口十う

らぴす

第1話 口十う

 俺たちが卒業した日も、冷たい雨が降っていた。換気のため3センチ程開けられた窓から入る風は、薄いピンク色のカーテンを揺らしている。


「なんか懐かしいなこの感覚……」


 俺たちは全校生徒2人、最後の卒業生として学校を後にした。こんな事を柄にもなく思い出すのもお前のせいだ。


「目を覚ましてくれ……」






「卒業生、起立! 一同礼! 着席!」


 無駄にも思える練習を何度もこなし、やっとこの日がやって来た。在校生が居ない卒業式。この地域に唯一の中学、しがらみ中学校。俺たちの卒業と共に、学校の歴史に幕が下りる。


「卒業証書授与。斎藤陸翔さいとうりくと

「はい!」


大野愛叶おおのあい

「はい!」


 雨の音が響き渡る、超が付くほど大きな体育館で、派手な証書を受け取る。演台から見える景色は、殺風景で本当に卒業式なのかと疑ってしまうほど誰も居ない。そんな中最後に歌う校歌は、俺のソロライブだ。観客は、双方顔見知りの親と教師。それと、どんな仕事をしているのかも知る機会が無かった、その辺のおじさん。その時の屈辱と、後ろでピアノを弾く愛叶のニヤケ面は鮮明に覚えている。


「卒業生、退場」


 まばらな拍手と共に、想像以上にあっけなく終わった卒業式。悲しみや寂しさなんて感情は湧いてこない。それは愛叶も同じのようだった。田舎で山に囲まれているこの地域は人口が少なく、同い年の友達は珍しい。そんな関係もあってか会えなくなる実感が湧いてこないのだ。


 2つの机と教卓だけが並ぶ教室に戻った俺たちは、数少ない荷物を鞄に入れる。愛叶が寝坊したおかげで、荷物が散乱してたっけ。


「陸翔、荷物それだけ!?」

「あぁ。ってお前が多すぎるんだろ。なんだそのプリントの量は」


 両手に大量の紙を抱える愛叶は、クシャクシャと音を立てながら無造作に鞄に詰めている。そういえば、いつの日か愛叶の机の中からカビの生えたパンが出てきた事もあった。そんな愛叶でも、あんなにも繊細な音をピアノで出せるなんて、今考えても不思議で、実は弾いてるフリをしているのではないかと思うくらいだ。


「ねぇ、陸翔」


 プリントでパンパンの鞄を肩に掛け、何かを企むような顔を向けた。また何か始まる、そんな事を容易に想像できた。愛叶のゲームはいつもこの顔から始まるのだから。


「最後に、ゲームをしようよ」

「別にいいけど、俺は早く帰って話の続きを書きたいんだけど」

「分かってるって」


 閉まっていたカーテンを開け放し、愛叶はくたびれたセーラー服のポケットに手を入れる。中から出てきたのは、俺の進路調査だった。どこから手に入れたのかは知らないが、そこには志望校だけではなく、将来の夢を書く欄もある。指を指した愛叶は自信に満ちた声で言い放つ。


「私の夢と陸翔の夢、どっちが早く叶うか勝負ね」


 俺の進路調査表を嬉しそうな顔で見せてくる。隣町の高校に行きながら小説家を目指す、そんな夢が弱弱しい字で書かれてある。


「愛叶の夢は何なんだよ」

「忘れた」

「おいっ」


 ケラケラと笑いながら、無造作に入れたプリントをすべて広げ始めた。


「おいおい……」


 プリントの海を潜り、目的の物を渡してきた。愛叶の進路調査だ。折れ曲がり、一部分はしおれ、さらに角は黄ばんでいる。そんな紙を広げてみる。


「確か東京の音楽科のある学校だったよな」

「うん!」

「将来の夢は、日本音楽コンクールで優勝か」

「うん、絶対優勝する」


 愛叶のピアノへの熱意は俺が一番よく知っている。保育園の先生が弾いてくれたピアノに魅了された愛叶は、音楽の勉強始めた。一時期、隣町の教室に通った事もあったが、才能が無いと告げられたようだ。その時、逆ギレして帰って来た愛叶の様子は、落ち込んだ時に思い返すと笑い出してしまうほどだ。

 それでもピアノが好き、そんな一途な想いで弾き続けていた。


 俺は本気で音楽を楽しむ、そんな愛叶が大好きだ。


「分かった、いいよ。やってやる」


 3年間の思い出を胸に、教室を後にした。


 靴を履き替え外に出ると、朝から降り続く雨はまだ止んでいなかった。駐車場にはお互いの親の車が止まっていて、ワイパーがシンクロしている。もうお別れの時間だ。愛叶が傘を開き、振り返る。


「声に出して言って」

「え?」

「夢や願いは、10回声に出せば叶うから」


 まっすぐ俺を見ている気がした。どこか寂し気に、でも確信のこもった声。傘に隠れる瞳はどんな色をしていたのだろう。

 今ここで、好きだと伝えたらどんな反応をするのだろうか。一緒に居たいとの願いは、叶っていたのだろうか。今となっては、後悔の気持ちが排水溝を流れる雨水のようにあふれ出している。


「また会えるよね……」


 最後だからと振り絞った声。もちろん愛叶にはそんな気持ちが伝わる事は無く、お腹を抱えて笑っている。まぁ、なんとなく分かっていた事だが……。


「当たり前、次に会う頃にはプロになってるよ」

「いや、俺が先だね」


 2人同時に勝負だと叫び、拳を重ねる。小さい頃からの習慣で、正々堂々と勝負する誓いのような物だった。あの誓いはどこへ行ったのか。


「罰ゲームはいつも通りね?」

「あぁ!」


 俺たちは見つめ合う。最後の勝負だ。絶対に勝つ。


「私は、ピアノを練習しまくって、コンクールで優勝する」

「俺は、本を出して小説家になる」


 俺たちは雨の中外へ飛び出したのだった。あの頃の俺達には、絶望も、後悔も、挫折も無くただただ希望に目を向けていたな。







「懐かしいよな、結果俺の勝ちだけどな」


 あれから10年と少し。もう俺たちは27歳だ。


「この10年、俺はお前に頼りすぎていた……」


 10年の疲れを癒すように眠る愛叶。俺はこれまで歩んできた道のりを思い出し、一方通行で話す事にした。興味ないかもしれないが、昔のように笑い転げながら起きるかもしれない。そんな冗談みたいな奇跡に縋る事しか、今の俺には出来ない。



 中学を卒業した後、高校に通いながら文字を書き続けたんだ。在校中、国語の先生にアドバイスを貰いながら、ありとあらゆる公募に出したよ。でも一次選考にすら通る事は無かった。

 卒業後はアルバイトで生計を立て、文字を書く日々だった。あの時の夢はあまりに大きく、希望の光を隠す壁を壊す事は不可能に思えて、2年間書くのを辞めた時期がある。

 お金が底を付き、家にある物を全て売った。持っていた物と言えば、安いパソコンと小さな机。誰かが乗り捨てて行った自転車。それと中学時代の2人が映る卒業アルバムだけだった。


 夢と希望が見えなくなったある日、卒業アルバムを開いた事がある。今思えば、あの時開いたのは目の前にある壁から、目を背ける決心を付けようとしていたのかもしれないな。

 そんなアルバムから、懐かしい紙が落ちてきたんだ。折れ曲がり、しおれていて、黄ばんでいる。お前の進路調査だ。東京の学校に行き、コンクールで優勝する。そんな夢を掲げて出て行った愛叶。一瞬連絡をしようかと迷ったが、負けを認めるわけにはいかない、そんなくだらないプライドが、俺のエンジンに火を入れた。

 俺が一度登るのを止めてしまった壁の上に、お前が大きく手を振ってニヤニヤ笑っている顔が突然浮かんだんだ。


「やってやる。愛叶から連絡が来ないという事はまだ優勝出来てないんだろう」


 そんな事で俺は再び筆を執り、書き殴った。そうして完成した話は『ピアノ少女』だ。

 魔法のような音で人々を元気にしていく話だが、愛叶がモデルという事は断じてない。あくまで参考にさせてもらっただけだ。


 それから1年後だったか、コンテストで大賞を獲得。10月30日、やっとの思いで本を出版することが出来た。ペンネームは本を読まない愛叶にも分かるように本名にしたのに。



 ――――――――――



 すぐに愛叶に連絡を入れる。呼び出し音が耳に響くたび、気持ちが高まっていく。俺の勝ちだから、愛叶には俺の願いを聞く義務がある。すでに俺の願いは決まっていた。中学の時から変わらないこの気持ち。


「また一緒に――」


『お掛けになった電話番号は現在使われておりません』


「おいおい、まさか勝負放棄か?」


 それから愛叶捜索活動が始まった。実家に行ってももぬけの殻だったので、東京に向かった。なんで勝った方が出向かないといけないのか、そんな文句を言いつつ早足になる。早く会いたい気持ちを隠し、探し続けた。

 愛叶が行っていたと思われる高校へ。愛叶が行ったであろう専門学校にも行った。丸1年探し続けたが、それでも見つかる事は無かった。




「あんまり無理しないでくださいね、先生」

「締め切りが近くて」


 頭をかきながら、診察室を出た。湿布を貰い、飲み物を買って病院を出る。傘を開きながらバス停まで歩いていると、車いすを押す女性から声を掛けられた。どこか聞き覚えのある声で懐かしい。


「陸翔……君?」

「はい……?」


 そこに居たのは、愛叶の母だった。そして、車いすに座っていたのが愛叶だったのだ……。




「ちょうど1年前ね、ピアノのコンクールの後歩道に車が突っ込んできて、愛叶が巻き込まれたわ」

「そんな……」

「それから一度も目を覚ましていない」


 せっかく見つけた愛叶の姿は、あの時とは変わり果てていた。運動が好きで、筋肉も俺よりあったというのに今は瘦せ細り、直視すれば今にも涙が零れ落ちそうになる。


「でも、最後に陸翔君の顔が見られて良かった」

「最後って……」

「お医者さんによると、目を覚ます見込みはないみたい。奇跡が起こらないかぎりね」

「奇跡……ですか」

「明後日……。延命治療を止める事にしたの」


 それは家族の決定で、みんな覚悟を決めているようだ。そんな決定にかける言葉は見つからなかった。


 次の日、俺は時間を貰い、愛叶と2人きりで最後の時間を過ごす許可を貰った。どうしても話しておきたいことがあるのだ。



 俺たちが卒業した日も、こんな冷たい雨が降っていた。換気のため3センチ程開けられた窓から入る風は、薄いピンク色のカーテンを揺らす。


「なんか懐かしいなこの感覚……」


 こんな事を柄にもなく思い出すのもお前のせいだろう。そうお前のせいだ。


「愛叶。夢を叶えたぞ、ほら見てくれよ。俺が書いた本だ。モデルは愛叶なんだ」


 白い顔には何の変化も無く、本当に愛叶なのか疑ってしまう。


「なぁ、愛叶……」

「起きて読んでくれよ。目を覚ましてくれよ。ねぇ! 起きてよ……」


 勝負に負けた方は、勝った方のお願いを何でも聞く。それは保育園の時からの決まりだ。お前は、約束を破るのか。


「愛叶! 起きてよ、起きてよ。俺の願いを叶えろよ。ねぇ……、愛叶!」


 涙が無様に布団に落ちる。そんなの関係ないと愛叶の顔は静かだ。顔色は悪いが、今にもニヤリといつもの調子で笑いそうなのに。


「小学校の時、いつも寝たふりしてたよな……。もういいから、大丈夫だから目を開けてくれよ……」


 何回も何回も呼びかけたが無駄だ、そんなの分かりきっている、俺には奇跡は起こせない。俺に愛叶は救えない……。


 肩を落としながら、パイプ椅子に座る。ギーと音がなるほど深く座った。愛叶……。もう、さよならなのか……?


 愛叶はどんなにピアノが下手でも、基礎から練習を続け、諦める事はしなかった。そんな気持ちに何度救われたんだ。俺だって諦めてたまるか!


 俺は、いつか愛叶が語った話を思い出し立ち上がる。手を強く強く握って心の底から願う。愛叶、目を覚ましてもう一度一緒に生きよう!


「起きて愛叶」

「頼む、起きてさ、いろんなところ行こうよ」

「地元にも帰りたいしさ? 学校も見に行ったり。2人でたくさん……。ずっと一緒に居たい……、愛叶!」


「目を、覚ましてくれ!!!」



「うるさい」

「えっ……」

「ここ病室、分かってる?」

「愛叶……!」


 1年も目を覚まさなかった愛叶が。医者に無理と言われた愛叶が。起きたのだ。その瞬間、息が詰まり足に力が入らず、尻もちをついてしまう。後ろにあったパイプ椅子が倒れ、大きな音が病室に響く。廊下に居た母親も異変に気づき、部屋に飛び込んでくる。


「愛叶……」

「お母さん、おはよう」


 かすれた声で起きた時の挨拶を口にしたのだった。





 それからしばらくの間、愛叶の検査が続く。もちろんその間もずっと一緒に居た。ほんの少しずつ体力が戻り始め、話す事は容易になった。


「そういう事で、勝負は俺の勝ちだ。俺の願いを聞いてもらおうか」


 車いすを押し、病院の屋上。そこには雲一つない空が広がり、遠くに飛んでいるトンビもよく見える。


「何の事?」

「とぼけるなよ。俺は小説家になって本を出した。俺の勝ちだ」


 鞄に入れてあった本を取り出した。本当は一番最初に読んでもらいたかったけど、今はそんな事どうでもいい。


「ピアノ少女……ねぇ?」

「なんだよ」

「安直だなって」

「こういうのはシンプルなのが良いんだよ!」


 愛叶は俺の本をパラパラと捲ってから、ニヤリと笑った。久しぶりに見たなこの顔。何か企んでる顔だ。


「でもさ? 私、もう陸翔の願い叶えたよ?」

「え?」

「陸翔は私に起きてほしいって」


 何も言葉が出ない。そんなの卑怯だ、インチキだ!


「何をお願いしようと思ってたの?」

「うっ、秘密……」


 愛叶は「何それ」と笑った。そんな満開の笑顔を見ると、愛叶が生きていればもう何もいらない、願わない。愛叶が幸せであればと、感じたのだった。

 すると突然、車いすの背中にあるポケットを見るように言われた。マジックテープを外し、中に手を入れると筒のような物に触れた。出してみると、賞状なんかを入れるあの筒だった。


「開けてみて」


 ポンっと気持ちのいい音を聞きながら中を覗く。


「おい、これって……」


 大きく立派な賞状には大野愛叶の名前と、日本音楽コンクール最優秀賞の文字があった。


「愛叶、お前。優勝してたのか」

「この日の帰り道、こんな体になっちゃったけどね」


 そうか、そうだったのか。愛叶も夢を叶えていたんだ。いつかは絶対成功するとは思っていたが、これほどとは……。


「日付見て」

「うん? 10月30日……」

「どう?」


 得意げに俺を見上げる愛叶。小説を出した日と、愛叶がコンクールで優勝した日が、年も、月も、日にちも一緒だ。


「こんな事があってもいいのかよ」


 顔のニヤニヤが抑えられない愛叶は、気取った声で言う。


「同着なら、私のお願いも聞いてよ」


 車いすから覗く顔が、太陽の白い光に照らされて天使のように綺麗だ。そんな愛叶に負けてその申し出を受け入れてしまう。まぁ、目を覚ましてくれたお礼くらいはしないとな。


「で、どんな願いだ?」

「手、貸して」


 車いすにロックを掛け、俺は愛叶の前に立った。愛叶はしっかりと腕を掴んで、ゆっくり、ゆっくりと立ち上がる。同じ目線に立ち、強く抱きしめてくる。


「愛叶?」


 顔は見えない。それでも鼓動が確かに伝わり、耳が真っ赤になっていく。




「ずっと一緒に居てほしい」

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口十う らぴす @rapisu09syousetu

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