第十話 天文一〇年一〇月中旬『初めての領地見学』
「おおっ! ここがわたしの領地!」
とにかくまず己が目で確認したいと、じぃに馬に乗せてもらって半刻弱、わたしは自らの領地に足を踏み入れていた。
第一印象は、とにかく広い! である。
いやぁ、ほら、江戸時代だと大名って言われるのは一万石からなわけですよ。
一〇〇石なんてぶっちゃけ、江戸時代だと最下級の旗本以下。
そんな人間の領地なんて大したことないって思うでしょ?
いやいや、東京ドームが一〇個二〇個余裕で入るレベルで雑草ぼうぼうの荒地が広がっています。
まあ、洪水対策の遊水地ってことも加味して使わないといけないけど、これは夢が広がるね。
「まずは集落に向かいましょうかのぅ」
言って、じぃはまた馬を駆けさせる。
地味に前世でも前々世でも馬に乗るってことがなかったので知らなかったのだけど、けっこう揺れるのよね馬って。
またこうして走っていても、馬の呼吸だとか尻尾を振った感じとか、そういう微細な動きを乗っていても感じられる。
当たり前といえば当たり前なんだけど、バイクとか車とかに乗る感じとは全く違う、まさしく生き物に乗っている感覚があるのだ。
「わたしも乗馬、覚えようかな」
ぼそりとわたしはつぶやく。
この風を切る感じが気に入ったというのもあるが、必要性を痛切に感じたのだ。
領地広いし、歩いて見て回るのはなかなかに大変である。
古渡城まで徒歩だと片道二時間以上かかるし。
車に慣れた身としては、いちいち徒歩で移動するのはさすがにだるい。
「おお、では明日からでもお教えいたしましょう」
わたしのつぶやきが聞こえたらしく、じぃが楽し気に言う。
どうもこの人、人に物を教えたり頼られるのが好きみたい。
ならここは好意に預からせてもらうとしよう。
「ぜひお願いいたします」
「うむ。お任せあれ。息子たちにもそれがしが仕込みましたが、三人ともなかなかの腕前ですぞ」
「へえ、それは頼もしいですね」
世辞ではなく、本心だ。
じぃの子は男子が三人いるが、いずれも勇名を馳せた一廉の武人である。
それだけ人に物を教えるのがうまいという証左だった。
「お、見えてきましたな」
なんて会話をしている内に、わたしたちは下河原村の集落に到着する。
とはいっても、
じぃが馬足を落としてくれたので、じっくりと村を観察してみる。
とりあえず田んぼはほとんどなくて、畑がほとんどのようだ。まあ、稲とかだと洪水で流されたりしたら目も当てられないしね。
逆に地面の中で育つ作物なら、水が引けたら回収できる。
そのあたりはやはり生活の知恵というものなのだろう。
おっ、ラッキー。
二一世紀で温泉があったっぽい場所、ただの荒れ地だわ。
屋敷を建てるならこの辺ね。
なんて感じで村を散策していると、
「お、お侍様、こ、こんな
年老いた農民が随分と緊張した様子で声をかけてくる。
その後ろにも十人ぐらいの農民が、ビクついた顔でこちらを見ている。
ああ、まあ、いきなり普段来ない時期に侍が来たら、怖く感じるわよね。
二一世紀感覚だと、いきなり家に警察が訪ねてきたら、後ろ暗いところないのにびくっとしちゃうみたいなものだろう。
「ひかえい。こちらは織田
「ひ、ひぇぇぇ、りょ、領主様でございましたか。それもそのような高貴な方とは。は、ははあ!」
じぃが声を張り上げると、声をかけてきた農民がガバッと勢いよく地面に額をこすりつけるように土下座し、その場にいた農民たちも慌てて土下座する。
待って待って、いきなりこんなことされても困るんだけど。
逆に申し訳なくなるというか。
「じぃ、仰々しくしすぎです。虎の威を借りる狐のような真似をわたしは好みません」
じろっとわたしは抗議の視線を送る。
だが、じぃはそんなものどこ吹く風で、
「その
しごく真面目な顔で言い切る。
その言葉には実感がこもっていた。
「……頭にとどめておきます」
若干納得はいかなかったが、頷いておく。
三〇年、現場を見てきたベテランの意見をむげにはできない。
それは、一つの真実ではあるのだろう。
実際、戦国大名は先祖を
秀吉だって天皇の子、家康だって源氏の子孫だと詐称していた。
統治を円滑に行う上で、それが必要だったのだということは理解できる。
――んだけど、どうにもやっぱり父上や信秀兄さまの権威をかさに着て威張り散らす、ってのは性に合わないんだよなぁ。
父上は父上、信秀兄さまは信秀兄さま、わたしはわたしだ。
血筋ではなく、能力で、結果で、みんなには領主として認めてもらいたいのだ。
よし。
わたしはすうっと深呼吸してから、ゆっくりと口を開く。
「皆さんはじめまして。ただいまご紹介にあずかりましたつやと申します」
声にしっかり張りを持たせてしゃべることを意識する。
じぃの言葉をすべて肯定するわけじゃないけれど、上に立つ人間たるもの、舐められるのは確かによくない。
また下の人間の立場からすれば、上の人が自信なさげだと不安になるものだ。
虚勢でも自信満々に振舞うのが、上に立つ者の義務なのである。
「話が長いのは好きではありません。早速、領主として皆さんに最初の命令があります。皆さんにはあることを手伝ってもらいます。もちろん農業の合間でかまいません。労働の賃金もしっかり支払いましょう。一刻につき一五文。働きの良かった者には別途賞与金も出します」
おおおっと村人たちがどよめく。
「ぜひ手伝わせてください!」
「おらも! おらも!」
「女でも大丈夫ですか!?」
こぞって名乗りを挙げてくる。
農民というものは、農繁期はかなり忙しいが、農閑期はけっこう暇なものである。
その間の収入源を用意するというのは、彼らからしても渡りに船だろう。実際、農閑期に出稼ぎをする者も少なくないし。
とは言え、時給で言えば九〇〇円ぐらい、二一世紀感覚からすると普通なんだけど、彼らからするとかなり美味しい額だったらしい。
ちょっとホロリとしてしまう。
まあこの時代、領主権限で命令してただ働きなんてことも普通にあったしなぁ。
二一世紀ではわたしも、サービス残業で酷い目に遭わされたし他人事ではない。
今はこの額が限界だが、経営が軌道に乗ればより高額な給与も視野に入れたいところだ。
わたしが目指すは尾張一、いや全国一のクリーンでホワイトな領地なのである。
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