【一章完結】クソザコTS商人ちゃんは引きこもりたい(願望)

水品 奏多

1 目覚め



「っ……いい、ティナ? 

 何があっても動いたり声を挙げたりしちゃダメだからね?」


 薄汚れた木箱の中。

 母親がそう諭してくるのを見上げて、ティナ・ルターは思わず声を荒げた。


「お母さんはっ? お母さんはどうするの?」


「私は大丈夫よ。すぐに他の箱に隠れるから」


「で、でもっ」


「私のことは良いのっ。

 だからお願いっ、ティナ。約束して。さっき言ったことを守れるって」


 ティナの反論は、母親の瞳に宿る強い光に封じられる。


 つい数分前、商隊の護衛たちが発した「妖魔の群れだっ」という叫び声。様子を見に行ったまま帰ってこない父親と、場所の外から断続的に響く怒号と悲鳴。

 幼いティナとて理解していた。今がのっぴきにならない状況にあると。

 直観的に察してさえいた。もしかしたら、目の前の彼女は死ぬつもりなのではないかと。


 さりとてティナの口がそれ以上動くことはなかった。

 妖魔の脅威については子供のころから何度も聞かされていたのだ。大人たちがさじを投げた今の状況をひっくり返せる想像など、できるはずもなかった。

 全身を襲う恐怖と彼女の気迫に押され、ティナは小さく首を縦に振る。


「いい子ね、ティナ。

 ……よかった、あなただけでも――」


 母親の顔に仄かな笑みが広がると同時、馬車の客室に乱入してくる黒い何か。

 血相を変えた彼女の手によって木箱の蓋が閉められ、ティナの視界は真っ黒に染まる。


 一体何が起こったんだろう、と木片の僅かな隙間に目を近づければ、ぐちゃりと何かが潰れる音が外より響いた。


「……ティ、ナ。愛しているわ」


 まるで重いものが伸し掛かってきたかのように、異音を立てる木箱。

 ティナがその正体を察する前に、生温かく鉄臭い液体が頭上より垂れてくる。


「ひっ」


 つい漏れそうになった悲鳴を。両手を使って抑える。

 がたがたと震える指を食い込ませ、必死に言葉を殺していく。

 ここで声を上げたらどうなるかなんて火を見るより明らかだし――何より、それが母親との約束だったから。


 同時に、彼らの邪悪な姿を覗き見てティナは思い出していた。


 ――ここが、ゲームの世界だと。


「グルルルルゥ」


 息遣いが感じられるほどの至近距離で、獣型の妖魔が咆哮を上げる。

 周囲に群がる妖魔たちの唸り声が、赤く染まった夕焼けの空へと吸い込まれていく。


 間近から漂い始める血生臭い匂いと、頭の中を駆け巡る前世とゲームの記憶。

 そんな生き地獄のような状況の中、ティナおれはただただ体を縮こませて、化け物たちに気付かれないことを天に祈っていた。




 ……。

 …………。




「うわ、こりゃあひでえ……。

 妖魔の群れにでも襲われたんかね?」


「だな。嫌な足跡がそこかしこに残ってやがる」


「……?」


 それからどれだけの時間が過ぎただろう。

 1日? 2日? それともたった数時間? いまいち判断が付かない。ぼんやりと引き延ばされてしまったかのように、あらゆる感覚が曖昧だった。


 ただそれでも、外で何かが変わったのは理解できた。

 覚醒した五感が捉えるのは、朗らかな朝の光と――人の気配。それも明らかに武装した、複数の人間の声だ。


 ……まさか救援が来てくれた? 俺は助かったのか?


「いたっ」


 慌てて立ち上がれば、後頭部を何やら固い物体が叩いた。

 そうだった。俺は彼女の手によって木箱の中に閉じ込められたんだったな。


 ……あれ。ってことは、昨日?の出来事は夢じゃなかったってコト?

 い、いやいやいや、まさかそんな……ねえ?

 きっと寝相が悪くて、どこか狭いところに入り込んじまったんだろ、うん。……いや夢遊病みたいでそれはそれで怖いけれども。


「――っ、妖魔かっ!?」


「いや違う、生存者だっ。

 ……大丈夫か、嬢ちゃん?」


 どたばたと足音が近づき、混乱する俺の頭にキンキラキンの太陽が降り注ぐ。

 どうやら外にいた誰かが天井?を開けてくれたらしい。小さく息を吐いて、体を起こす。


 酷い悪夢だったなあ、ほんと。

 ほら、慣れ親しんだ日本の光景が目の前に広がって――


「ひぇっ」


 はたして、そこにあったのは最悪そのものだった。

 ボロボロになった客室と、此方を心配そうに見つめる甲冑姿の二人の男。

 その背後では中年の女性が倒れ伏しており、さらにその奥――馬車の外では、引きちぎられた何かの残骸が無数に浮かんでいた。

 思えば、先ほどからずっと薫っていたのだ。錆びた鉄のような、気持ち悪い匂いが。


 喉の奥からせりあがってくる吐瀉物。

 全身が警告を発していた。魔の前のこれは決して夢ではない。紛れもなく現実の出来事である、と。


 慌てて視線を落とせば、そこに見えるのは前とは明らかに変化した自身の体。

 その腕はまるで幼い少女かのように小さく細い。ついでにいえば、身に纏う服もごわごわとした茶色のワンピースに変化していた。


 ……なるほど、完全に理解した。

 ネット小説で稀によくあるTS転生ってやつだ、これっ!?


 驚愕に似た困惑が心の中に広がっていく。

 全く以て意味が分からないけれど、ここまで揃えられたら信じるしかないだろう。俺はゲームの世界に転生してしまったのだ。人間と妖魔と呼ばれる化け物が戦う、剣と魔法の王道RPGに。それも男が女に生まれ変わる形で。

 そう思い至ると、意識の端っこに「ティナ・ルター」としてこの世界で生きてきた記憶が存在することに気付いた。


 行商を営む両親のもとに生まれ、無口な性格を心配されつつも健やかに育って――うむ、色々知らない情報はあれど、少なくともその可愛らしい容姿は俺の知識と一致する。


 新作CSゲーム「黎銘のフロージア」に登場するサブヒロインの一人。主人公たちに味方する謎の商人、ティナ・ルター。

 ああ、覚えているとも。つい最近まで楽しくプレイしていたし、何より推しキャラなのだ。TSしたという事実に目を瞑れば、ゲームの世界に転生できたのだと諸手を上げて喜んでもいい。


 ただ問題は、このキャラがゲーム中で圧倒的に不遇な立ち位置だったことだ。

 主人公たちの行く先々(しかも大体が「戦闘マップの中間地点」とかの超危険地帯)で現れ、回復薬とかの必需品を売ってくれる、所謂お助けキャラ。

 そのくせ役割だけは一級品で、単身敵のアジトに踏み込んだり、重要アイテムを届けるために動いて、あっさり退場させられたりする。その扱いの雑さと言ったら、最早キャラクターそのものがシナリオの都合のためだけに存在すると言われても納得できるレベルだった。


 しかも、平気で山を吹き飛ばせる化け物みたいなキャラが闊歩する中で、ほぼ唯一の非戦闘要員ときた。

 当然、特殊能力とかも用意されておらず、プロデューサーさんなんか「戦闘能力だけでいえば、ティナちゃんは間違いなく最弱ですね(笑)」とかぶっちゃけてたからなあ。


 ……うん、思い出せば思い出すほどむかついてきたわ。

「お、このキャラかわいいじゃん」と思って買って、攻略サイトを見たら「ティナ・ルターを推すのは絶対に辞めましょう」とか書かれた時の絶望感が分かるか、ええ?

 攻略ルートまでいかなくても、せめて過去編ぐらいは用意してくれよっ。名ありのキャラの中で何の掘り下げもなかったの、ティナちゃん位だぞっ。

 緑髪だから駄目なのかっ!? それともあれか、使い古された無口キャラだからいけないのかっ!? なんでや、お人形さんみたいでかわいいだろっ。


「っ」


 唇を横に引き締め、音のない慟哭を零す。

 

 はあ、はあ……よし、ちょっと落ち着いてきた。

 こうなったら仕方ない。ゲームでは存在しなかったティナ・ルターのハッピーエンドを目指そうじゃないか。


 原作と同じポジションに収まるなんてもってのほか。

 目指すは、ゲームキャラと一切関係ない場所でののんびりスローライフ。大丈夫、俺にはこの世界ゲームの知識があるんだ、危険なイベントを避けることくらい容易なはず。

 大体、原作でティナがやったことだって、本来なら戦闘能力のある他の誰かが担うべき仕事なのだ。きっと彼女一人が減ったくらいで、ストーリーが崩壊したりはしないさ。


 おお、そう考えると何だかワクワクしてきたな。

 ふっふっ、妹に「お兄ちゃんは将来は立派なニートになりそうだね」と褒められた俺の実力、見せてやるぜっ。


 とまあ、決意を新たにしたところで――


「うえぇぇぇ」


 ――気まずそうに佇む男二人を前に、俺は盛大にリバースした。


 初手スプラッターはただの一般高校生にはつらいって。

 俺を転生させた神様、グロ軽減フィルター付け忘れてますよ~。そういうのは特に対応してない? あ、そうですか。

 って、うわ。ゲロが箱に当たって跳ね返ってきて――おろろろろろ。



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