第41話 赴任



「東京に行け」


 そう上司から言われたのは、窓から雪が見える時だった。会社の中の一部屋で二人っきりでの面談形式。別に上司との仲は悪くはないが、おっさんとおっさんの対面形式は非常に勘弁してもらいたいものだ。と、そんなことを思っていた矢先、この発言だった。


「……唐突ですね」


「そんなもんだ」


「一応、聞きますけど拒否ってできるんですかね?」


「まぁ、相当な理由があればそうだけど、基本的にはサラリーマンなんだから受けろよ」


 おそらくは、十中八九は拒否されないものだと踏んでいるだろう。家族がいるのならまだしも、いない身分では拒否するなんてこと自体が不自然だ。


「ちなみに期間は?」


「期間とかじゃなくて赴任だから。もうこの部署に戻る可能性の方が少ないぞ」


「……」


「お前、やったじゃないか。本社だぞ、本社。ドラマでいうと栄転てやつだ。この先のキャリア形成で上とのパイプを作っとくのはいいぞ。結局、上に好かれることが出世への近道なんだから」


「……」


 そんなことを上司は言うが、実際にはどうなんだろうか。そうは言っている上司だって、別に好き好んで本社なんかには行きたくないだろう。よほど出世に興味のある者ぐらいにしか餌にすらならない『本社栄転』しかも、実質的に出世もしてないので、栄転なんて言うのは単なる上司の言葉遊びだ。


 そして、詳しく業務内容を聞いていると、仕事としては全拠点の統括業務。必然的に拠点の上司的な立ち位置の人たちとバチバチやらねば駄目なんだろう。そんなことが、果たしてできるのかと不安にもなる。


「……ちなみにいつから?」


「春から」


 この時、真っ先に思い浮かんだのはサトの顔だった。いつか、別の道を歩き始める。そんなことはわかっていた。わかりきっていたはずの出来事が、もう期限つきで訪れる。


 そう感じた瞬間から、どうにも胸がズキズキする。


「どうだ? 受けるか?」


「……いえ」


「はぁ!? なんで!」


「……」


 言えるほどの理由を持てないことに。言えるだけの関係でもないことに。もどかしい気持ちでいっぱいになる。少し前だったら、海外だろうが、地球の果てだろうが、どこだって『冗談じゃない』と文句言いながら行けた。でも、今はなにも言えずに、ただ『行きたくない』と駄々をこねた子どものようだ。


 自分にとって、サトはそんな存在じゃない。サトにとって、自分はそんな存在じゃない。今まで、曖昧でごまかしてきてきた事実が突然突きつけられた気がして。そして、それを目にしたときにすごく自分の気持ちがえぐられている気がして。


「特に理由がないんだったら、そう言うことだから」


「……」


 あるよ。


 理由は、ある。


 それでも、そんな言葉は一つもでることはなく。上司は席を退出して行った。こんなときにも、淡々と話して去って行く上司に、自分はそのぐらいの存在でしかないってことが思い知らされる。他の同僚たちだって、きっと労いの言葉や態度は示してくれるかもしれないけど、きっとそんなもんだ。


 結局、会社の人たちにとって自分はその程度の存在でしかないってことだ。それは、別に会社の人たちが悪い訳でもなく当然のことだ。自分だってそうなんだから。


 一つ心に重い荷物を持ったまま、その日は定時で帰って、いつものように駅前に向かった。


「あっ、松下さん」


 いつもどおり朗らかに手を振って、ギターを弾いて歌う彼女に。どことなく、期待している自分にどうしようもなく腹がたつ。それを言ったときに、悲しい顔をするサトでいて欲しい自分がいる。


「……」


 いや、むしろ怖かった。東京に赴任すると言って、上司のようなリアクションをされることがどうしようもなく。所詮は、観客と演者。それだけの関係性であって、それが当然にもかかわらず、自分だけが特別なものを感じていると言う事実を突きつけられることがどうしようもなく怖かった。


「どうしたんですか? 今日はいつになく無口ですけど」


 サトが顔を覗き込んでくる。


「……ん?」


「顔色悪いですね。風邪かな」


 そう言って、額に手のひらを当てる。


「……お前の手って、冷たくて気持ちいいな」


「そ、そりゃそうですよ。この寒空の中ギター弾いてるんですから」


「もうちょっと……このままでいいかな?」


 そう聞いてサトが当てている手に、両手を重ねる。


「い、いいですけど……松下さんのおでこもあったかくて気持ちいいですし」


「……」


「……」


「……」


「……松下さん?」


「ん?」


「なんか……ありました?」




















 俺はサトに『なんでもない』と言った。


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