第五幕 長生きしろよ。

 穴の中で横たわったままの満春の横に二人は綺麗に着地すると、ロクロウが満春を抱え上げてサネミに託す。満春はぐったりしたまま意識を失っているが、息はしている。満春が横たわっていた地面に浮き出た目の印は、まるで生きているかのようにニヤリとロクロウを見て微笑んでいた。

「恐らく、この目の印が本体と繋がってるな。あとは俺様がやる」

「一人で、大丈夫ですか」

「……心配すんなよ。サネ、お前さんこそ満春を頼んだぞ」

 満春を抱えたサネミが、何か言いたげにロクロウの目を見た。ロクロウも黙ってその目を見返す。炎の暴れる音に、二人の沈黙だけが落ちる。

「貴方は、本当に優しい人だ」

 先に口を開いたサネミが言う。実体化しているゆえに、炎の熱風で帽子から覗くさらさらとした髪の毛が揺れる。

「……それを言うなら、優しいのはお前さんだろ。俺様たちと出逢った時でさえ、亡霊の安らかな眠りのためだけに動いていた。それに、恩返しって言うだけでここまで蓮夜に付き合う義理もねぇだろうによ」

 やれやれと笑ってロクロウが思い返すように言えば、サネミも柔らかく笑って返す。

「貴方がかつて人間だったとわかったあの日、実は私も霊力を通して少しばかり貴方の過去を見ました。貴方は椿さんを守りたかった……たとえ自分を犠牲にしても。その記憶を見て、やはり貴方は優しい人だったんだと、どこか安心した自分がいました」

 穴の中から夜空を見上げるようにしてサネミは続ける。

「言った事はありませんでしたが……私にも生前、幸せにしたい女性がいました。でも結局、私は彼女と添い遂げることも、幸せにすることも叶いませんでした」

 サネミは腕の中の満春を少しだけ懐かしそうな瞳で見つめた。生前自身が思いを寄せていた女性を重ねて、思い出しているのだろう。

「きっと私も、いつか成仏する時が来たとしても地獄行きです。またお会いしましょう」

「……ああ、またな」

 ロクロウの返事を聞いて、帽子のつばを握るようにして会釈をすると、サネミは満春を抱えたまま穴の外へと大きく飛び上がった。


 穴の淵からサネミの姿が見えなくなったのを確認して、ロクロウはさっきまで満春が横たわっていた場所……そして今では自身の足元に値する場所を眺める。

 目のような印はぎょろぎょろと蠢き、足場の周りには穴の底から瘴気が炎と共に吹き荒れる。耳をすませば、地獄で焼かれている者たちの悲鳴のようなものまで微かに聞こえてくるようだった。

「……悪いが、お前さんが選んだ標的満春は返してもらったぜ」

 刀を出現させて顔の前に構える。右手で柄を握り、ゆっくりと抜刀すれば光る刀身が露わになった。炎の光を受けて紅く色づく刃を、ロクロウは地面に向けるようにして逆手で構え直す。

「お前さんはもう一度、俺様と地獄行きだ」

 言いながら目の中心に向けて勢いよく一先を突き刺した。地面に浮き出た目の中心に刀身を抉りこませてみれば、その目は突如暴れるように激しく蠢きだす。同時にどこからともなく地面に轟くような咆哮が響き、激しい揺れと共に足場が更に地に沈み始めた。

 目を刺した場所から瘴気が溢れ出し、足場を取り囲む炎も一層激しくなる。焼け付くような臭いと鉄の混ざったような臭いがあたりに充満する。

「……てめぇは俺の魂をもって、封印させてもらうぞ」

 刀を刺したままその場に跪き、刃を通じて全身全霊で一気に閻魔の目に霊力エネルギーを叩き込む。ロクロウの全身が青白く発光し、目に見えるレベルで溢れかえった力が、まるで生きているかのように宙を漂い、刀を伝って閻魔の目に注がれる。

『ゥォォォオオオオ‼』

 ロクロウの刀から注がれる力に、目が苦しそうに雄叫びを上げる。閻魔の目を二つに引き裂くために、ロクロウがありったけの霊力を送り込めば、ビシビシと、嫌な音が響き始め足場が震える。

 やがて、ロクロウの刀が刺さっている部分から地割れが起きだし、そのたびに目が悲鳴を上げた。

「てめぇをバラバラにして、地獄まで押し返してやるよ……!」

 足場は崩れ続けるとともに、深い穴の底へと沈んでいく。炎があふれかえる穴の底は見えない。

「これで……終いにしようや」

 エネルギーが空になり、ロクロウの意識がぼやけ始める。だがここで途切れさせるわけにはいかない。とどめのためにさらに力を込めた時、ビシビシと鳴っていた音が一瞬大きなものに変わり、目の前の閻魔の目が真っ二つに裂けると同時に足場が崩れた。

『グォォォォオオオオアアア‼』

 足場を失い、体が投げ出される。

 ロクロウは閻魔の目と共に炎吹きあふれる地獄の穴へと真っ逆さまに落ちるさなか、頭上に広がっていた夜空が狭く閉じていくのを見た。

 それは閻魔の目を蹴散らし、地獄の穴を封じることに成功したという証だ。

 徐々に閉じて見えなくなる現世の夜空を、ロクロウは炎に落ちながら見ていた。

 声を出そうとしたが、霊体として形が保てなくなっているらしく、もう音にはならない。

 閉じゆく夜空に、星が輝いている。


(ようやく、行くべきところに行ける……か)


 焼けつくような鉄の臭いに包まれて、背後に地獄を感じる。

 本来行くべきところがもうすぐそこだ。

 随分と遠回りをしたものだと、ロクロウは感覚のなくなった瞼を閉じる。


(蓮夜、お前さんは……、)


 瞼の裏に、憑代の契約を結んでいた蓮夜の顔を思い出した。

 感覚のなくなった手で、消滅しかけの腹部にそっと触れる。ここにはあの日、人魂不殺の術を蓮夜にかけられたせいでついた印がある。しかしもう、今となってはそれも無効か。ロクロウという存在が消えれば、その術も印も魂も何もかもがなかったことになる。


(ちゃんと……ジジイになるまで生きろよ)


 やがて穴は閉じられ、夜空も星も見えなくなった。

 意識が炎に溶けていく中で、ロクロウは最期に一つの光の筋を見た。

 それは塞がった穴の入り口に向かって伸び、炎に照らされて真紅に輝きながら柔らかく揺蕩っていた。

 ああ、まるで人の血のように深い赤……。

 綺麗だなと思った後、彼の意識は地獄の炎に溶けて消えた。

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