第27話 初陣vs僕

 ガラスが割れる音が近づいてくる。ガラスの割れる音に近づいていく。ダストはガラスを丁寧に一枚ずつ割りながらこっちに向かっているようだ。賢いのか馬鹿なのか分からない。ガラスが割れる度に、車体が僅かに揺れる。何のためらいもなく前進する自らの足をピタリと止める。


 「いた」


 貫通扉のガラス越しにダストと目が合う。向こうも僕に気付いたのか、さっきまでガラスを割って飛び回っていた体の動きを止めて、頭をこちらに向ける。ダストを目の当たりにしても僕は冷静だった。何故だろうか。誰も見てないから?周りに誰もいないから?扉越しで距離も離れているから?動物園の檻の中にいる動物を見ているような安心感があるから?


 それは違う。僕たちは今同じ檻の中にいる。あのダストと僕の関係は見世物と客ではない。見世物と見世物だ。古代のコロシアムで行われてきたような殺し合いが今、始まろうとしている。違うのはそれを見て熱狂的な、狂気に支配された歓声を上げる観客がいないことだ。冷たくて静かに盛り上がる雨が、僕たちのコロシアムである電車の屋根に打ち付ける。雨音は拍手のように、僕たちの遭遇を喜ぶように強く大きくなる。


 「よし!...やるぞ」


 刀の柄を力一杯握りしめて、貫通扉のガラス越しに対面するダストに背を向けて走り出す。僕が背を向けるとダストは耳障りな雄叫びを上げる。散らばったガラスの破片がダストの足と床に挟まれて悲鳴を上げている。それを聞いてから再びダストのいる方向まで走る。ダストはこちらに全速力で向かってきている。それを見ても怖気づくことはない。


 作戦は決まっていた。あのイノシシのダストはデカい。体がデカい割には足も速い。あのスピードから逃げ切るのは不可能だ。体がデカくて、足が速い奴の体当たりが直撃したら確実に死ぬ。車に轢かれるよりも悲惨なことになる。死んだ後も苦しむことになりそうだ。加えてジャンプ力も凄まじいものだ。ホーム側から窓ガラスを割って飛び込んでくるならともかく、何の踏み台もない線路側からガラスを割って車内に飛び込んでくる。デカいくせに速くてジャンプ力もある。一見無敵に思えるが弱点もある。


 さっきアイツの突進が真横を通り過ぎて行った時だ。アイツは自らが作り出した勢いを止めることが出来ていなかった。そのため電車の扉を突き破った後、しばらくこっちに来なかった。恐らく勢いを殺しきることが出来ずに、どこか遠くまで飛び出してしまったのだろう。このことから細かい動きをすることは出来ないと断定をしても問題はない。あの巨体で小回りは利かない。体がデカいと言っても電車が窮屈に感じるほどではない。ギリギリこの貫通扉を通過することが出来るサイズ。あのダストの突進力なら途中で引っかかることなく通り過ぎることが可能だろう。その勢いとスピード、壊れたブレーキを利用させてもらう。


 「藍川先生が言ってた通りにアホだと助かるんだけどな。人がたくさん住んでるところに、わざわざ来た間抜け。来い!この世からお先に失礼させてやるよ」


 貫通扉の左側の座席に乗ってしゃがみ込み、刀をダストの突進の通り道に設置する。ここからではダストの位置を見ることは出来ないが、奴の足音が居場所を知らせる。足音がすぐそこまで迫り、向こう側の車両の貫通扉が破られる音がする。すぐにこちら側の扉も粉砕されて、ダストの横顔が見える。その瞬間、両腕に耐え切れないほどの重みがのしかかる。切先がダストの白い血の噴水をこしらえる。血が顔や髪、服に飛び散る。だが、そんなものを気にしている余裕はない。


 「んんっ」


 刀の峰が肩に押し付けられる。皮膚がめり込んでいるのが分かる。座席に乗せる足、刀を握る腕に全力で力を込める。長いような短いような時間が終わる。ダストは僕の横を完全に通り抜け、刀が身を預ける場所がなくなる。体のバランスの支えがなくなり、座席から転げ落ちる。肩を思い切り床に打ち付ける。


 「痛った!」


 腕に感じる違和感に目をやると、血がチョロチョロと出てきている。ダストがぶち破った貫通扉のガラスの破片が右腕に刺さった。強く握っていた刀を緩やかに手放す。


 「アドレナリンが足りねえ。ドバドバじゃないと。こんな軽そうな痛みをかき消すくらいの」


 チクチクする嫌な痛みだ。不快感と激痛の狭間の感覚。


 「あー!最悪!袖まくらなきゃよかった。アイツの血もついてベトベトだし」


 道標のようなダストの白い血を辿る。少し奥で横たわっているダストに目を向ける。体には僕がつけた傷。途中で腕が震えて揺れたから、ダストの体には波のような切り傷ができている。ダストは自身の血が作り出した水溜りに浸かっている。


 あれだけガラスに突っ込んでも傷一つなかったダストの体に、切り込みを入れて出血をさせた。


 「やっぱりこのペンダントから造り出した武器じゃないとダストは殺せないんだなぁ」


 白い血を乗せる刀身を見ながら、藍川先生が教えてくれたことを強く認識する。


 「まあ、僕の体はガラスの破片がちょっと刺さっただけでギブアップしたいって言っているけど」


 ガラスの破片が刺さった腕は痛むが、安心感がそれを和らげる。あのダストの痛みと苦しみが、僕の心と体の痛み止めになる。

 

 「出来たら奥まで刀を突き刺して、深い傷を作ってやろうと思ってたけど無理だったなあ。」


 右腕からチョロチョロと流れる血をどうすることも出来ずに、ただ左手を優しく添えている。傷を凝視すると痛みが強くなる気がしたから窓の外を見る。相変わらず雨は強く、降る気配を一向に感じさせない。


 「助けとか来ないのかよ?見捨てられたぁ?もう十分頑張ったからさ。んっ?」


 ガラスも割れていないこの車両で雨が降りしきるような、雨漏りをしているような、雨が何かに触れる音がして辺りを見渡す。音の正体はダストだった。よろよろな体で、足をがくがくと震えさせながら立ち上がろうとしている。立ち上がりかけて、転んで血の水たまりが弾ける。それを繰り返している。倒れる度にぴちゃりぴちゃりと、子どもが水遊びをしているような可愛い音がする。


 それを見て不安が膨らみ、腕の痛みが引いていく。殺せたとは思っていなかったが、立ち上がる気力と体力が残っているとも思っていなかった。ダストにとって体内の血がどれほど重要か知らないが、あれだけの出血量で動けるものなのか。そんな場合ではないが関心してしまう。


 「勘弁してよ。頑張って立ち上がろうとしなくていいよ。僕はもう頑張る気も立ち上がる気もないからさ。終わりが来るまで一緒に休もうよ」


 額から流れ落ちるのは、止まない雨でもダストの血でもない。僕の弱った心から流れ出した汗だ。左手が血の流れる右腕の介抱を放棄して、流れる汗を受け止める。床にぺたりと座ったまま、今にも立ち上がりそうなダストをただ茫然と眺めている。


 そして、ついにその時は来る。立ち上がったダストは倒れることなく、その姿勢を維持している。


 「マジか。お前が頑張ると僕も頑張らなきゃいけないんだよ」


 隣で横たわる刀の柄を左手で握る。


 「知ってるか?この刀は結構重いんだ。左手が主役だと盛り上がらないかもね」


 雨の拍手は鳴りやまない。


 



 


 

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