50話 思いがけない助け舟

“――何かあったの?”


“もう帰ってくれ”


“シュウト……シュウト!!”




 二週間前の悲痛な叫び声を、今でも昨日のことのように思い出す。


 母さんが出ていってから、イヴはすぐに俺の元へやってきた。

 でも俺は制服だけ返して、彼女を家から追い出した。


 無駄な言葉も交わさず、なるべく嫌われるようにと、今までのように素っ気なく当たりながら。


 顔をくしゃくしゃに歪ませて叫ぶ彼女を突き放すのはものすごく心が痛かった。

 でも、俺は母さんの目がない場所でも母さんの意に背くことはできなかった。


 あれからイヴとは一言も喋っていない。

 イヴに限らず、俺は必要以上に周りと関わっていなかった。


 まるでイヴと出会う前に戻ってしまったかのように。



 ――放課後。

 次々と席を立ちあがるクラスメイト達を尻目に、俺はイヴから目を逸らすように肘をついて、鬱陶しいほどに真っ青な空を窓越しに眺め見る。


 今日は学校祭の放課後練習がない。

 学級委員長の仕事が忙しいらしく、南井が練習に来られないからだ。


 練習がないというだけで、重くのしかかっていた肩の荷が下りたように感じる。

 やっぱりイヴや、その他関わりを持っている人と顔を合わせるのは辛い。

 でもそれは俺の自業自得であって、俺がその場から逃げ出せる立場でもない。


 全て、俺が悪いんだ。


 母さんに従うしかできないこと。

 そのせいでイヴや他の人に迷惑をかけていること。


 全て、俺が強ければ解決できた話だ。


 でも俺だって、心まで母さんに奪われたわけじゃない。

 彼女に反抗したい気持ちだってあるし、叶うなら彼女の思惑を押し退けてイヴと一緒になりたい。

 まだ少し怖いけど、この状況でイヴと付き合えるなら、俺は喜んで付き合おう。


 でも、それをするだけの勇気が俺にはない。

 母さんに反抗したいとは言ったが、一概に彼女の言葉を心から否定できないのも事実だ。


 人はいつ別れるか分からない。

 それを俺は身を持って経験しているから。


 でも同時に俺は、それでも人は出会ってしまうことも知っている。

 そして、それがどうしてそうなってしまうかも。


 だから俺は、できるなら母さんに反抗したい。

 でも母さんは、の言葉に頷いてしまう俺の弱みに付け込んで俺を孤立させようとしている。


 きっと、今までの悪事が俺を通して外部に出ることを怖がっているのだろう。

 暴力を振るったこと、身の回りの家事を全て俺に押し付けたこと。

 だから俺の口を塞いで、孤立させて、その後ろで父さんと一緒にぬくぬくして……。


 ……全部、全部分かってるんだ。


 でも、俺一人じゃもうどうしようもないんだ。


 だから誰かに助けを求めたいけど、そんな勇気も資格も、俺は持ち合わせていない。


 ……どうすればいいんだ。


 視線を窓から机に戻し、ちらっと隣の座席を盗み見る。

 イヴがいないことを確認した俺は突っ伏すと、心に束の間の休息を求めるように弱々しく彼女の名前を呼んだ。


「イヴ……」

「デイヴィスさんがどうかしたか?」


 その声に心臓を掴まれたような感覚に陥った俺は、ハッとして顔を上げる。

 するとそこには、高嶺凌空の姿があった。


 凌空の姿を視認した俺は緩んだ心をぎゅっと引き締めると、目つきを鋭くして再び空を眺め見る。


「おいおい無視か? 俺達の間柄じゃあ、もうそんな段階でもないだろ」


 確かに、凌空とは学校祭に向けての顔合わせで出会ってからそれなりに親しくなった。

 でも俺はイヴ以外とも関係を切らなくてはいけない。


 でないと、俺はまた母さんに暴力を振るわれるから。


 最初こそ明るく振る舞っていた凌空だったが、俺の接し方を見て只事でないことを知ったのか、段々と声のトーンを落としていった。


「……どうして顔を合わせてくれないんだよ。みんな心配してるんだぞ? 修斗に何かあったんじゃないかって」


 出会って数週間の間柄でも俺のことを心配してくれるのか。


 ……なら、俺が小さい頃から一緒にいたあの人たちは何なんだろうな。


「デイヴィスさんが不安がってたぞ、修斗が口を利いてくれないって。付き合おうって約束してる仲なんだろ? 本当にそんな接し方でいいのかよ」


 俺だって分かってるさ。


 でも、もう俺だけじゃどうしようもないんだよ。


 なら、俺は一体どうすればいいんだよ。


 ……少しの空白があってまた凌空が言葉を発すのかと思ったが、いつまで経っても彼の声が聞こえてくることはなかった。


 ようやく諦めてくれたかとホッとしたような、少し寂しいような気持ちを抱いたその時、突然腕をガシッと掴まれ、無理やり立ち上がらされる。


「うわっ!?」

「修斗、今から遊びに行こうぜ!」

「ちょ、引っ張るな!」

「おっ、ようやく口を利いてくれるようになったな」

「お前が急に引っ張るからだろっ」

「そんなことはいいから、早く行くぞ!」

「お前が言い出したんだろ!」


 そんな口喧嘩にも満たない言い合いを繰り広げながら、俺たちは教室を後にする。


 鬱陶しいと思う反面、凌空の気遣いに少しだけ嬉しいと思ってしまう自分に気づき、まだまだ弱いなと感じる俺だった。

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