悪魔のフェイルセイフ(ライトノベル新人賞最終選考落選歴あり)

牛馬走

短編

嵐にさらされて、母は老け込んでいた。

 粘着質で抑えようのない怒りが腹の底から湧きあがる。

「五月蝿い! 俺の友達が死んだのに、そんなことしか言えないのかよッ!」

 テーブルを思いっきり叩いた。拳に痛みを覚える。母が脅えた表情で後ずさった。

(またか……また、その表情で俺を見るのか?)

 母の理想とするレールの上にいるときは、そんな目では見られなかった。超一流大学に入り、祖父と同じ大学教授を目指す、そのレールを進んでいたときは……。

 殺意が湧き上がる。奥歯を噛みしめて耐えた。

 ――しかし、ふと思う。

(何で、俺は我慢してるんだ?)

 悲しんで欲しくない唯一の人間は、今日死んだ。

親がいくら嘆こうが知ったことではない。

 亮はきびすを返し、リビングを出た。そのまま玄関に向かう。

「ど、どこに行くの?」

 母の腰の引けた非難の声が聞こえてくる。


 屋上には秋の気配を感じさせる風が吹いていた。熊本市の背の低い建物の群れが、どんぐりの背比べのように肩を並べひしめき合っている。窓から明かりが漏れ、夜の闇に浮かび上がっていた。

 空を見上げると、満天の星空だった。

 屋上に入るのは簡単だった。外階段を上り、鍵はチャチなもので傘の骨部分で開けられた。

 開け方を亮に教えてくれたのは、無二の親友の西田誠だった。

 亮と誠の付き合いは、中学一年から続いている。

 母の勉強最優先の考えに毒された亮は、クラスで浮いた存在だった。努力する者を嘲笑する風潮が支配している教室の中で、亮がいじめられるのに大して時間はかからなかった。

 机への落書き、物を隠されるなど、一通りのことをされた。それを、あるとき同じクラスにいた誠が目にした。

 誠はその瞬間、無言で物を隠そうとしている生徒二人を殴り飛ばした。そして、俺に言った。

「こうすればいいんだよ。こういう連中に、暴力を振るわれてまでいじめを続ける根性なんてない」

 それから、亮と誠な親友になったと同時に、中学三年間教室で孤立した。

 その誠が――。

 亮は柵を乗り越え、屋上の縁に立っていた。何か考えがあってのことではない。それが自然なことに思えたのだ。生きる意欲を失ってしまった。。

(誠が死んだのに、何で俺が生きてるんだよ?)

 建物の高さは三階。十分に死ねる高さだ。

 足の重心を移し、足を一歩前に……

「あなたの親友を凶行に駆り立て、死に追いやった人間はまだ生きてますよ」

 甲高い男の声が背後からかけられた。

 重心を後ろに戻し、振り返る。

 そこには、黒縁メガネのサラリーマン風の男が立っていた。愛想のいい笑顔を浮かべている。

「あんた、誰だ? それに、誠を死なせた人間って……」

(いつのまに、ここに現われたんだ?)

 当然だが、夜になり屋上と校舎を隔てる扉には鍵がかかっている。その上、その扉は開けるときに錆び付いた音を立てるため、誰かが入ってくれば容易に分かる。外階段の扉の同様に派手な音が鳴る。

「言葉どおりの意味ですよ。薬を巡って仲たがいを起こした相手は、まだひとり生きています。彼の名前は、東翔太、あなたのクラスメートだ」

「どうして、そのことを知ってるんだ? なんで、俺に教える? それに、あんたは誰なんだ?」

 矢継ぎ早に質問する。

「まず、最初と最後の質問に答えましょう。私は死神なんです。人間に知りえないことも、私にはお見通しだ。そして、最近仕事が忙しすぎる。紛争やテロの多発、自殺者の増加などにより、これまでにないほど短期間にうちに人間が死にます。それで、私たちの仕事はとうに飽和状態です。だから、自殺する人を思いとどまらせるために走り回っているという次第です」

 何度もその説明を繰り返しているのか流暢に語った。

 亮は疑惑の眼差しを男に向ける。

 男の姿が掻き消えた。次の瞬間、男の姿は亮の傍らにあった。

「胡散臭いと思う気持ちは分かりますが、事実です」

 男は校庭を見下ろしながら断定した。「やっぱり高いな~」と呑気なセリフを漏らす。

「それに、私がスーツ姿なのは相手に警戒心を与えないためです。これから導こうとする相手を威圧してどうするんですか」

 男が亮の顔を見た。

「どうします、死にますか?」

 改めて問われて気づく。

死ぬ気が失せていた。

 男が瞬間移動をやってのけたことから、人間でないことに納得がいく。親友の死で心が麻痺している亮は、超常的な存在でも受け入れることができた。

 男が言ったことは本当かもしれない。確かめなければならなかった。

 義務感が胸の内に満ちた。



 朝のホームルームが近づいた教室は、いつも通り生徒のお喋りで賑やかだった。

事件が起きた次の日の、初めての通夜でどうすればいいのか戸惑っているかのような沈黙が嘘のようだった。

 マスコミの取材も日が経つごとに減っていき、それにともない学校も平静を取り戻していった。

今は誠の話題は禁忌となっていて、うっかり口にした生徒は気まずそうな表情で亮の方を見る。それ以外のときは、亮は無視されていた。誠と親友だったため、同類と見られているのだ。「人殺し」だと――。

亮にとっても、周囲への視線は変わった。回りの人間が、書き割りのごとく薄っぺらなものにしか感じられなくなったのだ。

 周囲で交わされる言葉が、ひどく無意味にに思えた。数ヶ月前までは、亮も誠とおなじような会話を交わしていたが、今となってはそれが現実だったか確信が持てない。

 亮は机に座りうつむいて、じっと東翔太を待っていた。

 素行のあまりよくない東は、朝のホームルームが始まるか始まらないかという時間にしか教室に現われない。

 教室に戸が開くたびに、視線を向けて東かどうか確認する。それを何度か繰り返す内に、東が登校してきた。頬骨が張り、吊りあがった目をした痩身の男子生徒だ。

 素早く立ち上がり、近寄る。

 亮が近づいていることに気づいた東は怪訝な表情を浮かべた。

 耳打ちする。

「お前が、誠の件に関わってることは知ってる。バラされたくなかったら、昼休みに屋上に来い」

 東の表情が強張った。「何で、お前がそのことを知ってるんだ?」と目で問いかけてくる。

 それを無視して席に戻る。

 亮が東に話しかけたことに気づいた生徒が、ヒソヒソと何やら言葉を交わしていた。

 が、そんなものに興味はない。東は、あの様子なら間違いなく屋上に来るだろう。

 そして、死神を名乗る男が語っていたことは事実だということになる。

(なあ、誠……何で、薬なんかに手を出したんだよ)

 答えは昨夜、死神から聞いていた。



「誠さんが事件を起こした理由ですか?」

 亮は死神に尋ねた。神なら知っているかもしれないと思ったのだ。

「教えてさしあげてもいいですが、他言無用でお願いします」

 死神の言葉に頷く。

 亮は屋上の縁に腰かけていた。ときおり、体が浮いているような錯覚に見舞われる。

「ニュースでやっている通り、誠さんは殺した相手と薬の売買で繋がっていたんですよ。客と売人という関係で。確か、殺した相手のリーダー格の人の名前は、渕上でしたかね」

 死神は立ったまま、抑揚のない声で話し始めた。

「進学のことで親と喧嘩になりむしゃくしゃしていたところに、声をかけられた。そして、それを契機に薬に手を出し、常習者になりお金を搾り取られ、最後にはお金を出せなくなり薬を売ってもらえなくなった。そして、それに逆上した彼は凶行に走った。この世界では、ありがちなことですよ。薬を売ってもらえなくなり、売人を殺すのは」

 亮の心の中では、怒りと悲しみがごっちゃになっている。「渕上さえ誠に薬を売らなければ」という憤りと、「何で、俺に相談してくれなかったんだ」という不満の形を取った哀感がマーブル模様を描いていた。


(なあ、誠……何で、薬なんかに手を出したんだよ)

 もう一度、胸中で問いを発した。

 確かに、今考えれば、薬に手を出している兆候はあった。目の下に隈をつくっていたり、始終だるそうにしていた。

 だが、それを本人に言ったところ、「最近、眠れなくて」という返事が返ってきた。亮はそれに納得してしまったのだ。

 担任の教師が教室に入ってきたが、亮の物思いは終わらなかった。


 長く感じられた時間も、過ぎてしまえばあっという間だ。

 昼休みになり、亮は屋上のベンチに腰かけていた。昼食は取らず、早足にやって来たため他に誰もいない。

 夏の名残を残した陽射しが射している。

 扉が軋んで開く音がした。

 立ち上がり降り返る。警戒した様子の東が、ゆっくりと近づいてきた。ベンチ越しに向かい合う。

 お互い、相手のことを汗一筋の動きさえ見逃さないよう探り合う。

 やがて、

「何の用だよ? 早く済ませねえと、他の奴が来るぜ?」

 耐えかねたのか、東が口を開いた。

「……お前が、薬を誠に売ってたのは本当なのか?」

 単刀直入に、確信に触れる質問を切り出す。

 ほっ、と東の表情が少し緩んだ。安堵の念がうかがえる。

「誰から聞いたんだ?」

 案にその表情は「何だ、確信がある訳じゃねえのかよ」と言っていた。

「そんなことはどうでもいい! 売ったかどうかって訊いてるんだよ! もし、喋らないのならお前のことをマスコミにバラす」

 「もし、喋らないのならお前のことをマスコミにバラす」の部分は声を低くして、脅しをかけた。喋らなければ、実際にマスコミにバラす。被疑者が自殺するという結末を迎えているため、このネタには喜んで食いつくだろう。

「ふん、そんなのは根拠のねえ噂話だってことで終わりだ」

 東が強がるが、目が泳いでいる。

「だがもし、警察が動いたらどうする? 関係者が生きてるとなったら、警察も黙ってない」

 東の顔を睨みつけながら、さらに温度の低い声で告げる。

「質問に答えたら、黙っててくれるのかよ……?」

 先ほどとは打って変わり弱気な表情を見せる。

「どうなんだよ?」

 わざと質問に答えず、プレッシャーを与える。

 東は唾を飲んだのか、喉を上下させた。

「……売ったよ」

 蚊の鳴くような声で答える。

「聞こえない。もう一度、答えろ」

「売ったよ!」

 淡々と命令する亮に、東はやぶれかぶれという様子で答えた。

「誠が死んだことに責任は感じてるか?」

 さらに畳み掛ける。これが、最も聞きたいことだ。

 東は亮から視線を逸らした。まるで、テストの問題文から答えを探し出すかのごとくコンクリートの床を凝視した。

「誠が死んだことに責任は感じてるか?」

 再度、噛んで含める口調で問い質す。

 東の額と鼻の頭に汗が浮き出てきた。しきりに瞬きを繰り返している。

「誠が死んだことに責任は感じてるか?」

 執拗に繰り返す。答えるまで、何度でも尋ねるつもりだ。

 最初に、亮が訊いたときに、「俺が悪かった」「後悔してる」などの反省の言葉を発したのなら、許せるかもしれないと思っていた。

 だが、現実には、何も答えずただ突っ立っている。その顔には浮かんでいるのは、いかにこの場をやり過ごすかという逡巡だけで、後悔の念は一切見つけられない。

 軽蔑の目で東を眺める。

「誠が死んだことに責任は感じてるか?」

「……俺は悪くない」

 かすれた聞き取りにくい声で、東は答えた。

「誠が死んだことに責任は感じてるか?」

 先の言葉は、耳に届いていたが確認の意味で問うた。

東は無言で弱々しくかぶりをふった。

亮は失望を隠し切れず、ため息をついた。

 彼の選択は決まった。

「俺は悪くない……薬をヤクザから仕入れてたのは渕上だし、薬を売る相手を探してたのは井上だ。俺は、そいつから金がそれ以上、搾り取れるかどうか判断してただけで……。それに、あいつが……誠の奴が、勝手にキレて渕上と井上を殺したんだ。そうだ……俺は悪くないんだ!」

 ブツブツと自分以外視界にない様子で呟いていた東は、一際大きな声で自分が悪くないことを訴えた。亮の目を覗き込んでくる。

 だが、それに対する亮の感想は、正反対のものだ。

(こいつが、誠が死ぬ理由を作ったんじゃないか……!)

 腸が煮えくり返る思いを抱きながら、屋上を後にする。

「俺は悪くないんだ!」

 卑屈な声が、亮の背中にかけられた。


 茜色の陽射しが下校する生徒の顔を染めている。

 亮は自転車置き場の陰から、校門を見張っていた。

 目的とする人物は当然、東だ。

(来た)

 部活に入っていない東は、割合早い時間に校門に現われた。

 東の背中を追う。

 東は路面電車の走る通りには向かわず、細い路地をアミダクジをするように進む。

 二人以外に人気のない道だ。

(どこに向かってるんだ?)

 東はやや早足に歩いていた。それに合わせて、亮も早足になる。

 足音を極力立てないように気を使う。

 やげて、東はひとつの古びた建物に入っていった。二階建ての建物で何かの会館らしいが、使われなくなって久しいようだ。曇った窓には薄汚れたカーテンが引かれ、ところどころに罅が入ったり割れたりしている。

(こんなとこに何の用だ? 薬の取引でもしてるのか?)

 考えながらも、建物に入り口の横に回り込んで中をうかがう。

 中は静まり返っていた。薄暗い。

 埃の堆積した廊下には、複数の足跡が認められた。現在も人の出入りがある証拠だ。菓子袋やコーラの空き缶も転がっている。だが、東以外の足跡が最近のものかどうか判別でない。

 足音を忍ばせて、建物に入る。

 L字型の廊下があり、正面の右手の方に階段が見受けられた。映画などで見る古い学校を思わせる作りで、廊下に面した部屋の窓枠は木製だ。

 ――パタパタ。

 階段の方から、足音らしき音が聞こえた。

 亮も階段を上った。

 心音が高鳴り、喉の渇きを覚える。手の平が汗で湿った。

 不意に足音が途絶える。

 ――ドッドッドッドッドッドッドッ……。

 耳が痛くなるほど、脈拍が速まる。

 なるべく身を低くしながら、二階へと上がった。

(いない……)

 東の姿はそこになかった。

 二階と同じようにL字型の廊下が伸びている。

 足跡がすぐ近くの部屋に続いていた。

 そろり、そろり、と部屋に近づいていく。

 そっと、部屋の中を覗き込むが、誰もいない。木製の机と椅子が後方に、亮の背丈よりも高く積み上げれていた。広さは学校の教室ほどだ。

(足音は聞き違いだったか、それとも足跡は別の人間のもの?)

 部屋に足を踏み入れる。

 ――ビュンッ。

 耳元で風切り音がした、と思った瞬間、後頭部を衝撃が襲った。床に倒れこむ。

 鼻腔が血の臭いで満たされ、視界が闇で閉ざされた。


 ……――目を開くと、暗闇がそこにあった。頭がズキズキと痛む。

「あー、気づいたか、このクソ野朗」

 愉悦の色がにじむ声がかけられた。

 声の聞こえた方に顔を向ける。

動かすのが顔だけなのは、座った状態で体が縛り付けられているからだ。ご丁寧に手首も後ろで組んで縛ってある。

 目が闇に慣れ、声の主を捉えた。東翔太だ。下品な笑みを浮かべて亮を眺めている。

「お前ってアホだよなー。お前が自転車置き場で待ち伏せしてたの丸見えだっての。しかも、俺が積み上げられた机の上に隠れてるのに気づかず、無防備に入ってくるんだもんなー」

 ベラベラと得意げに喋る東の言葉で、現在の大まかな状況に察しがついた。

 床に金属バットが転がっており、血が付着していた。

 頭痛の原因はこれだろう。

「ここは都合がいいんだぜ。日が暮れると誰も近くを通らない」

 上機嫌の声で、東は言葉を続ける。だが、

「お前が悪いんだぜ。お前が、俺が渕上たちとつるんでヤクを売ってたこと嗅ぎつけなきゃ、こんなことにはならなかった」

 と急に声のトーンを落とし囁く。

 それを聞いて、亮が抱いた感想は、

(結局、すべてが人のせいなんだな、お前は)

 というものだった。

「お前には死んでもらう」

 凄みを利かせて東が言った。

「確かに、ここは都合がいいな」

 体を動かせないので、顔で周囲を示してみせる。

「あ?」

 東が怪訝な顔になる。

「誰も邪魔が入らない。――ブネ、頼む!」

 前半は東に、後半は例の死神に向けて告げた。

「承りました」

 甲高い声が、亮の声に応えた。

 部屋の隅に、死神が現われる。

そして、教室の中央に黒い染みのようなものが出現した。染みは拳大から人間サイズへとじょじょに成長した。

「ァァァァァァァァァァアアアアアアア!」

 染みは、青白い肌の人間の姿を取った。手足に枷をはめられている。顎が外れるほど口を開けて、怨嗟の声を上げていた。

「誠……」

 それは、かつての亮の親友のなれの果てだった。ざんばら髪、落ち窪んだ眼、黒い血の涙の筋など見るも無残な姿だ。

 なぜ、誠がこんな姿で帰ってきたのか。それは、死神が昨夜、口にした言葉が関係している。


「もし、東が誠に薬を売りつけていたのなら、絶対に許せない!」

 亮は強い語調で死神に告げた。

「なるほど、確かに」

 死神は屋上の縁から足を踏み外した。しかし、下には落ちず宙に浮いている。

 亮の前に回りこんできた。

「ならば、こういうのはどうでしょう? 特別に、誠さんの魂を現世に呼び寄せて、東さんを殺してもらう。これなら、あなたは手を汚さずに済みますし、誠さんの気も晴れるかもしれません。まさに一石二鳥のプランだとおもいませんか」

 イタズラを提案する子供の表情を神は浮かべた。

「そんなことが……」

「出来るんです」

 死神が、亮の言葉を先取りする。

「もし、その気になったのなら、私の名をお呼びください。私の名前は、ブネと申します。それでは」

 ブネは手を振って姿を消した。

 その後、家に帰った亮はインターネットでブネという名前について検索した。

 すると、驚くべきことが判明した。


 東は目を見開いて、恐怖に顔を歪めていた歯の根が合わなくなっている。

(いい気味だ)

 亮はその様子を見て、嘲笑った。

 視線を誠の方に戻す。

「誠、こいつを殺すんだ!」

 力の限り絶叫する。

 視界にいる東が膝から崩れ落ちるのが見えた。

 緩慢な動きで、怨霊となった誠が歩み寄ってくる。前傾気味の姿勢で、誠が歩くたびに枷が床と擦れてカチ、カチ、と鳴っていた。

 亮は視線を移し、東の怯える様を観察した。

 東は腰を抜かしたらしく、その場から一歩も動けずに誠の姿を凝視していた。

「あと少しでお前の人生は終わる。何か言い残すことないか?」

 東の恐怖をさらに煽る。

「俺は悪くないッ! 悪いのは、渕上と井上が悪いんだ!」

 往生際の悪いことに、火に油を注いでいるとしか思えないセリフを叫ぶ。

「黙れ! 誠を殺したのはお前だ!」

 亮は椅子に縛られたまま怒鳴りつける。

「なあ、そうだろ、誠!」

 亮は、誠に顔を向けた。

(……ん?)

 何だか、様子がおかしかった。どうも、誠が亮の方に進んできているような気がする。

 ――カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ。

 誠の足首の枷が擦れる音が増えるごとに、亮の抱いた予感は気のせいではなかったことが証明された。

 確実に誠は亮の方に進んできていた。

「そんな……誠! 俺だ! 佐野亮だ! 友達の顔を忘れたのか!? お前が憎んでる奴はあっちだろ!」

 首を振ってまで東を指し示すが、誠の歩みは相変わらず亮を目指している。

「へへ……そうだよな。寂しくて、友達を道連れにしたくなったんだな」

 東が頭のネジが緩んだ声で言った。

 狭い部屋のため、いくら誠の歩みは遅くとも距離は容易に縮んだ。

 ――ゴクリ。

亮は唾を飲んだ。

「ヒィ……」

 おぞましい顔を真近に見て、情けない悲鳴が漏れた。

 誠の青白い手が伸びてくる。

「……ッ」

 声も出ない。背筋に冷たいものが走り、全身を冷や汗が流れた。

 誠の手が亮に触れた――と思ったが、その手が掴んだのは亮を縛めていた縄だった。

 誠は両手で縄を掴み、力を込めた。

 ――ブチ……ブチ、ブチ。

 縄は呆気なく千切れた。同様に、後ろ手を縛っていた物も用をなさなくなった。

「誠……」

 掠れた声で、亮は茫然と友人の名を呟いた。

「地獄の苦しみは……とても……耐えられたものじゃ……ない。殺しをすれば……さらに地獄で……罪を償う年数が……増える。だから……あいつは殺せない」

 くぐもった声で、誠は途切れ途切れに喋った。

「俺の……ようには……なるな。さよなら……だ」

 誠の目には、涙が光っている。東に向かっていった。

「もし……亮に……手を出してみろ……祟って……やるからな」

 もう一度、亮の顔を見ると、誠の姿が薄れていった。

「誠ッ! 俺と友達でいてくれて、ありがとう!」

 亮は誠が消える前に、今まで言えなかったことを口にした。

 暗くてよく見えなかったが、誠の口は笑みの形を成しているように見えた。

「おやおや、陳腐な結果に終わりましたねえ」

 困った、困った、そんな感情がこもった声が上がった。部屋の隅に立ち、じっとことの成り行きを見守っていた死神、ブネのものだ。いつの間にか、亮の傍らに立っていた。

 いや、死神と呼ぶのは間違いだろう。なぜなら――。

「悪魔のお前には陳腐かもしれないが、俺は誠に言いたかったことが言えて満足だ」

「知ってて、私を呼んだんですか。中々、肝が据わってらっしゃる。それとも藁をも掴むというやつですかね」

 ブネが悪びれた様子もなく笑みを浮かべた。

「昨日、ネットで調べたんだ。それに、誠に渕上たちを殺すようにそそのかしたのもお前だろ?」

 ブネというのは、悪魔の侯爵で死んだ人間を地獄へと導くのが仕事だというのが、ネットに記されていた。

「まったく、つくづく厄介な世の中になりましたね、人間界は。そそのかしたなど人聞きの悪い。助言してさしあげただけですよ」

 笑みを崩さず、悪魔ブネは肩をすくめた。

「何で、自殺しようとした俺を助けたんだ?」

「ああ、それは最初に言った通りですよ。ただ、もっと詳しく言うのなら、悪魔は罪を犯したり心残りのある人間を地獄へと連れてきて、その思いを糧にしているのです。ですが、事故や自殺でやってくる者の魂はそれほど美味くはないのです。やはり、人殺しなどの罪を犯した人間の方が、悪魔の味覚には合っている。それだというのに、紛争やテロの多発、自殺者の増加などにより、これまでにないほど短期間にうちに人間が死にます。美味しくもない人間のために処理が追いつかなくなっているのです。それで、自殺しようという人間を減らそうと『フェイル・セイフ』という組織が立ち上げられたのです。この国は年に三万人も自殺者が出ますから大変ですよ」

 嘆かわしいという表情で首を横に振る。

「あなたの場合、自殺を阻止できる上に、怨霊を使って人を殺させれば一石二鳥だったんです。直接、手を下さなくても、地獄に落ちます。だから、殺人者の穢れた魂がその内、手に入る算段だったんですが……」

「失敗に終わった」

 亮はブネの言葉を継いだ。

「騙す気だったのか!?」と悪魔を責めるのは筋違いだろう。直接、手を下さなければ地獄に落ちないとも言っていないし、悪魔とは元来、人を騙くらかす存在だから。

「せいぜい悪事を働いて死んで下さい。私が美味しくいただきますから」

 そう言い残し、悪魔は姿を消した。

「俺は悪事を働かない。誠に『俺のようになるな』って言われたんだ」

 決意を込めて、亮は呟いた。

                                       了

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悪魔のフェイルセイフ(ライトノベル新人賞最終選考落選歴あり) 牛馬走 @Kenki

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