第三五話 天文十二年三月下旬『吉報と凶報』


「姫様っ! お遊戯中のところ、失礼致します!」


 成経との将棋を打ち終えたその時だった。

 小姓が慌てた様子で駆け込んでくる。


 今年入った新人で、名は前田利玄としふさ

 わたしに付けられた寄騎、荒子二〇〇〇貫の土豪、前田長種殿の家臣、前田利春殿の次男である。

 次男で家も継げないので、ぜひ彼を雇ってもらえないかと懇願されたのだ。


 正直に言えば、史実に名は残っているが、事績と言えば稲生いなふの戦いで討死したぐらい。

 接した感じも悪くはないが、良くもない。

 いたって凡庸。

 そんな人物をなぜ雇用したかと言えば、彼がかの前田百万石の祖、前田利家の次兄だから、である。


 前田利家は織田信長にぞっこんで、出仕停止処分を受け、爪に火をともす生活を強いられても、信長への忠義を貫いた男だ。

 正直、今世でもあたしに仕えるとはあまり思えないのだが、前田家と縁を持っておくこと自体は悪い話ではないと思ったのだ。

 某傾奇者にも興味あるしね。


「大丈夫、ちょうど終わったところだし。で、どうしたの?」


 わたしは将棋の駒を片付けつつ問う。

 まあ、利玄の顔に浮かぶ喜色と興奮を見る限り、だいたい予想は付くけど。


「はっ、先程、三河の方より吉報が! 昨日、守護代様が安祥城を落とした、と。損害はほとんど無きに等しく、余勢を駆って、引き続き岡崎城の攻略に取り掛かるとのことでございます」

「へえ、それは祝着ね。ありがとう」


 うん、やっぱりか。

 とはいえ、 順調にかつ損害なく進んでいるというのなら、これほど喜ばしい事もない。

 すでに信秀兄さまに西三河の調略が済んでいる事を教えてもらい、既定路線ではあるのだが、何があるかわからないのが戦である。

 わたしも出陣式で踊った甲斐があったというものだった。


「岡崎かぁ」


 成経が少し羨ましそうにつぶやく。


「やっぱり参戦したかった?」

「そりゃあ松平には血鑓九郎ちやりくろうがいるっすからね! 一度は槍を合わせてみてえ相手っすよ!」


 わたしの問いに、成経はうずうずした様子で目を輝かせる。

 血鑓九郎とは、長坂信政の二つ名である。

 その由来は、戦のたびに槍の柄が血で真っ赤に染まるというから恐ろしい。

 尾張までその雷名が轟いてくる松平家随一の猛将である。

 そんな強敵と絶不調であろうとも戦いたいとか、本当、根っからの戦闘狂だなぁ。

 さっきわたしがした話、覚えてるか?


「姫様」

「うわっ、びっくりしたぁ!」


 いきなり耳元で声をかけられ、わたしは思わず身体をのけ反らせる。

 そこにいたのは、下柘植小猿である。

 さ、さすが伊賀の忍の名人、隠形は完璧ね。

 声をかけられるまでまったく接近に気がつかなかったわ。


「申し訳ございません。至急、お耳に入れたいことがございまして」


 またか。

 今日はずいぶん、急報が届く日である。

 ただこっちは小猿の顔を見る限り、あまり良い報告ではなさそうである。

 

「で、どうしたの?」


 あまり聞きたくはなかったが、さすがに聞かないわけにもいかない。


「はっ。実は……」


 そっと彼が耳打ちしてきた内容に、わたしは思わず目を剥く。

 ちょっと待って、嘘……でしょ……。

 なにそれ、いったいどういうこと!?


 わたしの知ってる歴史と全然違うんですけど!? 



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