誘惑してくる小悪魔はいざ押されると弱い
ますく
第一部
プロローグ 本当は恥ずかしがり屋の彼女
第1話 噂の美女
私立
全国的に有名なスポーツ強豪校であり、輩出した卒業生の中には世界で活躍するプロスポーツ選手もいる名門校である。
時分は放課後。
校舎前にある巨大な桜木を背に帰寮する生徒達。
そのほとんどがまだ部活を決めていない一年生だ。
仲良く放課後の予定を決めていた彼等彼女等だったが、視界の端に
そして同時に息を呑んだ。
「……うっわ、誰あの美女」
「知らんのー? 二年の
「声デカっ」
「え、思わん? あたし川澄先輩がいるだけで学校来れんだけど」
「可愛いのはわかるよ? でもあれはもう気圧されちゃうって」
一つにまとめられた豪奢な金髪。
運動部に所属しながらも白い肌。
平均よりやや高めの身長と長い手脚に加えて、世の女性の理想を体現したプロポーションは沙霧の努力の結晶でもある。
二人組の後輩女子が言ったように、住む世界が違う——と気圧されてしまうほど沙霧の美貌は浮世離れしていた。
「おっ、川澄じゃん」
「ラッキー! これで部活頑張れるわ」
「ねぇ、見てあの子っ、五組の沙霧ちゃんじゃない?」
「やべ〜バチクソ可愛い〜。なんつーか顔? 骨? もう存在自体が私とは違うわ」
「そうだね」
「そうだねやめて!?」
「でも私はあんたのこと可愛いって思ってるよ」
「え、好き!」
誰もが沙霧を目で追う中、当の本人はどこ吹く風だ。
注目されるのは慣れている。そのあしらい方も。
そこへ。
「こんにちはっ、沙霧さん」
一人の男子生徒が沙霧に近づいた。
沙霧は男子生徒のネクタイの色を確認すると、柔らかく微笑んだ。
「ん、一年生じゃん。何か用? 陸部の見学したい感じ?」
「いいえ、そうじゃなくて……少し先輩と話をしたいなと思いましてっ」
ニッ、と爽やかな笑顔を向ける後輩男子。
ヒソヒソと話し声が聞こえてそちらを沙霧が流し見れば、複数の女子生徒の熱視線が後輩男子に刺さっている。
なるほどね。
この一年生くんがどういう立ち位置かは、なんとなくわかった。
「悪いけど、これから部活だからさー。また今度にしてくれる?」
「あ、沙霧さんは陸上部に所属してるんでしたね。実は俺も小学校のとき短距離をやってたんですよ。大会にも出てて県でも速い方だったんですっ」
「へ〜、そうだったんだ。すごいね」
「それほどでもないですよっ。親とか周りの期待が大きくて、それに応えようって必死に練習してただけなんで。結果が後から付いてきたって感じですっ。陸上自体も好きなんで、辛い練習も全然苦にならなかったですから」
「……頑張ったんだね」
隙自語(隙あらば自分語り)。
笑顔が引き攣るのを沙霧は努めて堪えた。
我慢……我慢だ。
「あはは……そんなに褒められると、なんか照れちゃいますね。 あ、沙霧さんスパイクとかどうしてます? 俺、オーダーメイドにしてたんですけど、小学生のくせに生意気だ、とか言われちゃって……まぁ、嫉妬だってわかってましたから流しましたけど。あと——」
——あ、無理。
「あ〜、ごめん! もう時間ヤバいからあたし行くね!」
話を遮って振り返る沙霧。
その背中に後輩男子が慌てたように声を掛ける。
「待ってくださいっ、連絡先だけでも——」
「あたしそういうのいいから!」
最後まで聞かず、それでいて迷う素振りも見せず、沙霧がそのまま歩を進めようとしたその瞬間。思い出したように「あ、そうだ」と呟くと、
「『沙霧さん』じゃなくて、『川澄先輩』ね。普通に初対面だし、そこんとこヨロ」
そう言い残して沙霧はさっさと走り去っていった。
一連の光景を見て、様子を見守っていた生徒達がざわつき始める。
まさか一年男子の顔面ランキング上位を一蹴するとは。
(あ、あれか! 言い寄られすぎて男子が苦手になった的な……)
その喧騒の中で、後輩男子が一つの結論を導き出した。
何もおかしな話じゃない。
沙霧のような美人なら、過去のトラウマから男嫌いになっていても不思議ではない。
いや、むしろ。
そうでなければおかしい、と必死に自分へ言い聞かせる。
だが、その思いも——
「あ、
大きな笑顔を咲かせながら一兎と呼ばれた男子生徒に駆け寄る沙霧を見て、呆気なく散るのであった。
しかも腕まで組み始めているではないか。
もう何がなんだか……と頭が真っ白になる後輩男子。
その後ろで——
「近ッッッ! なにあれ、彼氏?」
「違います〜。あれは
「距離感バグってない?」
「あたしもそれ思ったんだけどさ〜、川澄先輩って明るい人だから誰とでも仲良いって話だし」
「待って」
「何?」
「それってウチも頑張れば川澄先輩とハグできるって話?」
「いや、違うって」
実際はただの幼馴染である。
盛り上がる二人組の後輩女子のことなど露知らず、肩が触れ合うぐらいの距離で部室へ向かう一兎と沙霧。
『距離バグコンビ』
巷ではそんな風に呼ばれているらしい。
「沙霧、今日の練習メニュー見た?」
「あれっしょ? 冬練みたいなやつ。ハードル今日パート練で良かったわ〜。
「それだよそれ! 篠崎さん絶対逃げただろ!」
「篠崎先輩曰く『辛い練習だけが身になるわけじゃない』だってさ」
「……そりゃそうだ」
その通りすぎてぐうの音も出ない。
三年生の篠崎彩子。ハードルのパート長でインターハイ出場経験を持つ。
役職と実力を兼ね備えている彼女の言葉だ。
一兎も浅はかだった考えを反省し、素直に納得した。
「ま、今日のは完璧逃げだけどね。先輩もめんどくさいって言ってたし」
「俺の純情を弄ばないでくれます?」
「いや、あたしに言ったって仕方ないじゃん」
「そうだけどさ……例えば学祭とかで皆がやる気になってるとこに一人だけやる気ない奴いたらシラけるだろ? 今あれと同じ気持ち」
「じゃあ篠崎先輩にチクっとくよ。一兎が嫌なことからすぐに逃げる根性なしって言ってましたって」
「言い方ぁ!? 悪意しかない! 絶対にやめて!?」
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