第26話 貸し切りパニック

 ガクンと顎が乗せていたリュックから落ちる。


 「はっ」


 車内には降り注ぐ雨音が響いている。静寂に包まれている。電車は止まっており、周りに座る客は一人もいない。雨粒に視界を奪われたガラスからは駅のホームが見えた。


 「なーんだ。みんなこの駅で降りただけかー」


 大口を開けてあくびをする。両目から出てくる申し訳程度に出てくる涙を右手で拭う。右目の涙には人差し指を、左目の涙には親指を差し出す。濡れた指を左わきで挟み込んで涙を拭き取る。


 「変な夢見てた気がするけど、何だったかなぁ?」


 膝の上で抱え込んでいるリュックに再び顎を乗せるが、隣どころか周りにも人がいないのでリュックは膝から隣の座席に座らせた。


 「それにしても全然出発しないな。てか電車完全に止まってる?」


 電車からは、いつもはうるさいエンジンの音すら聞こえなかった。ただ降り続ける雨の音だけが聞こえる。これじゃ家に一人でいるのと何も変わらない。辺りを見渡すと正面の椅子どころか、この車両に人が一人もいなかった。流石に変だと思い立ち上がろうと膝に力を入れた時、聞き覚えのある音がした。振動と共に体と耳が痺れるほどの轟音が車内に響き渡る。それは電車が何かに当たったような音?電車に何かが当たったような音。


 「あっ!」


 この音を聞いて次の光景を思い出し、両足を座席の上に飛び乗らせる。座席の上に立って、つり革を両手で掴むと同時に、正面のガラスが砕ける。砕けたガラスと共に、車内に白い塊が飛び込んでくる。猪のダストだった。真っ白い毛に含ませた雨水とガラスの破片を撒き散らしながら、僕を目掛けて突っ込んでくる。


 つり革を掴む腕と腹に力を入れて、突っ込んで来るダストに向かってジャンプする。宙に浮く足がダストに触れそうになり、咄嗟に開脚をする。ダストは僕の股の下を通過して、さっきまで座っていた座席の後ろの窓ガラスを突き破って外に出て行った。つり革から手を離して正面の座席に飛び移る。


 「危なっ」


 正面の座席に飛び降りた際に割れたガラスを靴で踏む。パキリと割れたガラスが更に細かくなる音が聞こえた。この音を聞いてうろ覚えの夢を思い出した。ガラスに背中を傷つけられたこと。ダストに突進されたこと。腹に違和感を植え付けられたこと。


 「うわ〜背中がチクチクしてくる」


 安否を確認するように背中と腹を必要にさする。


 「さっき見たのは予知夢ってことか。ナイスギフトだなー。妙にリアルな感覚なのは気分悪いけど」


 夢の通りならダストは僕の腹に突進した後どこかへ行ったはずだ。


 「冷て」


 ダストが一番最初に突き破ったホーム側の窓は、人が余裕で出入りできるほどのスペースを作った。窓の枠とほぼ同じサイズの穴ができている。その穴から強風と共に雨が車内に降り込む。僕の服もすっかり水腹になっている。


 座席から通路に降りる。通路に散乱したガラスの破片もパキキと音を奏でる。突き破られた二枚目の窓から顔を出して外の様子を見ると、雨に打たれながら歩いているダストと目が合う。


 「やべっ」


 すぐに窓から顔を引っ込める。

 

 「え?これどうすればいいの!?」


 誰もいない車内で叫ぶと、ガラスが割れる音が聞こえる。顔を出していた窓の隣のガラスが割られて、車内にダストが入り込んできた。先程とは違って車内で一旦停止している。ガラスに体を突っ込んでいるのに、ダストの体には傷ひとつない。こんな狭い電車の通路で、また鼻の先にダスト。僕もダストも動かない。いや、僕の場合は動くことが出来ないだけだ。目の前のダストに意識を集中する。集中すればするほど雨の音がより一層うるさく聞こえ出す。


 ダストの体がピクリと動く。こちらに狙いを定めて走り出してきた。僕の足はまだ動かない。ダストが手を伸ばせば触れられる距離まで近づいてきてから避ける。顎を床に強打する。顎に手を添えるとガゴンという音が轟く。床にうつ伏せに倒れ込んだまま、首だけをダストが走っていた方に向けると、ドアが綺麗に外れていた。


 随分と開放的になったドアからは雨が入り込んでくる。車内の床はたちまち浸水していく。小規模な水溜まりがたくさん生まれる。床に手を着いて立ち上がる。


 「はあ、ダストは?」


 ドアの無くなったドアから外を見ると、ベコンベコンに凹んだドアが二つ、ホームに横たわっている。こんな奴に体当たりされたら人間は当然死ぬだろう。顔から流れる冷や汗はすぐに雨に上書きされる。ホームにダストの姿は確認出来ない。今いる先頭車両から最後尾の車両まで走り出す。


 最後尾の車両へと続く連結部分に入り、両方のドアを閉めて密封する。狭い連結部分は体育座りをする僕一人で満員状態になる。この場所なら外から見ても僕に気付くことは出来ないだろう。ここに来るまで何両か通過して来たが、やはり人はいない。ダストが出て全員逃げたのだろう。


 「何で僕だけ置いてくんだよ。誰か一人くらい起こしてくれたっていいじゃんか。まあ僕なら寝てる人がいても無視して我先に逃げ出すんだろうけど」


 溜息が漏れる。濡れた髪と服が冷え始めて寒さを強く感じる。


 「てか何で僕も起きないんだよ。逃げる人たちの騒ぎ声じゃ、僕を起こすには足りないのかな?はあ、これからどうすればいいんだよー。助けが来るのを待ってればいいのか?」

 

 呟きは簡単なことを思い出させる。

 

 「そっか、戦えるじゃん。僕は」


 首に掛かったペンダントを掴む。これから作り出した武器はダストに効く。置き去りにして来たリュックに入った書類を提出したら僕は星科。クズハキ見習いだ。


 「確か頭の中のイメージを引っ張り出す感じだったよな」


 チェーンに吊り下げられた星の飾りからこの前造った刀をイメージする。


 「かたな、かたな、かたな、この前造った刀」


 イメージが定まった。頭の中のイメージを引っ張り出す。柄を握って刀身を引き抜く。ギラリと光る刀身は今の僕の心境とは真逆だ。


 「...出来た。これは護身用。ダストが来てどうしようも無くなった時の...」


 どうして僕は元々通っていた地元の高校を飛び出して、今の高校に転校したんだろう。クズハキになりたかったから?本当は違う?朝陽のことを忘れたかったから?朝陽が死んだことを忘れたかったからだ。あの家に住んで、あの場所で暮らして、朝陽のことを思い出さない日なんて一日もなかった。暮らした家、走った道路、遊んだ公園、嫌いな学校、腐った人間。見るだけであの日の光景が再生される。


 朝陽が死んだことを思い出さずに、朝陽のことを考えるなんて不可能だ。楽しい思い出とセットで悲しい思い出もやって来る。


 でも忘れることなんて出来るわけない。僕は朝陽がいてくれたから生きてるんだ。僕が生きてる理由は朝陽の死だ。朝陽は僕の中にいる。こういう時に朝陽みたいな勇敢な人間を思い出すと勇気が湧いてくる気がする。朝陽ならあのダストが他の人間に危害を加える前の何とかしようと行動するだろう。


 「僕の命はひとつじゃない。今回は朝陽の意見を尊重するよ。僕の中の勇気は朝陽だから」


 奥から窓ガラスが割れる音が聞こえてくる。


 「あいつが僕を探してる...」


 袖をまくって、隣に立てかけた刀の柄を強く握りしめる。


 「この刀は護身用じゃない。殺害用。あのダストを殺す刀」


 立ち上がりドアを開けて、狭苦しい連結部分を後にする。ガラスの音まで歩いて行く。


 


 

 

 


 



 

 

 

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