第二幕 逢坂深雪

 ロクロウが来ないまま、二限目の授業が終わった。次の三限目は体育で、今日は外でサッカーの予定になっている。というのに、着替えようとして体操服を持ってくるのを忘れた事実に気が付く。そういえば、今朝は行方不明事件の話といい、色々あってすっかり学校のことが抜け落ちていた。

「しまったなぁ……今日他のクラスは体育ないもんなぁ」

 いっそ正直に言って見学させてもらおうかと考えていると、ふと教室後方の出口からにゅっと手が伸びてきて、ちょいちょいと手招きをしていた。慌てて駆け寄って扉の向こうを覗き込めば、そこには見慣れた顔がしゃがみ込んでいた。

「レン君、忘れ物だよ~」

夜笛よてき⁉」

 大声を出してしまって、思わず口を押えて辺りを見渡す。幸い誰もこちらに注目はしていない。ほっと胸をなでおろしてその場に屈む。

「……どうしてここに?」ひそひそと言えば、軽やかに答えが返ってくる。

「偶然レン君の家の前通りがかったらさ、外出する久美ちゃんに会って、どこ行くのかって聞いたら『蓮夜が体操服を忘れているから届けに行くのよ』って言うじゃん! オレ、よく考えたらレン君の学校って行ったことなかったから興味あって代わりにことづかってきた!」

 そう言って笑うこの夜笛は人間ではない。れっきとした妖怪であって、普段は日本のどこかを放浪している。名の通り夜の様な黒い瞳を持ち、黒い髪を後ろで一つに結び、まるで岡っ引きのような桑の実色の半纏と股引を着用している。夏越家とは昔からの顔なじみらしく、蓮夜が物心ついた頃にはたまに近くにやってきて遊び相手になってくれていた。一度家の中に誘おうとしたが、本人曰く結界の中には入れないとのことで、蓮夜と会うにも祖母に会うにもいつも塀の外だった。神出鬼没ではあるが、いまだに祖母の手伝いをすることもあるとかなんとか。

「ありがとう、助かったよ。最近見なかったけど、どこ行ってたんだ?」

 体操服を受け取ってお礼を言う。

「ちょっと東日本の方に避暑に。年々どんどん夏が暑くなるよなぁ。しっかし人間の子供はこんなに暑いのに運動するときた! 元気だけど無理したら駄目だぜ~」

 言いながら夜笛はその場で立ち上がってぐっと伸びをする。一瞬誰かに見られないかと焦ったが、そういえばこの妖は普通の人間には見えないのだったと思い出して安心し直す。

「じゃあ、オレ帰る!」

 手を挙げてその場を去ろうとする夜笛が、「あ、」と何か思い出したように続ける。

「レン君、なんか気配変わった?」

「え?」

「それに、この学校なんかいるな。はじめて来たけど、色々いる。気を付けろよ!」

「え、それって……」

 答える間もなく夜笛は「じゃあな~」と元気に廊下の窓を開けて飛び降りて消えた。ここは三階だというのに。妖怪は出入り口を守らないらしい。

「色々いるって、なんだよ……」

 手元に残った体操服を眺めつつ、蓮夜はつい独り言ちた。


 結局ロクロウが蓮夜の目の前に現れたのは、その約二時間後の昼休みだった。連夜はロクロウが傍にいるようになってからは、会話しようにも人目が気になって声が出しにくいのもあって、普段人が寄り付かない校舎裏で昼食を取るようにしていた。

「遅かったね。どこ行ってたの?」

 食べ終えたパンの袋を片付けながら、目の前に現れたロクロウに問う。ロクロウは首を鳴らしながら蓮夜を見下ろすと、いつもと同じように気怠そうに言った。

「この周辺をぐるっと見てきたんだよ」

「周辺? 高校の周りってこと?」

「ああ。こういう学校系のでかい施設ってのはな、広くて安い土地を人間が探してそこに建てることが多い。で、安いって条件を満たそうとすれば必然的に忌み地の場合が出てくる」

「忌み地……?」

 聞き覚えのない単語に、蓮夜が不審そうに繰り返す。ロクロウが一度頷いてから続ける。

「忌み地ってのは……墓地跡、処刑場跡、隔離病棟跡、古戦場跡とかそういうやつだ。人間様にとって縁起の良いもんじゃない事実があった場所が忌み地扱いになる。まぁ学校が建ってる場所の全てがそうとは限らねぇけどな」

 現に事件があった小学校と中学校の土地もロクロウは見てきたと言った。しかしその二校が建っているそれぞれの土地自体に、嫌な臭いや気配はなかったという。要するに忌み地ではなさそうだと。

「じゃあやっぱり……六怪異のひとつが小中学校で悪さしたって考えた方がいいってこと?」

「その筋が濃厚ってことだ。だがこの高校は、ちと事情が違うな」

 ざわざわと砂埃を巻き込んだ風が吹いてきて、蓮夜の髪の毛を揺らす。目の前のロクロウは今は実体化していないようで、髪もスーツも揺れない。よく見れば足元の影もない。

 風が止むのを待ってから、ロクロウが言った。

「お前さん達が使う校舎が建ってる場所は忌み地じゃない。が、学校の裏山のふもと……妙に広い更地があるが、あそこは忌み地だ。死霊の気配と臭いが強い……大方古戦場跡か何かじゃねぇか? あれが近くにあるせいもあって、お前さんの高校は人じゃないモノが生きやすい場所になってやがる」

 言われてふと学校の周辺を思い浮かべる。確かに通っている高校の背後には大きな山があって、その麓には結構な広さの更地があった。丁度この時期に夏祭りで使用されることもあるが、年を通して考えても恐らくそれ以外には使われていない。なにか理由がありそうだと言えばそう思えてしまう。

「つまり……忌み地が傍にあるから、この学校に六怪異のひとつが現れてもおかしくないってことだよね?」

「ああ。恐らく次はこの高校で何か起こるだろうぜ。それに――」

 ロクロウがふと、校舎の方を見遣る。

「どうやらこの高校には、すでにみたいだしな」


***


 昼休みも終わりそうになって、蓮夜は教室に戻るために校舎の一階を歩いていた。ロクロウも他人に見えない状態で少し後ろをついてくる。五限目の授業は確か自習だったはずで、そう急ぐ必要もないなと考えながら歩いていると、前方から女子生徒が歩いてくるのが目に入った。 

 こげ茶色のふわりとした髪を背中まで伸ばしている。気の強そうなその顔を、どこかで見たことがあったような気がした。リボンが青色だということは、蓮夜の一つ上の二年生のようだ。

「ねぇ、君」

 相手が女子だということもあってなるべく視線を向けないようにしていたが、すれ違った瞬間、足を止めて声をかけてきたのは彼女の方だった。振り返ると虹彩の綺麗な瞳に捉えられる。

「君……ちょっと変な感じするね。興味あるなぁ」

「……はい?」

 一瞬何を言っているか理解出来なくて、変な声を出してしまった。しかし彼女はそんなことお構いなしにつかつかと蓮夜のすぐ目の前まで歩み寄ってくる。

「なんか……君って幽霊に好かれそうね。美味しそうって言われない?」

「え?」

「私にはわかるよ……?」言いながら彼女が蓮夜の頬に触れようとした瞬間――

「てめぇ、何者だ」

 蓮夜のことを遠巻きに見ていたロクロウが突然近寄ってきたかと思えば、蓮夜から彼女を引きはがし、あろうことか顕現させた刀をその喉元に突き付けたではないか。

「ちょ、ロクロウ刀って……生徒相手だぞ! それに今実体化したらまずいって!」

 蓮夜が慌てて止めに入るが、ロクロウは鋭い眼光を女子生徒に向けたまま刀を下ろそうとはしない。

「馬鹿かお前さん。よく見ろ、俺様は今実体化してねぇ」

「……え」

 言われてロクロウの足元を見る。影がない。人間にも姿が見えるように実体化しての行動かと思ったが、違う。なら相手にロクロウの姿は見えないはずだ。だがロクロウはこのままの姿で話しかけたのだ、目の前の彼女に。ということは――、

「何者だ、なんて失礼な男ね。見ての通り、この高校の生徒よ。二年三組、逢坂深雪おうさかみゆき

 言いながら深雪がスカートのポケットから生徒手帳を取り出して見せた。あ、と蓮夜は思い出す。そういえば、二年生には歌が上手な女子生徒がいて軽音楽部のアイドルだと。それが確か逢坂という苗字だった。

「軽音楽部の逢坂、さん……?」

「あら、私のこと知ってるの? 君一年生よね。ということは私の妹と会ったことあるかも?」

 クスクスと笑う深雪の声を遮るように、「話の腰を折るなよ、」とロクロウが言う。

「生徒だと? 俺様のことをハッキリ目視しておきながら冗談きついぜ。お前……気配がどう考えても生きてる人間のそれじゃねぇぞ。幽霊ってところか」

「え⁉」

 幽霊? 軽音楽部のアイドルであり人気者の彼女が? だがそれが本当であるならば、色々とおかしいのだ。なぜならば彼女は普通にこの学校の生徒にも先生にもしっかりと見えているし、認知だってされている。これはどういうことなのか――

「みんなにハッキリ見えているのに……そんなことって……」

「簡単な話だ。こいつは食ってんだよ、人間の精気を。お前と契約する前の俺様が人間の気を食ってエネルギーに変えてたようにな。生徒として紛れ込んで違和感のないレベルって言ったら相当の量だぞ……何人食った?」

 今更隠しても無駄だぞと言わんばかりに、ロクロウが圧のある言い方をする。深雪は深雪で刀を突きつけられているというのに顔色一つ変えない。じろりとロクロウを睨んだかと思えば、面倒くさそうにため息を吐いた。

「勝手に決めつけないでくれる? 精気なんか食べてないわ。私は他人の陽の気を貰ってるの。感情エネルギーってやつ。私がライブで歌って、その時に私を支持してくれる人の気持ちが私の栄養になってんのよ」

 精気なんか冗談じゃないわ、と言う深雪はどこか心外そうで、恐らく嘘はついていないだろうと蓮夜は思う。それにしても、まさか人間であると思っていた生徒が幽霊だなんて。逢坂深雪の存在は耳にしていたし、学校内で恐らくすれ違ったことだってあったはずだ。だが、今日この瞬間……それこそロクロウが食ってかかるまで、蓮夜は彼女が幽霊だと気がつけなかった。今まで生きてきた中で、幽霊だと認知出来なかったのはこれが初めてだ。何か違和感のような、しっくりこない感じを覚える。

「感情エネルギーか……なるほどな。居ると信じ込ませることで姿を保ってるのか。……いや、それ以外にも、まだなんかありそうなもんだが……」

 ロクロウも蓮夜と同じで、何かまだ違和感を覚えているらしい。探りを入れるような物言いをするが、深雪はそれには耳を傾けず、今度はこちら側に質問を投げかけてきた。

「あんた達こそ何者よ。見たところあんた悪霊でしょ。悪霊と人間のペア? 意味わかんない」

 髪の毛を後ろに流しながら深雪が言う。確かにごもっともだ。悪霊と契約するなんて普通ではない。そこら辺の感覚は生きている人間並みにはあるようで、目の前の彼女が幽霊だなんて信じられなくなりそうだ。

 いや、そもそも彼女はなぜ……幽霊でありながら生きているように生活しようとするのか。

 蓮夜はこれまでたくさんの幽霊を見てきた。だがそれらは皆一様に人に認知されないものだった。霊感がある人間にならまだしも、何も力を所有していない人間には見えない。それが普通だった。だがこの逢坂深雪という幽霊は、人に認知されるために尽力しているように見える。まるでまだ生きていると思い知らせるように。そこに何も理由がないとは到底思えなかった。

「あの、逢坂さんはどうして実体化して高校に通ってるんですか? 何か心残りでも……」

 あるんですか、という前に「うるさいわね」と深雪に一蹴されてしまう。

「あったところで、あんた達には関係のない話。私はまだここにいたいからこうやって存在しているだけよ。この回答じゃ不満?」

「えっと…………」

「不満に決まってんだろうが。何の答えにもなってねぇ。だいたい、なんで蓮夜にわざわざ接触してきやがった? 何もかも知られたくねぇなら、端からちょっかいなんぞ出さなかったらよかっただろ」

 悪霊にしてはごもっともな事を言う。確かに先にちょっかいを出してきたのは深雪の方だ。声をかけられなければそれこそ、蓮夜は気が付かず素通りしていたに違いない。それほどに幽霊としての気配を消すのがうまい……いや、ひょっとすると……。

 一つの可能性が頭に浮かび、蓮夜は顎に手を当てて悶々と思案する。その間に深雪が口を開いたが、先ほどとは打って変わって妙にトーンダウンしている。

「別に……ただ興味あっただけよ。気配が明らかに普通の人間より濃いし、それに……人以外の気配もしたから、からかってやろうと思っただけ」

 それだけよ、と強い口調で言い終えると、そのままつかつかと歩き出す。まるで、もうこれ以上話すことは何もないと言わんばかりに。

「待て、まだ話は終わってねぇぞ」

「終わってる。もう興味失せたから、授業始まるし行くわ」

 歩みを止めない深雪の背中に向かって、ロクロウが声を飛ばす。

「この学校、お前以外にもまだな……気が付いてんだろ」

 ぴたりと、深雪が立ち止まる。

「……さぁ、知らないわ」

 背を向けたまま答えた声は、心なしか震えているように聞こえた。ハッキリとしない回答にロクロウが不機嫌そうに舌打ちをする。

「蓮夜、だっけ。君の名前」ふいに深雪が背中越しに名を呼ぶ。

「え? あ、はい。夏越蓮夜……です」

「そう。あのね、蓮夜……一つ教えといてあげる。見える人間ってのはね、異形のモノからすると御馳走に見えるの。それはそこの悪霊も同じはずよ」

 振り返った深雪と目が合う。

「せいぜい、気を付けなさいよ」

 それだけ言うと深雪はつかつかと歩き、突き当りの階段に消えていった。残された蓮夜は深雪の歩いて行った方をじっと見つめる。何か言いようのない不安が心の中にごとりと音を立てて落ちてきたような……そんな漠然とした感覚だけが残っている。

「蓮夜」ロクロウがそう呼びつつ、横に並ぶ。

 ロクロウもまた深雪の消えた方を見たまま続けた。

「あの女には、恐らく協力者がいる……気配こそうまく消しているが、うまく消しすぎだ。どうやっても元人間だったやつができる芸当じゃねぇ。それこそ、強力な妖の力でもなけりゃ無理だろうな」

 あ、と思う。さっきまで悶々と考えていた違和感のピースがカチッとはまった。

「僕もそう考えてた。ひょっとしたら契約してる何かがいるのかって……」

 蓮夜の言葉にロクロウが頷く。

「確かにエネルギーさえ供給出来りゃ実体化なんぞ少々は可能だが、生きてるかのように振る舞えるレベルは無理だ。ましてや近年死んだような人間にはな。それに……俺様が言う何かいる気配ってのは、あの女だけのもんじゃねぇ」

「……やっぱり、何か感じる? 確かに普段より霊たちがざわついてる気はするんだけど……」

「ああ、臭うぜ。この校舎の中は特にな。こりゃ今回のはアタリだな」

 そう言ってロクロウは、何かを品定めするかのようにニヤッと笑った。

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