さよなら光源氏~小説家のおじさんと京都(府)暮らし
澄田こころ(伊勢村朱音)
第一章 都のはずれ
第1話 お弁当の仕度
ハチワレ猫のミヤの騒々しい鳴き声が、二階から聞こえてくる。
わたしは階下の台所でお弁当用の豚の生姜焼きを、フライパンの上でせわしなく菜箸でつついていた。油断するとすぐに焦げ付いてしまう。
ここは慎重にならねば、グラム百円を切る豚こま肉をおいしく食すために。そんな切羽詰まった女子高生の朝の貴重な時間、猫にかまっている余裕なんかない。
野生のプライドを捨て、みゃーみゃーと媚を売るような泣き声で何かを訴えているようだけれど、すまないが勝手に鳴いていてくれ。
わたしの意識はフライパンの中へ全集中する。節約レシピのど定番、豚こま肉は少々固く焼き上がるのがたまにきず。その硬さをなんとかしてくれるのが魔法のお粉、片栗粉。
玉ねぎや酒類に付け込んでも柔らかくなるが、そんなてまはめんどくさい。肉に味付けをする時に、片栗粉もいっしょに混ぜればあら不思議。お安いお肉をコーティングしてくれて多少硬かろうが、つるんとした触感に騙されること請け合いである。
節約とは、お金を惜しんで時間をかければいいというものではない。時間も価値があるのだ。すなわちTime is money.特にこのクソ忙しい朝は、寸暇を惜しむ。
朝起きて一番に洗濯機を回し、その間トーストに庭でとれた甘夏で作ったジャムをぬって食べる。わたしが暮らすここは京都府であって京都でないが、京都の朝食の定番はパンである。
えっ、雅な京都なのに、朝ごはんは和食じゃなくて、パン? と思ったそこのあなた。京都府はパンの消費量が毎年トップファイブに入るほどの、パン好き都市である。
その理由は、職人さんが多いという理由らしい。忙しい職人さんは、ささっとパンで朝食をすますそうだ。
そう言うと、農家も商家も忙しいじゃん。と思うだろう。ようは、街中にパン屋が多いと言うのが理由だ。なんでも、明治二十年代からパン屋が軒を連ねていたとか。
さてさていい感じにあめ色の豚肉が焼きあがった。香ばしい匂いとともに、キャベツの千切りが盛られたお皿とお弁当箱にとりわけた。
お弁当箱にはあらかじめ、キャベツの千切りに、小松菜の胡麻和えが入っている。この胡麻和えは、小松菜が安い時に多めにつくり、お弁当用に小分けにして冷凍している。凍ったままお弁当に入れておくと、昼時になれば自然解凍して美味しく食べられるというわけ。
名付けてセルフ冷凍食品。胡麻和え以外に、ひじき煮やホウレン草のソテーなどは常備している。
ここで気をつけたいのは、冷凍してぼそぼそになる食品があるということ。例えば、こんにゃくとかジャガイモとか。これらの食材は避けましょう。
そんな時短弁当箱の中に生姜焼きをインすると、全体的に茶色いお弁当ができあがる。これでは、かわいいJK弁当ではなく現場のおっさん弁当だ。すかさず冷凍室から凍らせたミニトマトを取り出す。
ご近所さんの家庭菜園で収穫されたミニトマトを大量に頂いたのは、夏の盛り。二人家族では食べきれず、冷凍保存しておいた。
冷凍すれば一か月は持つ。なので、そろそろ使い切ってしまわなければいけない。凍ったままのミニトマトをそのままお弁当箱につめた。
冷凍トマトをお弁当箱に入れると、セルフ冷凍食品同様、保冷剤代わりになる。解凍時にはふにゃふにゃになるので、おすすめはできないが、わたしはそんなの気にしない。
お皿に盛った生姜焼きにミニトマトを添えるか、一瞬悩んだがやめておいた。触感が嫌だと残すのは明らか、トマトがもったいない。
生姜焼きの粗熱が取れたらお皿にラップをかけ、お弁当箱には蓋をした。使ったフライパンや調理器具はそのままにしておく。あとの片付けは、家主の仕事である。
わたしは洗濯と料理。家主は料理の後片付けと掃除が当番だ。料理は頭を使うので、考えごとに向かない。その点、掃除と皿洗いは最高に思索に向いた作業らしく。頭空っぽにして手を動かしていると、アイデアが降ってくるそうだ。
学校から帰り、家中がピカピカに掃除されている時は、仕事が行き詰っている証拠である。そういう時は何も訊かず、好物のおかずを作ってあげることにしている。
制服の上につけた、でかでかと某有名ベストセラーの書名がプリントされた販促用エプロンを外すと、台所の小窓から秋のからっとしたちょっと素っ気ない風が入って来た。
わたしが今暮らすのは、戦前に建てられた洋館付加住宅――わかりやすくいうと、サツキとメイが住んでいた、日本家屋に洋館がくっついているスタイル――である。水回りだけ新しくなっているが、間取りはそのまま。
東向きに建つ家屋の一階は台所と仏間に居間、それとお風呂とトイレ。あとは玄関を入って右手に洋間がある。二階には六畳が二間のみ。
収納スペースは少ないが、そのかわり庭に蔵が建っている。真昼でも薄暗いから、わたしは滅多にはいらないけれど。
古民家なので天井が低く、背の高い家主はしょっちゅう鴨居に頭をぶつける。柱もむき出しで、角っこに足の小指をぶつけよく悶え苦しんでいる。
半袖のブラウスにリボンをつけながら、二階へ向かう。家主の部屋からはみ出した本がつまれ、狭く急な階段が本棚状態になっていた。慎重にのぼらないと、うっかり本の山を崩して雪崩を起こすのだ。
なんとか一階に本の侵入を許していないけれど、そのうち侵食されそうな勢いで本は増え続けている。
年数をへた木の階段は、角がとれ木目が浮き上がっていた。足の裏でそのざらざらとした木のぬくもりを感じると、先ほどまで焦ってお弁当を作っていた心がほどけていくから不思議だ。
猫のミヤはぴたりと閉めきられた引き戸を、カリカリと爪でひっかいていた。頭をなで、あごの下をくしゃくしゃとなでてやる。何時も戸があくまで大人しく待っているのに、どうも昨日からミヤは落ち着きがない。執拗な開けて攻撃に対しても、戸はピクリとも動かなかった。
部屋の主は、今日も夜明けまで仕事をしていたのだろう。そっと戸を開けると、ミヤが待ってましたとばかりに中へするりと入っていった。
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