第196話 悪魔の招き

 時はやや遡る。ここはマッツィアーノ公爵領の港町ミラツィア、そこに築かれた荘厳な公爵邸の中庭にマリアを乗せた客車が到着した。町長のジョヴァンニを先頭に使用人一同が整列し、背筋を伸ばしてそれを出迎える。


 やがて客車が完全に着陸し、ワイバーンが羽ばたくのを止めたのを見てジョヴァンニは客車の扉の前まで歩み出る。同時に二人の男性兵士と一人の女性兵士が扉に近づき、二人の男性兵士が扉を開いた。


 すると中からマリアが顔を出し、女性兵士は客車に取り付けられた急な階段で転ばないようにエスコートする。


「大奥様、ようこそお越しくださいました」


 ジョヴァンニが頭を下げると、使用人たちは一糸乱れぬ動きで一斉に頭を下げた。


「我々ミラツィアの者はセレスティアお嬢様の爵位継承を心よりお祝い申し上げると共に、これを全力でお支えいたす所存でございます」

「え、ええ。ありがとうございます……」

「新公爵閣下より、大奥様には一切の不便がないようにと仰せつかっております。まずはご滞在いただくお部屋にご案内いたしますので、どうぞこちらへ」

「はい」


 マリアは小さくうなずくと、ジョヴァンニに連れられて領主邸の中へと歩いて行くのだった


◆◇◆


「大奥様、こちらの貴賓室をお使いください。かつて新公爵閣下がミラツィアをお救い下さった際、お使いになられたお部屋となります」

「娘が……ミラツィアを救った?」

「はい。二月のことです。新公爵閣下が予告なしに巡検にいらっしゃり、汚職と搾取を繰り返してマッツィアーノを裏切っていた当時の町長ドメニコを処断してくださいました。しかも新公爵閣下はドメニコの息のかかった奴隷商たちも摘発してくださいました。その際にはまるで奴らの隠れ家を予めご存じだったかのようにことごとくお見つけになり、売られそうになっていた多くの者たちをお救いになられたのです」

「そのようなことが……」

「はい。たとえば、大奥様の護衛を担当しておりますこの者はピアと申すのですが、彼女もまた、新公爵閣下にお救い頂いたうちの一人なのです」

「そうなのですか?」


 そんなマリアの問いにピアは誇らしげな表情で答える。


「はい。もし新公爵閣下にお救いいただけなかったら、きっと私は奴隷として異国に売られていたでしょう。ですからこのご恩に報いるべく、大奥様の身の安全はこの私が必ずやお守りいたします」

「そうなんですね。ありがとうございます」


 マリアは少し驚きつつも、ほっとしたような表情を浮かべた。


「実はですね。ミラツィアの住民たちは今、勝手に爵位継承をお祝いする祭りのようなことをしておるのです。しかも町を挙げてお祝いするべきだとの陳情が多数寄せられておりまして……ですから大奥様にご滞在いただけていると知れば、住民たちもさぞ喜ぶことでしょう」

「は、はい」

「ああ、もちろん新公爵閣下にご許可いただければすぐにでも祭りの準備をいたします。その際にはぜひ、大奥様も民にそのお姿をお見せいただきたく思っておりまして――」


 ジョヴァンニはそれからも、ミラツィアの住民たちがどれほどセレスティアに感謝しているかを延々と語り続けるのだった。


◆◇◆


 それからマリアは公爵邸で数日を過ごした。レクスたちは今、レムロスでモンスターと戦っているところだが、ミラツィアの町は平和そのものだ。


 夜だというのに町のあちこちに明かりが灯っており、そんな夜景をマリアは貴賓室のバルコニーから眺めていた。


 晩秋の冷たい風がさっと吹き抜け、マリアの髪を揺らす。


「大奥様、お風邪を召されてしまいます。どうか中へ」

「そうね。ピアさん、ありがとう」


 マリアはそう言って微笑んだ。そして夜景に背を向けたちょうどそのときだった。


「見つけたぞ」


 ゾッとするような声と共に、ファウストだった悪魔がマリアの背後にぬっと現れた。


「え? ひっ!? あく……ま……?」


 振り返ったマリアは小さく悲鳴を上げ、そのまま腰を抜かして尻もちをついてしまった。


「大奥様! 早く中へ!」


 ピアが慌ててマリアに駆け寄り、悪魔とマリアの間に割って入る。しかし悪魔はピアに向かって手を突き出すと、バレーボール大の黒い弾丸を放った。


「うっ!?」


 反応できず、黒い弾丸の直撃を受けて吹き飛ばされたピアはガラスを突き破り、そのまま室内の床に転がった。


「ピアさん!? ピアさん!」

「う……お……奥……さま……」

「お前には一緒に来てもらうぞ」


 するとマリアの体を黒いロープ状の何かで縛られ、そのまま宙に浮いた。


「な、なんなんですか! あなたは!」

「俺か? 俺はレヴィヤ。お前たちが悪魔と呼ぶ存在だ」

「どうして悪魔が……」

「それはもちろん、この体の元の持ち主が呼んだからだよ。お前の娘、セレスティアをできる限り惨めな思いをさせてから殺したい、とな」

「な、なぜ娘を!」


 すると悪魔はニタァと笑う。


「お前の娘がこの体の元の持ち主をめたからだよ。自分が爵位とやらを受け継ぐためにな」

「え?」

「ファウスト・ディ・マッツィアーノ、これがこの体の元の持ち主の名前だ。これで十分だろう?」

「っ!」


 マリアは目を見開き、息を呑んだ。


「お前には俺と一緒に来てもらうぞ。ファウストの最後の願いを叶えるためにな」


 それを聞いたマリアはすぐにレヴィヤをにらみつける。


「私は悪魔の思いどおりになんか! 悪魔に利用されるぐらいなうっ!?」


 レヴィヤはマリアの顔の前に手を突き出すと、マリアは意識を失い、がっくりとうなだれた。


「まさかいきなり舌を噛もうとするとはな……」


 レヴィヤは小さく舌打ちをしたが、すぐさま庭に生えている高いモミの木に向かって黒いロープ状のものを伸ばした。するとモミの木から一羽のダーククロウが逃げるように飛び立つが、一瞬にしてそのロープに絡めとられる。


 ダーククロウは逃げようともがいているものの、そのままレヴィヤの前まで連れてこられた。そしてダーククロウの顔を覗き込むようにして語り掛ける。


「おい! セレスティア! 見ているんだろう?」


 続いてレヴィヤはダーククロウにぐったりとしているマリアの姿を見せつけた。


「お前の母親は預かった。返してほしければすぐにコルティナまで来い。さもなくば、こいつの命はない」


 レヴィヤはそう言うと、ニヤリと笑ったのだった。


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 次回更新は通常どおり、2024/05/30 (木) 18:00 を予定しております。

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