第153話 魔の森の異変
九月下旬のある日、コルティナにあるマッツィアーノ公爵邸のクルデルタの執務室にセレスティアがやってきた。
「お父さま、今月の報告に参りました」
セレスティアはいつもどおり無表情のまま事務的に目的を告げる。
「そうか。もうそんな時期か」
「はい。まずは領地の状況ですが――」
セレスティアはマッツィアーノ公爵領で起きた様々なことを報告していく。その中にはなんと、小さな村の村長が行った少額の横領などといった通常では到底発覚しえないような悪事まで含まれていた。
「ちっ、あいつめ。まあいい。脅しの材料には十分使えるだろう」
クルデルタは不機嫌そうにそう
「次は魔の森についてご報告があります」
「ん? 魔の森がどうかしたのか?」
「原因は不明ですが、モンスターの数が減少しています」
「何? どういうことだ?」
「わかりませんが、エルダーディアやシルバーウルフといった主力級モンスターの収穫ができなくなっています」
クルデルタは小さく舌打ちをする。
「なぜだ?」
「不明です。私は森の奥までは調査できませんので」
「ちっ。それもそうだな……」
クルデルタはそう言って難しい表情で腕組みをした。右手の人差し指が自身の二の腕を何度もトントンと叩いている。
「仕方ない。サンドロに調査をさせるから引き継ぎをしておけ。魔の森についてお前はこれ以上深追いする必要はない」
「わかりました。続いてロネト伯爵についてです」
「ロネト伯爵? そういえば今年の交流会の会場はあいつのところだったな。何かあったのか?」
「はい。今年はかなり豊作のようです」
「そうか。ならば期待できそうだな。何かないのか?」
「はい。ロネト伯爵の次男、ジャンドメニコがルカ・ディ・パクシーニの信奉者のようです」
「ほう?」
「ジャンドメニコは銀狼騎士団を真似て、自らの騎士団を立ち上げるべく若い騎士見習いを誘っては騎士団ごっこをしています」
「なるほど。俺の庇護を受けているロネト伯爵の息子がなぁ。そのガキはいくつだ?」
「今年で十七歳になります」
「そうか。使えるな。ロネト伯爵の家族構成はどうなっている?」
「ロネト伯爵夫妻にはジャンドメニコの他に長男のフルジェンツィオ、長女のカロリーナがいます。伯爵の両親はすでに他界しています」
「なるほど。娘はいくつだ?」
「今年で十四歳です」
するとクルデルタはニタァと邪悪な笑みを浮かべた。
「使えるな。ならば交流会のついでに圧力を掛けておくとしよう。娘のほうの交友関係も調べておけ」
「わかりました」
「そういえば、そいつの婚約者は誰だ?」
「まだ決まっていないようです」
「なるほどなぁ。ならば今探している頃だろうし、その線で脅すか」
クルデルタはそう言って悦に入っている。一方のセレスティアは相変わらず無表情のままだ。
「ああ、そうだ。王家の様子はどうだ?」
「相変わらずです。国王は宰相と王妃の間で揺れ動き、政治は完全に停滞しています」
「そうかそうか。まあ、そうなるだろうな」
クルデルタは再び満足げな様子で
「また、聖女リーサと共に各地で物見遊山の旅に出ていた第二王子のマルコですが、レムロスに戻されたようです」
「こんな時期に物見遊山で三か月も王都を空けるとは、まさにあの愚物の子だな。それで、その聖女とやらは結局どうだった?」
「教会の教えのとおり、聖女に与えられたのは癒しの光のみでした。私たちのモンスターを倒す力はありません」
「そうか。ならば気にする必要もなさそうだな。魔力の強さはどうだ? 何かの役に立ちそうか?」
「いえ。魔力もかなり低いようです。物見遊山の道中で何度となく怪我人の治療をしておりましたが、たとえば子供が転んで膝を擦りむいたといった程度の怪我の治療に十分ほどかかっていました」
「ふん。その程度の傷に十分とはな。それならば最近安値で売り出されている粗悪なポーションと変わらんではないか」
「はい。仰るとおりです。ですが、どうやら国王は今度の交流会にその聖女と第二王子を出席させる意向のようです」
「ほう? 聖女も? どちらの差し金だ?」
「王妃です」
「何? どういうつもりだ?」
「どうやら寝所で、ルカ・ディ・パクシーニを取り戻すためにも光の魔法が王家の手中にあることを示すべきだ、と
「くくく、相変わらずの愚物だな。あの女だってルカ・ディ・パクシーニを取り戻すつもりなどないだろうに」
「はい。ですが、わざわざ飼育しておいた甲斐がありますね」
「まったくだ。セレスティア、お前に任せて正解だったぞ」
「ありがとうございます」
「報告は以上か?」
「いえ。他の領地の様子についてご報告します」
それからもセレスティアは、各地の様子や有力者たちの醜聞や弱みなどを細かく報告した。
「なるほど。ご苦労だった。ルカ・ディ・パクシーニの様子はどうだ?」
「調教は七~八割といったところです。もうお父さまに直接お見せすることもできますが、ご覧になられますか?」
「ああ、そうしよう」
そしてセレスティアとクルデルタはルカが軟禁されている部屋にやってきた。扉の開く音に敏感に反応したルカはセレスティアの姿を見た瞬間に顔を上気させ、嬉しそうにセレスティアのほうへと駆け寄って
「セレスティア様! お帰りなさい!」
そこには王太子の威厳は一切なく、まさに忠犬という表現が相応しい。
「ルカ」
「はいっ!」
ルカはセレスティアが踏みつけやすいようにそのまま両手を地面につき、期待した表情でセレスティアを見上げる。そんなルカの背中をセレスティアはヒールを履いたまま踏みつけた。
「ううっ! ありがとうございます! ありがとうございます!」
セレスティアが踏みつける度にルカは恍惚とした表情を浮かべ、感謝を伝える。
「ルカ、お腹を見せなさい」
するとルカは躊躇なく犬がお腹を見せるときのようなポーズを取った。その表情は命令に従う喜びに満ちており、さらに股間が少し盛り上がっている。
「く、くくくくく。クハハハハハ。いいじゃないか。よくぞここまで躾けた。さすが俺の自慢の娘だ」
「ありがとうございます」
クルデルタは満足げな表情でセレスティアを褒め称えた。一方のルカはそんなクルデルタなど目に入っていないのか、今か今かとセレスティアの命令を待っている。
しかしセレスティアはルカのことなど見てはおらず、無表情のままクルデルタの目をじっと見つめている。
「もう十分ではないのか?」
「いえ、まだです。私から離れると半日ほどで正気に戻ってしまいます。記憶が残らないとはいえ、まだ元々親しかった者たちに会わせることはできません」
「なるほど。そういうことか。ではやはり今年の交流会には間に合わないのだな?」
「はい。まだしばらく時間がかかります。私から離れて一か月経ってもこの状態を維持できるようになるまでは元に戻ってしまう可能性があります。来年の交流会であれば問題ありません」
そう言うと、セレスティアは再びヒールでルカの腹部を踏みつけた。
「うっ! ありがとうございます!」
ルカは恍惚とした表情でお礼を言った。そんなルカの股間は大きく盛り上がり、やがてびくんびくと体を震わせる。
やがてその股間にじんわりと染みが広がり、青臭い匂いが漂い始める。
「ククク、希望の光ももうこれで終わりだな」
クルデルタはそんなルカの様子を見て、ニタリと笑うのだった。
◆◇◆
十月に入り、サンドロは魔の森の調査へと向かった。そしてその二日後、離れにあるファウストの研究所にセレスティアがやってきた。
「セレスティア、来ましたか」
「ええ、ファウストお兄さま。サルヴァトーレお兄さまはいかがですか?」
「問題ありません。期日までには完璧に仕上がる予定です」
「わかりました。それとサンドロお兄さまが魔の森に向かいました」
「分かっていますよ。足止めもしますし、準備は万全ですよ」
「お願いします。お父さまの足止めは私が」
「ええ。任せましたよ」
セレスティアは無表情のまま小さく
「ところで、あのペットはどうするつもりですか? 事が済んだら二人をそのまま生かすという約束ですが、サルヴァトーレは他の男の存在など許さないでしょう?」
「別にどうこうするつもりはありません。あの場で殺したらカードが一枚減るから生かしておいただけです」
そう答えたセレスティアの目をファウストはじっと見つめる。だがセレスティアの瞳にははなんの感情も浮かんでいない。
「ならば、いっそ解放して帰し、恩を売るのも一手ですね」
「どうでしょう? 彼はもう手遅れですから」
「手遅れ、ですか」
「はい。まともな生活を送ることはもう不可能です。そのように調教しましたから」
セレスティアは無表情のまま、事もなげにそう言い切った。
「そうですか……」
「はい。ですから、あのペットのことを今、気にする必要はありません。すべてが終わってから考えればいい。違いますか?」
「……」
「そんなことより、ちゃんと準備をしてください。失敗したら終わりなのですよ?」
「分かっていますよ。そちらこそ抜かりなく」
「はい。もちろんです。それではすべてが終わったあと、またお会いしましょう」
セレスティアは表情を変えずにそう言うと、
「ふん。せいぜいいい気になっているがいいさ。お前の愛するサルヴァトーレはもう手遅れなのだからな」
一方のセレスティアもクルデルタそっくりの邪悪な笑みを浮かべていたのだった。
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次回更新は通常どおり、2024/04/17 (水) 18:00 を予定しております。
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