その嘘は君のため~簡雍の遺言~

胡姫

第1話 嘘つき憲和


ああ、俺、もうすぐ死ぬのかなあ。


まあいいや。いい人生だった、のかもしれない。楼桑村で玄ちゃんと走り回ってた頃には想像もしなかった。故郷からこんなに離れた西の果て、益州の成都で、この俺がまさか高官として一生を終えるなんて。


玄ちゃんも鈍いよなあ。知ってたけど。


何で俺が楼桑村みたいな北の辺境から、西の果ての成都くんだりまでついてきたのか、玄ちゃんには分からないんだろうなあ。


玄ちゃん知ってたか?俺、玄ちゃんが好きだったんだよ。


当たり前だろ。


ただの幼馴染ってだけで、普通そんなことしないだろ。鈍すぎだろ。気づけよ。まあ気づかれても困るけど。


玄ちゃんは子供の時から男を引きつける色気みたいなものがあって、でも自分の魅力には怖いくらい無頓着で、それが俺は心配だった。事実そうなってしまった。


玄ちゃんは清楚なくせに色っぽいから戦場でも目立ってたし、なのに全然気づかないで平気で裸になったりするから、物陰に引きずり込まれて犯られかけたこと一度や二度じゃないだろ。玄ちゃんが黙っているから関羽も張飛も知らないことだけど俺は知ってるぜ。そんな事件の後の玄ちゃんは凄絶なほど色っぽくて、俺でもくらくらするほどだった。どんな美女も霞んで見えるほど。


そりゃ俺も男だからさ、理性が切れて玄ちゃんのこと押し倒したくなること何度もあったよ。好きな子抱きたくなるのは自然だろ。男だから。


でも、玄ちゃんがびっくりすると思うとできなかった。びっくりさせたらかわいそうじゃないか。ただでさえこの手の災難に遭いがちで、嫌な思いをしているのに。俺までそんな欲望を持っていると知ったらきっと傷つく。


だからひた隠しにした。心を偽るくらい平気だ。俺の心なんてどうってことない。


玄ちゃんも玄ちゃんだ。やわらかい心なんて捨ててしまえばいいのに。心と体は別だって割り切って、体だけ差し出せばいいのに、そうできなくて苦しんで。相手の真剣な心が分かるから、自分の心も切り捨てられないんだね。誰かれ構わず体を投げ出せるような性格なら、苦しまなくて済んだのに。


相手の真剣な心が分かっても、体を求められることで、玄ちゃんは本当は傷ついてた。


でも玄ちゃんのことを好きになる男は、玄ちゃんを全部欲しくなるんだよ。心も。体も。まるごと全部自分のものにしたくなるんだよ。滅茶苦茶に独占したくなるんだよ。分かるよ。俺もそうだったから。


玄ちゃんのことなら俺は何でも知っている。子供の時からずっとずっと見てきたからね。年季が違う。


関羽と張飛が玄ちゃんの義兄弟になった嵐の夜、何があったか俺は知っていた。でも知らないふりをした。この二人は、玄ちゃんを決して裏切らないと思ったから。生涯命を賭けて玄ちゃんを守ってくれると思ったから。玄ちゃんにとって、この二人はとても大事な人になると分かったから。


本当は俺が守りたかったけど、俺一人の力では無理なんだよ。仕方ないだろ。


こんな思いを抱えて玄ちゃんを見守ることが苦しくないわけがなかった。でも玄ちゃんのそばに居られる幸せの方がずっと大きかった。


だから俺はやっぱり幸せだったんだろう。


俺はもうじき死ぬ。


玄ちゃんが好きだった。この想いは墓まで持って行く。


誰にも気づかれていないはずだ。だってこの憲和兄さんが全力で隠し通しているんだぜ。簡単に尻尾掴まれるわけないだろ。


誰にも言うなよ。


ああでも最後だからひとつだけ、嫌がらせしてやろうかな。俺の気持ちにてんで気づかなかった鈍すぎる玄ちゃんへの仕返しに。


この世に玄ちゃんへの想いを伝えるものは何ひとつ遺して行かないつもりだったけれど、全て燃やしてしまったけれど、たったひとつ、玄ちゃんへの想いを遺して行ってやろう。


でないとやっぱり、ちょっとだけ、癪じゃないか。……




俺の遺すからくり箱。


玄ちゃんは気づくだろうか。


そもそも開けられるだろうか。憲和兄さん渾身のからくり箱だぜ。俺はどうでもいい時には結構手先が器用でね、役にも立たないからくりを作るのが得意なんだ。知らなかっただろ。俺には玄ちゃんが知らない顔がたくさんある。俺は玄ちゃんのこと何でも知っているけどな。


玄ちゃんどうするかなあ。力まかせに壊したら中身もバラバラ。証拠は跡かたもなく消えてしまう。


ああ、意識が霞んできた。まともな話ができるのもここまでかもしれない。


やっぱりいい人生だった。こんな楽しい人生なかった。玄ちゃんに会えて、玄ちゃんを好きになって、苦しいこともあったけど俺はとても…とても…




「憲和!」


玄ちゃんの声が聞こえた。泣くなよ。男が人前で泣くなんて大将として示しがつかないぜ。何度言ってもダメなんだから。そこが玄ちゃんの可愛いところでもあるけど。放っておけないところでもあるけど。


そんなに泣くなよ。来世でもまたひと暴れしようぜ。憲和兄さんがついててやるから安心しな。来世なんてあるか知らないけどさ。


ああ、今握ってくれているのは玄ちゃんの手だ。温かいな。目立たないけど、よく見ると刀傷がたくさんあるんだ。人のために傷ついた手。とても綺麗だ。玄ちゃんはいつも自分よりも他人のために傷を負う。


玄ちゃんの温かい手、忘れないよ。


俺は忘れないけど、玄ちゃんは忘れてもいいんだよ。


そういうものだからさ。




泣くなよ。……




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る