第二九話 天文十二年三月中旬『劔神社の媛巫女』

「この場に叔母上をお迎え出来たこと、心より嬉しく思います」


 白無地の斎服に身を包み、黒の烏帽子を被った美少年がにこやかな顔で挨拶してくる。

 その顔立ちは信秀兄さまによく似ている。

 それもそのはずで、彼の名は織田信時、信秀兄さまの次男である。


「わたしは生涯足を踏み入れずに済ませたかったです」


 わたしはげんなりと大きく嘆息する。

 そう、この場所にだけは、是が非でも足を踏み入れたくなかった。

 一切関わり合うことなく、歴史の闇の中に葬り去られるものと思っていたのに……っ!


「そんな寂しい事を言わないでくださいよ、叔母上」

「叔母上はやめてください」


 いや、確かに関係は叔母と甥なんだけどね?

 でもさすがに年上から叔母呼びされるのは抵抗があるのだ。


「ふむ、では媛巫女様とお呼び致しましょうか?」

「それはもっと嫌!」


 総毛立ち、わたしは思わず全力で拒否する。

 確かに今のわたしは、白無地の巫女服に身を包んではいる。

 だが! それを心から受け入れられるかと言えば別問題なのである。


 ここはつるぎ神社。

 熱田神宮から北東、より正確には丑寅の方角に新たに築かれた神社である。

 丑寅の方角は別名鬼門といい、鬼が出入りし不吉とされる。

 そこで草薙剣を奉る熱田神宮の鬼門を塞ぎ、護国安寧を願って建立した……という建前だ。


 御祭神は素盞嗚大神すさのおのおおかみ

 そして名目上のトップ『媛巫女』にいつの間にやら君臨していたのが、かくいうこのわたしである。

 そうつまりここは、わたしを祀り上げる為に信秀兄さまが作った邪教集団の総本山なのだ!


「つやでいいですよ、つやで! 親族ですし、信時殿のほうが年上ですし!」

「いやいや、さすがに我が劔神社の媛巫女様を呼び捨てになど、とてもとても」


 信時殿は恐縮した顔で、ぶんぶんっと手を振る。

 そして、我がと言っている事からもわかるように、彼がこの劔神社の宮司、つまり実質的な総責任者である。

 まあ、まだ若いし、実務は別の誰かがまた取り仕切ってるんだろうけど。


 元々織田家は祖を辿ると越前(福井県)の劔神社の神官を務めていた家らしい。

 劔神社の御祭神も素戔嗚大神であり、これほどおあつらえ向きなことはあるまい、と尾張にも劔神社を建立し、その宮司に自らの次男をあてがったという寸法だ。


 もちろん、越前の本家には許可は取っていない。

 スサノオの巫女を戴く我らこそが本家本流である! と堂々と言い張るあたり、信秀兄さまの面の皮はほんとぶ厚いと思う。

 いやまあ、戦国時代ってそういう時代だけどさぁ。

 ちなみにわたしは当然、この件に関しては一切ノータッチである。


「なんじゃ、まだ不貞腐れておるのか?」


 そこになんともにやにやした顔で現れたのは、信秀兄さまである。

 うっわ~、腹立つわ~。


「来ましたね、元凶」


 冷たいジト目とともに、わたしは忌々しげに吐き捨てる。

 主君? 今は知ったことか!


「元凶とは酷い言い草じゃな。くくっ」


 思わず苦笑する信秀兄さまも、問題視する気はないらしい。

 むしろその顔は楽しそうでさえある。


「貴様も了承したことであろう? 氏子が一年で一万人を超えたら、氏子たちの前で神楽を奉納する、とな」

「ぐっ……!」


 わたしは悔しげに唸る。

 確かに言った。

 売り言葉に買い言葉で、安請け合いで、いくらでも歌って踊って差し上げますよ、と。

 そんなこと、天地がひっくり返ってもあるはずがないと思っていたから。


 いやでも、まさかさぁ。

 本当に一万を超えるとか思わないじゃん!

 一万どころか五万ってなによ、それ!?

 実に尾張の一〇人に一人が、この怪しい新興宗教の氏子に趣旨替えしちゃったってことである。

 世も末とはまさにこの事だった。


 っていうか、神社の氏子には、あたしの家臣の名前までけっこうあるんだが!

 あんの裏切り者どもがぁぁぁっ!

 牛一ぃっ、生真面目なあんただけは信じていたのに!!

 なにしれっとあんたまで入信してんのよぉぉぉっ!?

 止める立場でしょうが、あんたはぁぁぁっ!!


「まあ、真面目な話、貴様の自業自得とは思うがな。これだけ尾張を豊かにして、人気が出ないわけがなかろう?」

「ぐうううぅぅぅ!」


 ぐうの音しかもう出なかった。

 だってさぁ、そんなん絶対達成するわけないやろって高くくってたら、そりゃ頭からスコーンって抜けちゃうでしょ!?


 こんな事なら天文一一年は大人しく雌伏してたのに!

 今さら後悔しても後の祭りなのはわかっている。

 わかってるんだけど、ちくしょう!


「ほれ、うだうだしとらんと、いい加減姿を見せてやれい。皆、待っておるぞ」

「いやだぁぁぁぁ!」


 魂の絶叫である。

 もじょとして引きこもって生きていくつもりだったのに、何が悲しゅうて、一万の兵士たちの前で歌って踊らにゃならないんだ!?

 あまりにこっ恥ずかしすぎる!


「そうごねられても、約束は約束じゃからなぁ」


 ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!!

 そのニヤニヤ顔、ほんっとぶん殴りてえ!

 死なばもろとも、「〇ンリー、〇リ〇リ神降臨!」とか歌って場を凍らせてやろうか、てめえ!?

 時代を先取りしすぎて皆、ポカンとしてドン引きするだろうし、一番大恥をかいてレクイエム奏でることになるのは他でもないわたしだから、さすがにやらんけどもさぁ。


「それに兵の士気を高める事が、戦では最も肝要じゃ。おぬしの激励で送り出してもらえば、兵たちもさぞ奮い立とう」

「うううううっ! わかりましたよぉ……」


 しぶしぶ、本当にしぶしぶながら、わたしも覚悟を決める。

 確かに信秀兄さまの言う通り、兵の士気は勝敗を大きく左右する要素の一つだ。

 そして今後の今川家との戦いを見据えると、今回の戦が極めて重要な位置づけにあることもまた事実だった。

 はあああああ、しっかたないかぁ。

 後で覚えておけよ、信秀兄さま。


「じゃ、行ってきます」

「おう、行ってこい。一世一代の晴れ舞台じゃ」

「出来れば一生立ちたくなかったですけどね!」


 捨て台詞を吐き捨て、わたしはダンッと舞台へと続く階段を思いっきり踏みしめる。

 ここで一歩一歩覚悟を決めていては、むしろ勇気が削がれるだけだ。

 ここまで来たら、気合と根性、女は度胸である。

 わたしはそのままダンダンダンッと勢いよく駆け上がり、壇上に降り立つ。


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」」

「っ!?」


 瞬間、どっと湧きおこった大歓声に、わたしは思わずびくっと怯む。


 この時、わたしは初めて思い知る。

 音ってのは、しっかり物理的な衝撃波なんだな、って。

 頭ではそりゃ知ってはいたが、身をもって痛感した。


 兵士たちの熱狂が、これでもかと伝わってきた。

 その視線が、関心が、わたし一人に集まっていることが、嫌でもわかる。

 どっどっどっどっどっと胸が早鐘を打ち出す。

 我知らず、歯がカチカチッと鳴る。

 足が震え、膝が笑う。

 正直、腰を抜かさずに立っているだけでも精いっぱいだった。


 え? 何をどうすればいいんだっけ?

 頭の中もう真っ白で、ここ数日、猛練習して必死に覚えた神楽が全く思い出せない。

 え? えっ!? どうやるんだっけ、どうやるんだっけ!?

 即興ゆえか、完全に綺麗さっぱり頭の中から吹き飛んでしまっていた。


 どうしよう、どうしよう!?

 このまま立ちすくんでいたら、絶対場がしらける。

 兵の士気がだだ下がる。

 この戦は、織田弾正忠家にとって重要な一戦だ。

 それだけは、避けないといけない。

 だが、そう思えば思うほど、頭の中は真っ白になっていき――


「っ!」


 突如、頭の中に雷鳴のごとく浮かび上がったのは、ある男の姿だった。

 そいつの舞いだけは、心に焼き付いている。

 こんな状態ですら、ありありと脳裏に思う浮かべることが出来る。


 くそぅ、仕方がないか。

 今は贅沢を言っていられない。

 この場を切り抜けることが、最優先だ。


「音を止めて!」


 後ろを振り返り、わたしは叫ぶ。

 わたしの一喝にただならぬものを感じたのだろう、戸惑いつつも、演者たちが笛や太鼓を鳴らすのをやめる。

 ごめんね、でも今のわたしには神楽は踊れないから、音は邪魔なんだ。


 突然の静寂に、兵士たちがなんだなんだとどよめく。

 これじゃあ、わたしの声は届かない。

 なら――


 ダァン!


 わたしは思いっきり舞台に足を振り下ろし、太鼓のごとく音を鳴り響かせる。

 観衆の視線が、わたしに集中していたのが良かった。

 その音がわたしから発せられた物だとすぐに把握したのだろう、その一発でざわめいていた観衆が、わたしの一挙手一投足も見逃すまいと静かになっていく。


 よし! 今の一撃で、自分自身にも活が入った。

 これならいける。

 すうううっとわたしは大きく息を吸い込み――


「思えばこの世ぉは~、常の住処にあらぁず~、草ぁ葉に置く白ぁ露~、水に宿る~、月よりなぁおあやし~」


 わたしは朗々と謡い始める。

 この歌いだしで、演者たちは曲目がわかったのだろう。

 視界の端で頷き合っているのが見えた。


「金谷に花を詠じ~、栄花は先立って~、無常ぉの風に~誘はるる~」


 歌とともに、わたしはゆっくりゆっくり前へと進み出ていく。

 ポンポンッと歌に合わせて太鼓が、そして集まった兵士たちも武士ゆえか知っている者もいるのだろう、足を踏み鳴らす。


「南楼の月を弄ぶ輩も~、月ぃに先立って~、有為ぃの雲にぃかくれり~」


 わたしはスッと腰に差した扇子を取り出し構え、舞台を回り始める。

 うん、踊れている。

 ちゃんと覚えていた。

 ここまでくれば、もう勝ったようなものである。

 さあ、いよいよクライマックスだ、っと私は観衆に見せつけるように扇子をバッと開く。


「人間五〇年~、下天のうちをぉくらぶれば~、夢幻のぉごとくなぁり~」


 そう、ここは戦国好きなら、知らぬ者はいないほど有名な一節であろう。

 信長が好んで舞った幸若舞『敦盛(あつもり)』である。


 本当に本当に本当に癪ではあるが、あいつがこれを踊る姿は、本当に格好よく美しかった。

 鳴海城で見た襖絵すら上回るほどに、その凛々しさ、存在感、何よりその身からほとばしる覚悟にただただ圧倒され、心に強く刻み込まれたものだ。

 頭が真っ白になってさえ、その一挙手一投足を鮮明に脳裏に思い描けるほどに!

 それを必死になぞっていく。


「一度生を享け~、滅せぬもぉののぉ~あるべきか~。滅せぬもぉののぉ~あるべきか~」


 最後の一節だけ繰り返し、わたしは扇子を仕舞い、すすっと後ろに下がり、一礼する。

 よし、神楽ではないけど、なんとか踊り切ったぞ。

 桶狭間の戦いの前にも信長は敦盛を舞ってたし、この出陣式の場で踊ってもそうおかしくはないはず!


 ……そう思いたいところなんだけど、何か妙に静かすぎない?

 も、もしかしてすべった!?

 やっぱりうろ覚えでもなんとかして神楽を舞うべきだった!?

 と焦ったが、次の瞬間、


「「「「「うおおおおおおっ!!」」」」」


 鬨の声のごとき、とてつもない大歓声が巻き起こった。


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