷を修復し始めるではないか。


「なるほど? いざという時の回復薬」


「言っている場合か、あんにゃろ、もう全快したぞ!」


 ものの一、二秒でプラーナを補填して損傷を修復した怪鳥は、その全身に丸いレンズを出現させると、そこから一斉に光線を放つ。数十と放たれる光線に、二人は言い合いを中断して慌てて回避行動に入る。

 幸いホーミング機能はなかったが、下方から間断なく放たれる光線に反撃をする余裕はなく、更に怪鳥の羽毛が震えたかと思うと、次々と抜け落ちてそのまま二人を目掛けて襲い掛かり始める。

 羽型のミサイルだ。ハリネズミを思わせるビームの嵐に加えて、誤射のない羽毛ミサイルの組み合わせは、一気に戦況を逆転させる爆発力を備えていた。


 二人が回避に専念している間に怪鳥は速度を取り戻し、音速を超えた速さで二人の周囲を重力も大気も知らぬとばかりに、縦横無尽に旋回して絶え間ない攻撃を続ける。

 回避し続けていられるのも時間の問題だと、すぐに二人は理解し、かつ状況を打破する手立てがお互いにないのも理解していた。


 被弾覚悟で突っ込み、怪鳥を撃破するにしても今一つ火力が足りない。魔法少女の応援を期待するには、もう少し時間が要るだろう。その時間を稼げるか──有体に言って窮地であった。

 しかして救いの手は伸ばされた。自分のことを魔法少女だと思っている、魔法少女ではない老人の伸ばした手が、彼女達の命を救う。


「行け、彼女達を守れ!」


 スカイガンナーとクリプティッドエヌに殺到するはずだった羽ミサイルとビームを、四方から飛来した高速回転する勾玉達が撃ち落す。大我の首飾りを構成する勾玉達である。

 この時、攻撃と同時にステルスを解除した大我の圧倒的な、いっそ暴力的なまでのプラーナが戦場を満たす。


「なん、こりゃ、嵐か!?」


「そんなものじゃ、まるで、太陽!」


 大我の出現に驚愕したのはきっと怪鳥も同じだった。それまで二人に向けていた攻撃の全てを、自分の真下から接近してくる大我へと向けて集中させる。

 判断の速さと正確さは見事と言っていい。惜しむらくは彼/彼女の取った行動が、まるで通じる相手ではなかったこと、これに尽きる。

 自分を目掛けて降り注ぐビームと羽ミサイルに視界を埋め尽くされる中、大我はほとんど反射的に力を行使していた。あるいは幼少期から嗜んでいたバトル系漫画やアニメのお陰もあったかもしれない。


「なんか出ろ!!」


 叫ぶよりも早く大我の右手には黄金の光で形作られた、拳十個分の刃渡りを持った剣が握られ、ビームよりも速い一閃が降り注いでいたビームもミサイルも、その斬撃の圧をもって消滅させる。

 さながら太陽風にも似た圧倒的な暴威は、しょせん、地球の上で誕生した程度のスケールに収まる魔物の手に負えるものではない。光剣を振り抜いた姿勢から、大我はそのまま加速し、怪鳥が再び一斉発射をする暇を与えず、その頭から尻までを一気に両断する。

 怪鳥は斬られるのと同時に光剣の持つ莫大な熱量に抵抗を許されず、一瞬で灰すら残せずに消滅していった。


 そうして救われた二人の魔法少女は、夕暮れの空を真昼のように照らし出す、太陽の化身のごとき、光輪を背負い、光り輝く剣を携えた大我を見た。

 夕闇が自ら退き、太陽の威光を遍く知らしめるかのごとき大我の姿は、ザンアキュートが心酔して崇敬したように、魔法少女の枠を超えた存在としか見えなかった。

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