第三五話 天文十一年三月上旬『清州の戦いその陸』織田信秀side

「「「「「おおおおおおっ!!」」」」」

「「「「「おおおおおおおっ!!」」」」」


 先陣を切る柴田党の鬨の声に呼応するように、両翼に配した佐久間党、林党も鬨の声をあげ、ドドドドッと兵たちが進む地響きが轟いてくる。


「これは勝ちましたな」

「ああ、随分と楽な戦よ」


 傍らに立つ弟、織田信光の言葉に、信秀はふっと小さく肩をすくめてみせる。


 戦場において油断が禁物なのは百も承知であるが、この状態で負けるのはさすがにあり得ない。

 中央の本隊に一五〇〇、左右にも五〇〇ずつの兵を配置し、敵をその中心まですでに引き込んでの一斉攻撃である。


 相手の手勢はざっと三〇〇ほど。

 これで負けたら世の戦術を全て一から作り直さねばならなくなるという状況だった。


「全てはつやの筋書き通り、か。ははっ、まったく我らが妹は末恐ろしいですな」


 信光が乾いた笑みをこぼす。


 織田信光は現時点において、織田弾正忠家随一と評される猛将である。

 戦場での武勇に限るなら、信秀とて敵わない。

 それほどの男でさえ、畏怖を感じずにはいられなかったのだ。


「あれが女に生まれたことをわしは天に感謝しておるよ。男であれば、殺さずにはいられなかったかもしれん」


 信秀は自らの首を抑えつつ嘆息する。


 半ば以上は本音である。

 戦国大名にとっては、優秀すぎる弟というのは最も自分の立場を脅かす存在なのだ。


「ふふっ、いや、なんだかんだつやが男であったとしても、兄上は殺せませんよ」

「ほう?」

「わしも犬山の兄者も、五体満足で今も生きておりますからな。特に犬山の兄者は、事あるごとに兄上に突っかかっておったというのに」


 昔を思い出したのか、かかっと信光は笑う。


 犬山の兄者とは、信秀の弟で信光の兄、犬山城主織田信康のことである。

 彼もまた信秀同様、政治・軍事ともに辣腕を振るう切れ者だった。


「やれやれ……すっかり皆に見抜かれとるのぅ。わしの甘さは」

「優しいのですよ、兄上は」

「ふん、この戦国乱世で優しさは罪よ」


 自嘲気味に信秀は鼻を鳴らす。


 今から思えば、今回のようなことは一〇年前、達勝みちかつが台頭する信秀をよく思わず勝端城に攻めてきた時に片付けておくべきことだったのだ。

 それを主家だからとなあなあで和睦を許してしまった。


 あそこで妻を離縁して大和守家に戻すなどせず、入り婿として乗っ取っていれば、この一〇年、もっと自由に動けたはずだし、権力も弾正忠家に集中できていただろう。


「ならばその認識、他家の者たちにはここらで改めていただくとしましょう」

「そうじゃな。信友には……死んでもらう」


 そのことを口にするのにも、覚悟が必要だった。


 信友は織田因幡守家の出である。

 血筋だけで言えば、同じ織田の姓を関していても、弾正忠家とは関係はかなり遠い。


 だというのに、一族を殺す事に抵抗を覚えている自分がいる。

 それがなんとも口惜しい。

 自分の甘さが本当に嫌になる。


 だが織田弾正忠家の当主として、ここは断固として実行せねばならない事だった。


「ふむ、つやは本当に、我が織田弾正忠家のために素戔嗚尊様が遣わしてくださったのかもしれませぬな」

「これまで神など信じておらなんだが、そろそろ熱田には足を向けて寝れんな」

「まったくでござる」


 二人がフッと笑みをこぼしあったその時である。


「「「「「うおおおおおお!」」」」」


 前線のほうより一際大きな鬨の声が上がる


 どうやら戦局が動いたらしい。

 おそらくは敵が潰走を始めたのだろう。


 すでに包囲の真っ只中で、あの「鬼柴田」の突撃を受けたのだ。

 兵の心が保つわけがない。


「殿!」


 しばらくして前線のほうより騎馬武者が駆けてくる。


 信秀の側近、馬廻り衆の一人だ。

 騎馬武者は信秀の下にくるや馬を飛び降り、ひざまずいて言う。


「清州勢が敗走しました! 我が軍の大勝利です」

「ほう! やったか!」


 信秀の隣で、信光が感嘆の声を漏らす。

 だが信秀にしてみれば、すでに予想した結果である。

 そんなことよりもっと気になることがあった。


「報告ご苦労。で、信友はどうなった? 討ち取ったのか? それとも捕縛したのか?」

「織田信友はどうやら開戦早々に手勢とともに退却してしまったらしく……」

「普段威勢だけはいい癖に! 逃がしたのか!?」

「は、はい、追撃はかけておりますが、さすがに我らが追いつく前に清州城に入られてしまうかと」

「えええいっ!」


 信秀は苛立たしげに、手に持っていた馬鞭を地面に叩きつける。

 この戦の目的は、あくまで織田信友である。

 彼を捕らえるなり討ち取るなりしなければ、いくら勝ったところで意味がないのだ。


「ここで決めておきたかったのじゃがな」

「確かに。攻城戦となると、いささか厄介ですな」

「いや、おそらくそうはならん。ただ……」

「ただ?」


 オウム返ししてくる信光に、信秀は苦虫を噛み潰したような顔で嘆息し続ける。


「初陣のつやの思惑通りに全て進んでおるのが面白くない。これではわしらの立つ瀬がなかろう?」

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