第5話 お父さん
◇◇◇【4/27】
翌朝。
「…?」
見慣れない天井に戸惑い、一瞬ここがどこだかわからなくなる。
「あ……」
そうだった。誘拐されたんだった。
私はいつまでここにいればいいのかわからず、とりあえず襖を開けた。
昨夜と変わらずもう一人の方の女の人がいて、私が開けるやいなや仰々しいまでにビビった。
「るるる瑠璃さま!おはようございます!」
小池さんに姉と呼ばれてた人だ。
「あの、顔を洗いたいんだけど」
「かしこまりました。ただいま手桶を…」
「洗面台くらい案内してやれよ。じきに瑠璃の屋敷になんだからよー」
神出鬼没に現れたお兄ちゃんに、さらにビビるお姉さん。
「伊織さま!?お早いお目覚めで…」
「いつもは休みの日は昼過ぎまで寝るのが俺のルーティンだけど、その隙に瑠璃になにかされちゃ困るからな。朝5時には起きてた」
「お兄ちゃん、今何時なの?」
「いまー?10時過ぎ」
朝早くから起きすぎだ。ていうか私寝すぎている。
「いつもはもう少し早起き」
意地っ張りに言ってみた。
「いいのよ〜お寝坊さんの瑠璃も可愛いから♡」
相変わらずデレデレである。
「ここ、俺らの屋敷なんだ。案内しちゃる」
そう言って手を引っ張って廊下を歩いていく。
「伊織さま、勝手な行動は困ります!」
「俺らの村なんだから俺らがすきにしていいにきまってんじゃん。何言ってんの?」
お兄ちゃんの睨みにビクッと肩を震わせ、彼女は何も言わなくなった。
権限、だろうか。
彼が俺らの村と呼称するのは、その権限たるやからであって、それはきっと、私が思ってるよりも重い。
多分彼はそれが嫌いで、憎くて、だから巫女に辛く当たっている。
「……」
お母さんが逃げ出したくなるほどの重さなのだろう、きっと。
専属の巫女までついて、崇められ、祭り上げられたお母さんの過去を私は知らない。
お兄ちゃんを置いてまで逃げることを選んだ理由すら、本当に何もかも知らない。
ーー知らなかったでは、済まされないことがある。
ゾッとした。私、何も知らない。
ただおじさんの与えてくれるご飯を食べ、お母さんと一緒にマンションの一室に飼われてた。
その生活になんの疑問も抱かなかったと言えば嘘になる。
美夜の家庭にはパトロンなんていないし、食うに困る家庭だってあるのを知っていた。
なぜ私はこんな状況なのだろうと、少なからず感じてはいた。
こんな大きな屋敷が私のいるべき場所だったなんて。
案内され、比較的新しい洗面所に驚いた。
「先代が水周りは一式リフォームしたんだ。生活はしやすいと思うよー?風呂場は別なんだ」
古めかしい屋敷に似合わない洗面所に戸惑いつつ、顔を洗わせてもらう。
お兄ちゃんがニコニコしながらタオルを手にしていたので受け取ると、「なんか夫婦みたいだね」とか言ってたので殴ろうかと迷う。
「俺の部屋に連れてくよ!おいで!そこに着替えもあるから」
そう言って案内されたのは一室の和室だった。
お兄ちゃんが襖を開けると、そこにはお兄ちゃんの空間が拡がっていた。
私が寝てた部屋より少し広いそこは、パソコン、テレビ、ゲーム機、ベッドと普通の男子高生みたいな空間だった。
ブレザーの制服もかけられている。そこの高校に通ってるのか。
「お兄ちゃんっていくつ…?」
「俺?言ってなかったっけ。16だよ。今年で高二」
がさごそとなにやら漁りながら答えてくれる。
「あった!けどサイズが合わねーかな」
そう言って私に合わせてきたのはふりっふりのゴスロリだった。
確かにサイズが大きく、今の私には着こなせる自信が…
「なんでこんなの持ってるのっ」
つい怒ると、お兄ちゃんは怒ったように顔を歪めた。
「瑠璃、お前ずっと見張られてたんだぞ」
すっと紙の束を渡される。
なんだろうと捲れば、それは私の写真だった。
だいたい10センチくらいはあるだろうか、それくらいの分厚さの写真の数々。
そこには、小学校から下校か登校をしてる私や、美夜と遊ぶ私、その帰り道の私など、すごく小さい頃からの私から、最近の宝珠学園に通い始めたころまでのが並んでいた。
「…っ!!」
思わず落としてしまった。なにこれ、なに、これ。私知らない。
「うちの村の連中は瑠璃や白龍舞雪の居場所をとっくにあぶりだしてた。本当なら一刻も早く連れ戻したかったけど、ほら、あいついたからさ」
「あいつ…?」
「日向尚隆さ。あいつは代々白龍家を診る家柄。もし下手なことして現当主の白龍舞雪を殺したりされちゃ適わないから、こうやって瑠璃を攫う作戦にでたってわけ。白龍舞雪を取り戻すために」
「私を餌に、お母さんを連れ戻そうってこと…?」
「そーゆーこと」
落とされた写真を丁寧に拾いながら、お兄ちゃんは1枚を見て嬉しそうに笑った。
「…でも、この定期連絡が嬉しかったんだよ。ああ元気に育ってくれてんな、大きくなってくれてんなって」
写真は、1枚も目線があっていなかった。
それでも、お兄ちゃんは嬉しそうだった。
「外に出てずるいって、思わなかったの」
思わずそう聞いた。
「お母さん、お兄ちゃんを捨ててーーそれで、ずるいって気持ちにならなかったの」
私ならそう思う。ひとりぼっちの環境で、変な村で。
「うーん、捨てられたことにはちょっとだけムカついてたけど、別にひとりって訳じゃないんだ。
後で紹介するけど、俺の家族もちゃんといる。
だから、俺は俺でそれなりに幸せ。
外にこんなに可愛い妹がいるってのも救いだったし」
にっこりと笑いながら、全ての写真を大事そうに棚にしまった。
「にしても実物が思った以上に小さいなー。ちゃんと牛乳のめー?」
「そ、そんなに小さくは…」
「瑠璃に着せようと思ってネットで買ってたこの服はまだ先だなー。となると…」
「お着物でしたら、舞雪さまのがありますが」
突如声が聞こえたので、ビクッと肩が上がる。
女の子の声だ。
気配、全くしなかったんだけど。
「おっ、そーかそーか。んじゃ着物の着付け任せた」
パァン!と襖を開け、その先にいた人物に話しかける。
女の子だった。それも双子の。
片方は髪の毛を短く切りそろえていて、もう片方は腰まで伸ばしている。
どちらも真っ黒な黒髪だが、髪の毛の長い方だけ異端だった。
目が、片方だけ青いのだ。
お兄ちゃんより少し濃い青色をもっている。
どちらも小学校低学年くらいで、可愛らしいお揃いのワンピースを着ている。
「紹介するよ。俺の家族、東に西だ!髪の長いのが西で、短いのが東な。西は喋らないからよろしく〜」
「えっ、家族って、えっ、この子たちが」
「お初にお目にかかります。瑠璃さま。私は東、この子は西にございます」
仰々しい物言いに、更に驚く。
「あの、えっと、白龍瑠璃です…。なんで敬語なの…?」
「そいつらは俺の父さんの隠し子なんだよ」
「か、隠し子」
目をまん丸にして聞いてしまう。
「俺らの家系って、基本結婚相手がきまってんの。それを無視して作っちゃった子が彼女らなわけ」
「そんなドラマみたいな…」
「ちなみに瑠璃と俺、半分しか血ぃ繋がってないからな」
「ああそう……っ!?」
衝撃の発言に耳を疑う。
「俺はそのちゃんとした許嫁同士の子。瑠璃のお父さんは別の人」
複雑すぎて訳が分からなくなってきた。
「お父さん、誰だかわかる?」
「物心ついた頃にはもういなくて…ていうかお母さん全然お父さんのこと話してくれなくて」
一度聞いたことがある。私のお父さんはどこにいるのかと。
するとお母さんはこう言った。「ごめんなさい」と。
なぜ謝られたのか全くわからず、記憶に残っている。
「東ちゃんと西ちゃんは、お母さんわかるの?」
すると、2人ともぶんぶんと首を振った。
「実は、遠い邪眼の血を持つ者らしいのです。雪博さまーー父が死んだ時、私たちの存在が発覚し、私たちはこの村に引き取られました」
「あっ…ごめんなさい」
「お気になさらず。父が死んだのはもう16年も前。私たちが8歳の時だったので、今更…」
「ちょちょちょちょっとまって、どういうこと」
7-8歳の見た目は、どういうことなのだ。
「あーーそれなんだけど。
順を追って説明すると、まず雪博が他所の邪眼の血を持つ女と出来て、雪博が死んだ後それが発覚。
一応この村の邪眼を持つ子供ってことで取上げたら、そっから成長が止まっちゃって。
今22歳よ、2人とも」
「なんで成長が止まるの…!?」
「さー?邪眼が関係してるんだと思うんだけど、理由はさっぱり」
一生このままなのだろうか。
「なんて可愛そう…」
「いえ、私たちは案外この姿気に入ってるので、瑠璃さまがお気になさることありませんよ」
東ちゃんは無愛想に言うが、西ちゃんはにこにこと『おそろいだから』とスケッチブックを掲げる。
声が出ないのか。会話は聞こえてたみたいだから、耳は機能してるんだろう。
「なんか色々…疲れたよお兄ちゃん…」
「ごめんなー?複雑で」
「私のお父さん…誰なんだろ…」
「それなんだけど」
お兄ちゃんが真剣な眼差しで私を見つめてくる。
「邪眼って、邪眼同士でしか子供が出来ないんだ。知り合いの邪眼とかいたらお父さんの可能性高いと思うんだけど、いたりしない?」
「邪眼が他にもいるの今知ったくらいだから本当にしらない」
うちの家系以外にもいたのか。
邪眼同士でしか…てことは、私のお母さんも邪眼と結婚してお兄ちゃんを産んだんだな。
「…やっぱり、白龍舞雪に直接聞くしかねーな」
「それが一番いいと思うよ」
東ちゃんと西ちゃんが作ってくれた朝ごはんをお兄ちゃんと食べる。
焼き魚に酢の物にお味噌汁に白米。伝統的な朝ごはんであった。
昨日の晩ご飯は食べてないのでお腹はペコペコだった私は、ありがたく平らげた。
食事が終わると、お兄ちゃんが「風呂に入るといいよ」と言った。
「うち、温泉湧いてるから。自宅にもあるんだよ」
「旅館みたいだね、ここ」
「旅館もあるぞー。後で村案内してあげようか?」
「うーん…」
脇に控えてる巫女をちらりと見る。
一応監禁中だしな…良くは思われないだろう。
「伊織さま」
ほら、母さんと呼ばれてた方が戒めに来た。
「ちえー。さすがに従うか〜」
屋敷の奥に案内されると、明らかにそこだけ増改築した感じの木の造りのバスルームがあった。
水周りは一式リフォームしたってことは風呂もか…。
木の色が全然違うんだけど、そこは拘らなかったのか。
「瑠璃が使ってるシャンプーとリンスとボディーソープ、買っておいたから」
「ストーカーめ…」
当たり前のようにヒノキのバスルームに並べていくお兄ちゃん。
「ヒノキだから滑って転ばないようにね。湯質的にもぬるぬるしてるから」
「わかった」
そう言うと、お兄ちゃんたちは自室に戻って行った。
ありがたくお風呂に浸からせてもらう。
ほのかに硫黄のにおい。旅行なんて行ったことないから、テレビでしか見た事ないけど、本当にゆでたまごのにおいがする。
お風呂から上がると、何となく肌がしっとりした気がして、嬉しくなった。
元の制服を着ようとしてると、東ちゃんの声が聞こえた。
「瑠璃さま。お着替えは私どもが行います。こちら、変えの下着です」
そっと襖の間からわたされる。
「サイズぴったりなんだけど」
怖すぎですここ。早く帰りたい。
「お着物ですので、私共がお手伝いいたします」
そう言われ渡されたのは、真っ白の着物。
「…?」
家紋の花の模様が縫われてるだけの着物に、疑問を抱く。
「ねえ、お母さん本当にこんなの毎日着てたの?」
「申し訳ございません。私たちが来た時には舞雪さまはもうここを出てしまっていたので」
「あっ…そうなの」
そういえば、もうひとつ聞きたいことがあったのを思い出した。
「あ、ねぇ…雪博さんとお母さんってどんな関係なの」
ぐっ、と、帯をキツく締め付けられる。
「舞雪さまが姉で、雪博さまが弟でございます」
淡々と語るので、びっくりしてしまった。
せいぜい従兄弟か何かだと思っていたものだから。
「えっ、じゃあお兄ちゃんって」
そこで着付けは終わったらしい。最後に帯締めを結び付けられ、出来に満足したように頷いた。
白の着物に青い帯。まるで私を指してるかのような合わせだった。
「ねえ、お兄ちゃんって…その、兄弟同士の…」
「瑠璃さま、村の人々がお待ちです」
私の質問には答えず、そう告げられる。
「皆、瑠璃さまが戻られたことに喜んでおります。どうか着いてきてください」
そっか、この村は邪眼を信仰してるんだっけ。
顔見世程度ならいいだろうと、そのまま向かってしまった。
神社の本堂であった。
随分古く、何度も手直ししたあとが見られる。
祭壇には何も飾っておらず、ただ鳥居だけが神社だとわからせた。
中に入ると、20-30人ほどの人間が密集していた。
皆顔は隠しておらず、若い子供から年寄まで年代も広かった。
私が本堂に入ると、わあ…とどよめきが上がった。
「瑠璃さまだ!」「本物よ」「なんて美しい…!」「ありがたい」
本当に崇められてるらしい。私を見て気味悪がることなく、手を合わせるものすらいた。
確かに、かなり不気味である。
お兄ちゃんが嫌がるのも無理はないなと思いながら案内されたのは、祭壇だった。
座布団が敷いてある。
「瑠璃さまはこちらに」
「えっ、でもここは祭壇じゃ」
「ここをどことお思いですか」
昨日の巫女が、顔を隠さずに私に近寄る。
奥に小池さんが顔を俯かせて座っているのが見えた。
「あなた様を祀る神社、白龍神社にございますよ。御神体であるあなたがそこに座るのは当然です」
神社まであったのか。
なんて村だ…と思いつつ、不躾ながら祭壇に登り、座る。
「瑠璃さま、邪眼のルーツはもうお知りで?」
巫女が聞いてくる。
「あの、妖狐のやつですか。岩が割れてぶつかったってやつ…」
「伊織様からお聞きになりましたか!」
うれしそうな顔を見せる、小池さんのお母さん。
「当主のことはご存知ですか?」
「お母さんのこと?」
「いえ、当主という存在のことです。この村を繁栄させるために鎮座なさり続ける存在のことです。童話のシンデレラが邪眼だった説から、シンデレラとも呼ばれています」
シンデレラが邪眼だったなんて、と驚いていると、お姉さんがかしずきながら箱を持ってきた。
「この村に存在し続けるという証が欲しいのです」
「…は?」
「当主であるという証明を我々は欲しています」
「私、直ぐに帰れるって聞いたんですけど」
「ええお返ししますとも、証明さえいただければ」
村人が期待の目で私を見つめてくる。怖くは無いのだろうか。
お姉さんから箱を受け取り中身を確認すると、中には重重しい鋏が入っていた。
真っ黒の、切れ味の悪そうな年季の入ったものである。
「これで髪の毛を頂戴したいのです」
小池さんのお母さんが言う。
「それが代々続く当主の習わしです」
「なんで髪の毛…」
「貴方様の力の源でもあるからですよ。それをここに置いていくということは、当主になったも当然ということです」
薄気味悪いほど笑いながらそう言う。
私は、少し迷って、小池さんに問いかけた。
「小池さんは、切って欲しい?」
驚いたのかハッと顔を上げると、泣き腫らした顔の小池さんが見えた。
「…あ、あたりまえです。瑠璃さまがご当主になられることが私の夢なんですから」
「じゃあ小池さんが切って」
「え!?」
ますます驚いたのか、手で口を隠す。
「代わりに、これ」
袂からオレンジ色のピンを取り出し、渡した。
「もう一度お友達になってーー捺」
勇気をだして下の名前で呼ぶと、何かを決心したのか、こくりと頷く。
「…わかった」
パイプ椅子が用意され、周りに紙が敷きつめられる。
「瑠璃さま、こちらに」
お姉さんに誘導され、パイプ椅子に座った。
余談だが、私の髪の毛はおじさんが連れてくる美容師が切ってくれている。
素人に任せるのは少し怖いが、まあロングヘアだし。
小池さんが近寄り、鋏を手にする。
「かわいくしてね」
「……な、なるべく」
そう言って鋏を髪の毛に構えるが、ガタガタ震えて全く動かない。
「小池さ…捺?」
「……ごめ、ん、なさい!!!!!」
「まてこらぁあああああ」
本堂の扉がパァンっと開く。この手口は、
「お前ら、俺に内緒で何してんだ!!」
お兄ちゃんだ。
お兄ちゃんは怒りマックスで、ずんずんとこちらを目ざし歩いてくる。
恐怖からか捺は、鋏をカランと音を立てて落とす。
それを奪い、村人全員と捺を睨んだ。
「これは神切り鋏ーー切ったものの霊力をそのまま保持する、俺らが監禁されてる理由の一つよ」
「え、なに」
「お前はこれからこの鋏で髪を切られ、この村に縛られるところだったんだぞ」
やすやすと私をお姫様抱っこし、「東!西!」と2人を呼んだ。
「俺を睡眠薬か何かで眠らせたな?何でこんなことをした」
「…瑠璃さまがこの村にいることが伊織さまのご希望かと思いまして」
「俺の望みは瑠璃がすくすくと育つことだ」
「…失礼しました」
「いい、どうせお前らがやんなきゃ村がやってた」
睡眠薬を盛られても、いい、の一言で済ませてしまう。それほど信頼関係は厚いのだろう。
「瑠璃、怪我は?」
「ない」
「髪は?」
ぶんぶんと首を振ると、ニヤリと笑ってお兄ちゃんは村人を顎でさした。
「よしじゃあ行け!西!!」
その一言でどこからか鍬を取り出した西ちゃんが村人を襲う。
人間離れした跳躍力で鍬を持って襲った結果、本堂に大穴を開け、村人は散り散りになった。
凄まじい速さで、巫女の方へ向かう。逃げようにも後ろ盾はなく、ひぃっと目を瞑ったその時だった。
「やめなさい、はしたない」
よく聞き馴染んだ声が聞こえたかと思えば、開いたままの本堂にダダダダダと重い靴音がして、数人の黒スーツの男が入ってきた。
なんだと思い本堂の入口を見ると、よく見知った人物が杖をついてのうのうと立っていた。
「おじ、さ…」
おじさんが、上品な灰色のスーツを着て、いつも私の家に来るみたいなノリで来ていた。黒スーツはおじさんの仲間だろう。
「…その様子だと間に合ったようだね。いやぁ、瑠璃ちゃんが無事で何より」
まだお姫様抱っこされてる私の髪の毛にキスをする。
「日向…尚隆…!」
敵でも見るようにお兄ちゃんはおじさんを威嚇する。
「お兄ちゃん、この人はいい人だよ」
「白龍舞雪を返せ!お前が逃がしたんだろ!」
え、そうなの?
でもパトロンだし、確かに逃がしたと言われれば納得がつく。
「交換条件だ!白龍舞雪と瑠璃は交換だ!」
「それは困るなぁ」
ニコニコと、いつものおじさんは、ポケットからペンを取りだした。
そして、お兄ちゃんの腹部に当てる。
「ふぐっぁああああ!!!」
おそらく、スタンガンのたぐいだろう。私を支えきれなくなり、落とす直前でおじさんに拾われた。
「お姫様はつかまえたっと」
「おじさんっ、お兄ちゃんがっ」
「大丈夫だよ、普通のスタンガンだから。痺れが切れたらじきに起き上がる」
倒れて動けなくなったお兄ちゃんを、東ちゃんが心配そうにかけよる。
おじさんがいきなりしゃがんだかと思うと、西ちゃんの蹴りが飛んできた。
「西か。あいかわらずよく動く」
西ちゃんは喧嘩担当なのか、さっきから暴力沙汰がすぎるぞ。
おじさんを睨みながら、次の機会を伺っている。
「東も西も、あまりこの村に囚われないようにね。伊織とちがって、君たちは自由だ」
「うるさい!私たちの居場所はここしかないんです!!こんな体で、どこにいけと言うんですか!?」
東ちゃんが悲痛なまでにさけぶ。
「大体、あなたが半分邪眼の人間は珍しいからと言ってこの村にーー」
「じゃあ行こうか、瑠璃ちゃん」
「西!」
東ちゃんの叫び声が聞こえたと思ったら、暴れる西ちゃんを黒スーツが抑えている。
本堂の表にはいくつもの黒い車がおいてあり、音もなくどう山道を侵入したのか気になる。
私をその中のひとつの車に乗せ、「出せ」と声を出す。
え、まさかこのまま家に帰るの?私携帯とか制服とか取られたままなんだけど。
「かしこまりました」
その声で運転手が御先さんだと気づく。
車は私の思いも虚しく発進していった。
「おじさん!お兄ちゃんになんてことするの」
怒ると、「ごめんね瑠璃ちゃん」といつもと変わらぬ様子で座席にシートベルトをつけていた。
「白龍伊織も敵かとおもって。私は瑠璃ちゃんを守るためならなんだってするんだよ」
「でもスタンガンなんてっ…」
「言ったろう?あれくらいではどうもしない。心配ならおじさんに打ってみるかい?もう今頃治ってるはずだよ」
そう言い、スタンガンを私に渡してくる。怖くなり、落としてしまう。
「ところで、髪の毛は無事かい?」
「無事…ですけど…」
「よかった。まだ儀式までは至ってないみたいだね」
パン、と手を叩いて喜ぶ。
儀式?
「あれは神切り鋏と言って、切ったものを霊力事切ってしまうんだ。
髪の毛を切られたらあの村から離れただけで動けなくなる。
そういう鋏だったんだよ」
「えっ…」
「だから無事で良かったと言ってるんだ。君をまたあのマンションに戻すことが出来る」
「……お兄ちゃんは、もしかして…」
「18になれば儀式を行う予定だから、まだだとは思うけれど、舞雪ちゃんの事件の後だからねーー用心して切ってるかもしれない」
ゾッとした。一生あの村に縛られる恐怖は、一体どれほどのものだろう。
あの小さなマンションでさえ窮屈だと感じるのだ。村全体が窮屈なんて、居場所なんてどこにもないだろう。
……ああ、だから東ちゃんと西ちゃんが家族と呼ばれてるのか。
「…東ちゃんと西ちゃんは、おじさんが小さいままにしたの」
確信的なことを聞くと、ふむ、と顎を撫でて悩む仕草を見せる。
「あの子達は極めて特殊でねーー我々の研究機関でも答えが出せてないのが現状なんだ」
どうやらおじさんのせいでは無いらしい。少しほっとする。
「あの子たちの邪眼は元々ひとつだったのだろうと思われる。
それが双子という極めて稀な形で生まれてしまい、片方に寄ってしまった。
その形を維持しなくてはならない何らかの理由で維持されたところ、2人とも小さくなったのだと思われるよ」
どうやら双子で生まれたことで齟齬が発生したようだ。
おじさんの研究でも分からないことあるんだ。
そういえば。
「ねえ、おじさんって種類は違うけど邪眼なんだよね」
緑色の綺麗な目を持つ彼に、そう問いかける。
「そうだよ。私は代々、邪眼を診るために存在してる家系だ」
「じゃあ、お父さんの可能性ってあったりするの」
「ぶっふぉ!?」
盛大に吹いた。
「ないないない!それはない!それに、あまりに力が強い邪眼と子を成すと、東西みたいに偏りができるか、死産の可能性が高まるんだ。私なんかじゃ舞雪ちゃんにかなわない!」
そんなに否定するってことは、ちがうのか。
「じゃあ、私のお父さんって誰ーー?」
そう聞くと、少しだけ真面目な顔を取り戻したおじさんは、かしこまっていった。
「君のお父さんはねーー」
その真実に、私は耳を疑い、己を恐れることになる。
私はきっと、とんでもない事を聞いてしまったのかもしれない。
自宅に帰る頃にはすっかり日がくれ、夜の帳が落ちかけていた。
「瑠璃!」
マンションの部屋を開けるなり飛び出してきたお母さんの匂い、とても安心する。
お兄ちゃんと同じ匂いだ。
呆然と抱かれながら、「お母さん」と声をかける。
「お母さんは私の事好き?」
「もちろん!大好きよ」
「じゃあなんでお兄ちゃんは捨てたの」
そう聞くと、肩がビクッと上がる。
「尚隆さん…」
「ごめんね舞雪ちゃん。隠しきれなかった」
私を抱きしめながら、お母さんも呆然と立ち尽くす。
「ねえお母さん、私のお父さんはーーいないんでしょう?」
そう聞くと、ガタガタと震え出す。
お母さんはそれでも私を離さまいと抱きしめ続ける。まるで私が月にでも帰ってしまうような必死さだ。
「ーーそう。あなたにお父さんはいない」
『神が子を授けた、とでもいうのかな。処女受胎のように、清廉潔白な身で、彼女は君を授かったんだ』
おじさんは車の中で、そんな信じられないことを、まるで見てきたかのようにーーいや、見てきたのだ。だからこそ、話せるのだ。
『それが騒ぎになったら大変だ。舞雪ちゃんはバレる前に慌てて逃げた。
自分の髪の毛を燃やして。しかし、警護がついてる伊織までは連れてこられなかった』
お兄ちゃんは、最初女の子と公表して育てていたらしい。
お母さんが1人で、おじさんの息がかかってる助産師への口封じもして。
伊織という名前は、世間一般的には女の子に使われることが多いが、実は男の子につける名前なんだそうだ。
御先さんも、聞いてはいるだろうに、不気味なまでに運転を続けていた。
こんな話、事故を起こしかねないのに。
『ねえ、君はもしかしたらーー』
お母さんは、ごめんなさいとずっと泣いていた。
「何も謝ることじゃない。お兄ちゃんを置いてきたのは悪いことだけど、謝るのは私にじゃない」
「ちがうのっ、だまってて、言えなくてごめんなさい…!」
泣きじゃくるお母さんを今度は私が抱きしめながら、おじさんの言葉を思い出していた。
『ねえ、君はもしかしたら、玉藻前の復活なのかもしれないね』
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