堕恋 【完結】
Oj
第1話
僕にとって恋とは、気づいたらお互いを想い合っている。そんな優しいものだった。
大学の後輩と結婚して早8年。
小さな食品メーカーの営業として働く鈴木涼介は、先日40歳になった。係長として昇進し、小さくだがコツコツと実績を積み上げている。
5歳と3歳の二人の子供はスクスク成長して、妻はそろそろ保育士として仕事への復帰を考えている。
大学時代の飲み会で知り合った妻とは在学中に交際し、卒業後に結婚。特に刺激的な出会いではなかったが、じっくりと関係を築き上げて結婚ができた。小さな争いはあっても、妻とは大きな喧嘩もなく仲良くやれている。
幸せで平凡な家庭。それが鈴木家であり鈴木涼介の人生そのものだった。
外回りから帰社した涼介は深いため息をついた。
(値下げ値下げって、簡単に言ってくれるよなぁ)
得意先の飲食店を数件回ったが、どこも値下げの要望を出してきた。しかし、原材料の高騰でコストが上がっている今、おいそれと値下げはできない。
不景気なのはどこも同じだ。
ガソリンスタンドの領収書と書類を持って経理課へ向かう。
ここ最近の最大の癒やしを求めて。
「あの、経費精算お願いしたいんだけど」
「あっ鈴木係長!お疲れ様です」
顔を見るなり、真理が笑顔で駆け寄ってきてくれた。高校卒業後に新卒で入社をして2年目だ。
元気で可愛らしい女の子だが、まだまだ子供っぽさが抜けていない。
もし妻と学生結婚していたら、このぐらいの年の子がいたかもしれない。
(今日も元気で、可愛いなぁ真理ちゃん)
娘といってもおかしくはない年の子に、涼介は癒やされていた。
「書類、お預かりしますね。えっと、領収書がこれで、えっと」
「受領印押して、お金出すんだよ。ハンコはあそこね。日付、気をつけて」
もたもたと書類を確認する真理に、こっそり耳打ちをする。
真理は頬を染めて頷くと、印鑑と現金を取りに行った。
以前もたつく真理を待っていたら、別の女性社員に注意されているところを見てしまった。それ以来、真理がつまづきそうなときはこっそりフォローしている。
『部署が違うのに、すごいですね』
目を輝かせてくれた真理だが、営業の経費精算は何度も見ているので覚えてしまっただけだ。しかし、彼女に敬われるのは悪い気はしない。それどころかかなり気分がいい。
若くて顔も可愛らしい真理は、社内のアイドルだ。なぜこんな会社に入社したのかと思うほど。オーディションを受ければ、入れる芸能事務所があったのではないだろうか。
「お待たせしました。金額の確認、お願いします」
真理が持ってきたトレーのお金を確認し、書類に印鑑を押す。
「ありがとう。またね」
「はい!外回り、お疲れ様でした」
にっこり微笑む真理に、涼介の頬も緩む。
得意先からの圧力も忘れて、涼介は足取り軽く自分の営業課へと戻っていった。
「今日ね、保育園見てきたんだけど、ドラッグストアの近くの保育園がいいと思うの。あそこなら、涼介も送っていけるよね?」
涼介は用意してくれた夕食を取りながら、妻の話に耳を傾ける。
営業会議が長引き、帰ってきたのは22時を過ぎて子供達はもう眠っていた。
しかし、帰ってきて早々保育園のあれこれを聞かされて、少しうんざりしていた。正直、話が頭に入ってこない。
「俺が送るって、何時に?」
「保育園まで歩いて10分くらいで、それから支度して預けるからいつもより30分早く家を出るとか、かな」
「でもさ、俺も早く家でなきゃいけないときもあるし、30分は無理だよ。もっと近いところないの?」
涼介の問いに、花がむっとして言い返してくきた。
「今日だけじゃなくて、あちこち保育園見て回ってドラッグストアのところがいいって思ったんだけど。それに、そんな近場に保育園ないって、近所見ればわかるよね?」
しまった。地雷を踏んだらしい。ため息をつきたくなるのをぐっとこらえる。
「ごめんごめん。毎日は無理だけど、早く行ける日を作るようにするよ。お風呂、入ってきていいかな」
「…うん。ごめんね、疲れるときに」
食器をキッチンに下げて、そそくさと浴室に引っ込む。花はまだ何か言いたげだったが、風呂場までは追いかけては来なかった。
今後の学費やローンを考えると、花が働いてくれないと正直厳しい。しかし、残業や休日出勤、早出も当たり前にある営業職なので、保育園の送迎ができると約束はできない。
うまく時間を調整して、保育園のことは花にお任せしたいというのが本音だった。
(プロなんだし、保育園のことは自分でなんとかしてくれよ)
涼介はさっきは我慢した、特大のため息を吐き出した。
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