第2話 なにはともあれ力

「死んだと思ったら見知らぬ坂の上に立っていて、昔遊んだ犬に再会した。んで、坂を上った先で桃を食って犬に突き飛ばされて、気付いたら人気のねえ神社で、女の子の体になっていましたってか……。無茶苦茶過ぎんだろぉ」


 孫娘と同じころ、いや、もう少し年上の美少女、それも獣耳と尻尾付きの体になっていた自分の現状を振り返り、大我は頭を抱えてしゃがみこむ。

 見た目だけで考えれば、人間離れした美少女のはしたない所作なのだが、中身は中学生になる孫娘持ちのお爺ちゃんだ。いきなり女性らしい振る舞いをしろ、という方が無理だろう。

 誰もろくに説明してくれない状況は、大我の精神を打ちのめすのに十分な破壊力を持っていたが、ここで大我の脳裏に、涙を浮かべてこちらに駆け寄る魔法少女姿の孫娘がよぎり、勢い良く立ち上がる。


「そうだ! 燦!! 死んだはずの俺がどうしてこんな姿で生き返ったか知らんが! こうしちゃいられねえ! バケモンはぶっ倒したみてえだが、また戦っているかも知れねえじゃねえかよ」


 孫娘の泣き顔に思い至るのと同時に、大我の頭の中で渦を巻いていた無数の疑問符や混乱ははるか彼方へと吹き飛び、彼──彼女? は後先を考えずに木々の向こうを白い霧で覆われた、明らかに異常な神社の参道へと向けて駆け出す。

 ところどころ罅の走っている石の鳥居を猛スピードでくぐり、参道の左右どころか降りた先まで真っ白い霧に閉ざされていたが、大我の脚は怯まず動き続ける。

 こう、と思い込むと後先を考えずに突き進む困った性格の大我だが、少なくとも泣いている孫娘の為を思えば、火の中水の中に飛び込むような、そんな愛情の持ち主なのは間違いなかった。


「うお!?」


 野となれ山となれ、と霧の中に突っ込んだ大我は、いきなりガラリと変わった光景に目を見張り、流石に速度を緩めた。

 先ほどまで四方八方を埋めていた霧はどこへやら、そこは曇天に覆われた廃墟の街並みが広がっていたのである。

 あまりの風景の変わりように思わず大我が叫んだのは、それだけが理由ではなかった。


「こりゃあ、ここは、無我身むがみ市か? とっくの昔に魔物の襲撃で廃棄された都市じゃねえか」


 そして大我にとっては生まれ育った故郷でもある。

 燦が遊びに来ていたあの家は、魔物の襲撃と撃退の代償として、壊滅したこの無我身市から引っ越した先だ。多くの思い出はあるが、郷愁を誘うのは人っ子一人いなくなった、この朽ちた都市である。

 今も瞼を閉じればありありと鮮やかな色彩と共に、昔の光景を思い出せる。

 現実と記憶とのギャップが強すぎて、足を運ぶ気にもなれなかった故郷に、なんの因果か大我はいるのだった。


「ここは……あの神社は無我身神社だったのか? なんとなく見覚えがあるとは思っちゃいたが。いや、そんな事は後で調べればいい。今は、とりあえず家に戻って、燦の様子を確かめるのが先なんだ。それを間違えちゃいけねえ」


 幸い無我身市の地理はまだ頭に残っている。交通網が壊滅し、電車もタクシーも使えないのは厳しいが、幸い、はるかに健康で丈夫な足を与えられている。走ってゆくのみだ。


「途中で自転車でも落っこちてりゃいいが、流石に車は使い物にならんだろうし」


 無我身市が放棄されてから数十年。道端や駐車場に放棄された自動車はどれも使い物になるまい。大我は腹を括って再び全速力で駆け出し、すぐにこの体の異常さを改めて理解させられた。


「!? なんだこりゃ、本当に人間か!」


 大我に与えられた少女の肉体は一歩目から時速四百キロに達し、更にぐんぐんと加速してゆく。呼吸は一切苦しくなく、肉体的な苦痛もまったくない。

 見る間に後ろに流れて行く光景も、つぶさに認識できており、ふと意識を集中してみれば耳も鼻も人間だったころとは比べ物にならないほど鋭敏になり、膨大な情報を収集して大我の脳に伝えてくる。

 老人だったころとは比較にならない情報量を問題なく受け止め、処理できているのは脳もまたこの肉体に相応しいスペックを持っているからだろう。あまりの性能の違いに大我は戸惑いを禁じえない。


(一体、俺になにが起きているっていうんだ? あの坂でシロスケは俺をどうしたかったんだ? ……坂、坂か。死んだと思って、気付いたら居た坂。……神社、桃、坂。まさか、黄泉比良坂よもつひらさか? 日本神話のアレか?

 イザナギノミコトが死んでしまった妻のイザナミに会いに行った、あの? 確か、イザナギがイザナミの姿を見てはいけないという約束を破り、腐って蛆の湧いたイザナミの姿を見て、怒ったイザナミに黄泉醜女よもつしこめをけしかけられて……)


 大我の若かりし頃、IT関連の技術が著しい発展を遂げ、その過程で誕生した無数のアプリやソーシャルゲーム、サブカルチャーに触れてきた彼は、よくモチーフとされる各国の神話やおとぎ話にそれなりに詳しくなっていた。

 母国の神話についても、ジュブナイル小説やライトノベルでもよく題材になっていたので、まあまあ知っている。ただ、あくまでもふわっとした知識止まりで、間違った解釈と記憶の仕方も山盛りときているのが問題だ。


(なんだったか、葡萄やら筍やらを投げつけて……え~と、更に別の追手が来たのを、桃を投げつけて追い返したんだっけ? そうだ、桃だ! 桃太郎のお爺さんとお婆さんが食べた桃も、話によっちゃ若返りの効果があった特別な奴じゃなかったか?)


 おそらく魔物の襲撃で死んでしまった自分の魂が、黄泉比良坂に辿り着き、そのまま坂を下れば完全に死ぬところだったのを、昔なじみのシロスケが引き留めて救ってくれたのだ。

 その上、大我に桃を食べるように仕向けたのもシロスケだろう。昔から神聖な果物として特別視されている。日本ではオオカムヅミという神としても呼ばれ、信仰されているほどだ。


(桃を食べて生き返ったとして、となるとシロスケもありゃ普通の犬じゃなかったんだな。いつも神社で見かけたし、山犬、狼を神の遣いや神そのものとしても崇めたっていうし、あながち的外れな考えじゃなさそうだ)


 ぐるぐると頭の中で考えを巡らせている間にも、大我の脚は人間離れした速度で駆け抜け、道路を走るのでは効率が悪いと大我が感じた瞬間には、ひび割れたアスファルトを蹴って大きく飛び上がり、何百メートルも先にあった家屋の屋根に飛び移る。

 そうして屋根から屋根へと飛び移って、四季彩市にあった自宅への最短ルートを進む大我の視界に、半分から上が消し飛んだ高層ビルや大小のクレーターによって吹き飛ばされ、跡形もない住宅街、虫食い穴状態の団地、ねじ切られた鉄塔など、見るも無残な破壊の痕跡が次々と映り込んでは流れてゆく。

 大我が無我身市で暮らしていたのはもう六十年以上も昔の話だが、驚くほど鮮明に当時の光景が心の中に蘇り、破壊された今の姿とのあまりの違いに、大きな衝撃を受けていた。


「一つの都市をこんな風にしちまえるのが魔物で、その魔物と戦うのが魔法少女か。そんでもって、俺の孫娘が魔法少女の一人かよ。

 シロスケよぉ、俺をこんな姿にしたのは、俺が燦に代わってやりてえって、そう思ったのをどっかで聞いていたからなのかい?」


 根拠はないがほぼ確信している大我の呟きに、シロスケのワン! という答えが返ってくることはなかった。

 まるで弾丸のように荒廃した都市を駆け抜け、比較にならないほど鋭敏化し、かつそれに対応できる頭脳と肉体、肉体だけでなく心にまで満ち満ちる正体不明の力……

 大我はまず間違いなく自分が魔法少女になっている、とそう推測していた。誰も正解か間違いか教えてくれはしないが、普通の人間でないのだけは間違いない。耳と尻尾が生えていることだし。


 これなら本当に燦の代わりに戦ってやれるかもしれない、と大我が自分の変化を前向きに捉え始めた時、彼の研ぎ澄まされた鋭敏な感覚は、進行方向から発せられる大きな力の激突を感知する。

 チリチリとうなじの毛が逆立ち、尻尾がぶわっと一瞬で膨れる。全身の肌に静電気のような感覚が走り、黒い満月のような瞳には青黒い光の柱が何度も立ち昇るのが見えた。

 この時の大我には分からなかったが、光の柱は魔法少女の放つ魔力を可視化したものであった。すなわち、魔法少女が戦っている、という目に見える証拠だ。


「燦か!?」


 もしや孫娘が命がけで戦っているのか? その考えに思い至った瞬間、大我が足場にしていた斜めに倒れた電信柱がパウダー状に砕け散り、彼の体は音の壁を超えた。

 まるで戦いの心得など無いまま、感情に突き動かされて突っ走った大我の瞳に映ったのは、巨大な片端の斧と大楯を構え、兜からクワガタのような角を生やした黒い鎧武者の魔物と、その魔物を前に膝を着く見知らぬ魔法少女。


「誰!?」


 魔法少女違いであった。だが孫娘とそう変わらぬ年頃の少女の絶体絶命の窮地。この時点で大我の中から、魔法少女を見捨てるという選択肢は消滅していた。

 このままだと彼女らの頭上を飛び越える軌道だったのを、なんとか修正しようと考えるのと同時に、意思の通りに大我の体は微妙な軌道修正を行い、彼はようやく自分が空を飛べることに気付いた。


「こんの、バカタレがあっ!!!」


 大我の渾身の叫びと共に繰り出された流星のような蹴りが、鎧武者が咄嗟に掲げた大盾に命中し、戦車の砲弾が着弾したような轟音と共に鎧武者を一気に吹き飛ばす。

 後ろにあった家屋を巻き込みながら、何百メートルも彼方へと吹き飛ぶ鎧武者から視線を外した大我は、自分がさらに故郷を破壊したことに血の気を引きながら、助けた魔法少女を振り返る。


 魔法少女の見た目は毛先が青く変色した黒い髪を腰に届くまで伸ばし、大人びた顔立ちはすれ違う人々がハッと目を引くだけの美しさをすでに備えていた。

 可愛らしさより美しさが目立つ顔立ちだが、生命力でもあるプラーナの消耗により、顔色はずいぶんと悪い。あの鎧武者の魔物との戦いで、相当に追い詰められていたのは、一目で明らかだ。


 魔法少女としての衣装は、青地の着物の上衣に、ふわりと裾の広がった同色のフレアスカート、スカートの内側には白いレースが何枚も重なっていて、スラリと伸びた華奢な足は薄手の黒いタイツに包まれ、足元は編み上げブーツとなっている。

 得物はかろうじて右手に握っている、刃渡り一メートル近い大太刀だろう。魔法少女として新人なのか、ベテランなのか、大我にはまるで分からないが、大我の心にあるのは“心配”だけだった。


「大丈夫かい?」


 ありきたりな言葉だったが、助けられた少女にとってはなによりも聞きたかった言葉に違いない。

 なにが起きたのか、自分が助かったことさえ分かっていない様子だったのが、大我の一言で表情がくしゃりと歪むと、切れ長の瞳からボロボロと涙をこぼし始める。


「は……い、はい! だいじょうぶ、です」


「ん、そうか。なら、少し下がってな。ちょっと手加減が出来そうになくってよ」


 これが魔法少女の厳しい一面だ。メディアでは華やかに活躍する魔法少女達が報道される一方で、まだ二十歳にもならない彼女達が時に敗れ、このように命を危機に晒される事実は滅多なことでは報じられない。

 魔物災害に対する人類の希望である彼女らの敗北が、人心に与える負の影響が大きいのは大我も理解するが、こうして傷つき、九死に一生を得た少女が涙を流す姿を見ると、これまでの自分にも、今の魔法少女に負担を強いる世界にも馬鹿野郎と大声で叫びたくなる。


 ぎりぎりと音を立てて大我の拳が強く握りしめられ、彼の知らぬ間にあふれ出すプラーナの圧力が、助けた少女の頬を打つ。そして大我は先ほど蹴り飛ばした鎧武者の魔物を振り返る。

 鎧武者は自分の上に積み重なった瓦礫を吹き飛ばし、立ち上がるとまっすぐに大我を見る。大我の蹴りを受けた大楯は大きく窪み、罅が走るのと同時にそのまま砕け散って、鎧武者は斧を振り上げた姿勢で一気に踏み込む。


 鎧武者の足元で爆発が生じ、廃墟に瓦礫の雨を降らせながら、鎧武者は戦車の砲弾を正面から受けても跳ね返す突進力で、大我との距離を見る間に詰める。

 大我の背後の魔法少女がなんとか迎撃しようと、膝を震わせながら立ち上がろうとする一方で、大我は鎧武者から発せられるプラーナの圧に微塵も揺るがない。


 魔物相手はおろか人間相手にだって、刃傷沙汰の経験がない大我は、本来、怒りを燃やしていたとしても、魔物を相手に怯まずにいられるわけはない。

 神がかった美貌に毛筋ほどの怯えも動揺もないのは、やはりそのように作り替えられたからか、死を一度経験したことによる変化か。答えはまさしく、神のみぞ知る、だ。

 そして、大我の知らないところで彼にさらなる変化が生じる。千早を重ね着した巫女装束モドキだった彼の首に、いくつもの翡翠らしき勾玉と小さな銅鏡を組み合わせた首飾りが出現し、後頭部を中心に太陽を思わせる光の輪が生じていたのだ。


「だぁりゃあっ!!」


 社会人になっても読んでいたバトル漫画を思い出し、大我は自分を目掛けて振り下ろされる斧と鎧武者の面頬めんぽおの奥で光る紫色の光を、氷の眼差しで見つめる。

 心臓と頭の奥から力が、プラーナが無尽蔵に湧き出し、大我の全身に漲って魔法少女としても常識外れのパワーを生み出す!

 雷が落ちたような轟音が鳴り響き、大我の右拳が振り下ろされた斧を真正面から砕く!

 更に左の拳が曲線を描いて鎧武者の右側頭部に命中し、一切の抵抗を許さずに頭部を吹き飛ばした!


「消えろ!!」


 自分、世界、魔物に対する怒りの収まらぬ大我は怒声と共に右足で思い切り鎧武者の胴体を背中までぶち抜き、一体どれだけの力とプラーナが込められていたのか、鎧武者の全身を木っ端みじんに吹き飛ばす。

 そればかりか蹴りの衝撃が天にまで届いたのか、廃墟に重く圧し掛かっていた灰色の鉛空にぽっかりと穴が開き、そこから覗く青空から神々しい光が差し込んでくる。


 降り注ぐ金色の光は、まるで祝福するかのように大我を中心として降り注ぎ、白い髪、後頭部の光輪、首飾りと装束をまばゆい光の粒が飾り立てる。

 数千粒の光のきらめきを纏う大我の荘厳さ、神々しさ、この世のものとは思えぬ神秘さに、大太刀の魔法少女は呆然とただ見つめる事しかできない。

 大我は怒りを吐き出し、鎧武者の魔物を消滅させたことで溜飲が下がり、頭に上った血を鎮めようと試みる。


(落ち着け、落ち着け、俺。子供を怖がらせちゃいかん)


 こう自分に言い聞かせて心の平静をなんとか取り繕い、にっこりと笑いかける。

 この世のものとは思えぬほど整い過ぎている為に、人間離れした冷たさを感じさせる美貌が、子供を案じる老人の心によって血が通い、神聖でありながら親しみやすさを併せ持ち、威厳とぬくもりが絶妙に混ざり合う微笑みとなる。

 黄金の日差しを浴びる自らの救い主を前に、魔法少女はわけもわからず新しい涙を流しながら、自然と口にしていた。


「めがみ、さま?」


 この日、この瞬間、一人の狂信者/信奉者が生まれたのであった。

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