第27話 無垢なる日々

 俺と朱莉は朝から二人っきりの執務室で政務をこなしていた。いつも首相である朱莉の傍を離れないはずのみやびさんは、午前中から各省庁の大臣や補佐官達との調整があると席を離れている。


「…………」

「…………」


 互いに自分の仕事に専念して、ただ黙々と書類に書き込んだり整理したりしている。

 洒落たBGMすらも流れておらず部屋には盗聴防止の防音対策がしっかりとされているのか、聞こえるのは紙を捲る音かペンの走り書きがする音のみしか響き渡らない。


(すっごい静かだな……みやびさん一人居ないだけでこんなにも静かになるのか)


 それは別にみやびさんが口煩いという意味合いでなく、傍に居てくれれば俺達の話を聞いたり意見を聞きに来てくれたりするのでこういった沈黙にはならずに済む。

 けれどもそう思っているのは俺だけなのか、朱莉は書類に目を落としたまま時折ペン書きしたりするだけで俺には一切目もくれない。それだけ政務に集中しているとも言える。


(本来なら立場逆かもしんないけど、俺もこんな朱莉を見習わないといけないよなぁ~)


 自分の机に座り、次々と仕事をこなしている朱莉の姿を横目に見ながらそんなことを思ってしまう。


「うん? どうしたのお兄ちゃん?」

「……あ? ああ、いや他にも俺ができる仕事はないかなぁ~と思ってな」

「あ~っ……うん。今のところは無いかもしれない。今はまだ考えをまとめてアイディアを捻り出している最中だからコピーするのにも早いし、資料もさっき出してもらったもので賄えているから……」

「そ、そうか。必要ならいつでも呼んでくれよ」


 朱莉は返事をしないまま、再び書類へと目を落とし政務を続けている。うん。どうやら第二秘書である俺のお仕事は皆無のようだ。

 みやびさんとは違い、スケジュール管理や他の人との調整みたいな話し合いもほぼほぼ無いので実質的に出来ることといったら書類整理かコピーを取るくらいしか仕事はない。だからと言っても「暇なのか?」と言われればそういうわけでもない。


 なんせ朱莉の考えるアイディアそのすべては言ってしまえば、うろ覚えによるゲームの知識かアニメまたはラノベから引用してきた情報ばかりのどこかで見た聞いたことがほとんどなのだ。

 だから数値的根拠に基づいているわけではないので、まずはそれらすべてをネット等で検索してから調べ上げ、次にみやびさんへと伝え各省庁から資料を提出してもらってから具体的な方策として最後に書類へとまとめなけばならない。まるで雲を掴むような話なうえに膨大な資料の数々なので、ゲームをしたりアニメを見たりする余裕も生まれる暇がなかった。


「ふぅーっ。これは後で朱莉さんに……ってあら、お二人ともまだお仕事をなさっていたのですか? もうとっくにお昼の時間は過ぎていますよ」

「あ、みやびさん。あっほんとだ。もう20分を回ってますね。仕事をしていて気がつきませんでしたよ」


 俺達が部屋に居ないと思っていたのか、独り言を呟きながら入ってきた。

 どうやら各省庁との調整が終わったのか、みやびさんが執務室に戻って来てくれたのだが既にお昼の時間も中盤へと指しかかろうとする時間帯になっていた。いつもみやびさんが傍に居れば12時になる前に教えてくれるので、時間を見る必要もなかったので気がつかなかったわけだ。


「ほら朱莉。もうお昼の時間になったぞ。メシを食いに行こうぜ」

「……ん~っ? あっ……うん」


 俺達の会話が耳に入らないくらい集中していたのか、軽く左肩を叩いてようやく朱莉は顔を上げた。


「では、いつものように食堂へ行きましょうか」


 みやびさん先導の……もとい護衛のもと、俺達は首相官邸内に設置されている食堂へ赴くことになった。

 ここは官邸内で働いている人や警備や護衛をしている人しか立ち入ることが許されず、その理由も各セキュリティー上のためである。


 俺は始めこそ、料亭等で高級な料理を毎日食べられるものとばかり勘違いしていたのだが、国のトップと言えども秘匿の会合でもなければ、そのような店は使わないという。

 もちろんそれは費用的面の理由も当然あるだろうが、一番の理由は食べに行く時間節約である。もちろんそれらの費用も自前ではなく、国民の税金から賄われており贅沢を敵だと考えている朱莉が進んで行こうと言う訳もなかった。


「う~ん♪ 日替わりランチはいつも色んなものが味わえるから良いですよね~」

「そうですね。専用の調理人が栄養やカロリー計算をしっかりと管理して、毎日献立を考えてくれていますからね。その日手に入る野菜や魚も当然違うでしょうし、季節や気候なども考慮しているそうですからある意味で調理人にとっては毎日が外交のようなものかもしれませんね」


 俺とみやびさんは同じ日替わりランチを頼んだ。


 今日の日替わりランチの内容は白米に大根やゴボウなどの野菜や豚肉が入った具沢山の豚汁、それと豚のしょうが焼きとそこに添えられた山盛りの千切りキャベツとトマト。そして脇に添えられている小鉢は、ほうれん草のおひたしに絹豆腐の冷奴とひじきの煮物、それとみかんが1個付いているとてもボリュームと栄養が考えられたものだった。


「朱莉はナポリタンにしたのか?」

「うん……なんか気分的にね」


 朱莉が選んだのは、当店の名物と称された『昔ながらのナポリタン』だった。

 内容はシンプルでスパゲッティに輪切りされたソーセージとピーマンやタマネギが入れられおり、それを熱された鉄板の上へと盛り付け最後に粉チーズがかけられている昔の喫茶店で提供されているような見た目文字通り昔ながらのナポリタンそのものでとても美味しそうである。


 ケチャップがスーツへと飛び散らないようにと、ナプキンを首元に付けて食すらしい。

 朱莉も三角折りにしたナプキンを首真下へと装着しているのだが、あまり手を付けていなかった。


「どうしたんだ、あんまり食べていないようだけど……美味しくないのか?」

「そうです。どこか体調でもお悪いのではないですか?」


 俺とみやびさんはどこか変な態度をとっている朱莉のことを心配してしまう。


「うん? んんっ……美味しいし、体調もどこも悪くはないよ。ほら、もぐもぐ……」

「…………」

「…………」


 どこか無理をした笑いを作りながら朱莉は俺達の手前なのか、ナポリタンをフォークに絡ませ口へと運んでいた。

 だがその量はあまりにも極少量でしかなく、フォークに絡んだスパゲッティの麺を持ち上げた途端にフォークの隙間から次々と零れ落ちているほどである。


 けれども朱莉はそれすらにも気づいていないのか、口へと運んでいたのだ。

 そしてわざとらしくも食べているアピールをするため、自らの口で「もぐもぐ」と言っている。これはどこか可笑しいと俺もみやびさんも顔を突き合わせて、朱莉の昼食をただ黙って見守ることしか出来なかった。


 午後の政務も午前中と同じく、書類を整理するだけの内容だった。

 本来ならこの時期になると各地方への視察や諸外国へ赴いてその国のトップや大臣などと会合や会議をするべきなのだろうが、みやびさんは「今の朱莉さんにはまだ時期尚早」と国外へ出ることを留め、まずは国内の地盤を固めるのが先決なのだと語った。


 確かに諸外国との外交も非常に大事であるが、自分達の足元である国内の問題を解決しないままではそれも心許無い。

 俺と朱莉はただ黙ってその指示に従い、早急に解決すべき国内の事案を片付けていくことに専念する。


 それもいち第一秘書の首相への政治的干渉とも取れることなのだが、実際問題朱莉は何も言わなかった。

 たぶんみやびさんと同じ考えのもと、そう判断したに違いない。


 そもそも日本は諸外国から見ると短い就任期間で次々と頭が挿げ替えられる国であると、舐められていることもある。

 それに各省庁のトップである大臣を始めとする者達でさせも、酷い時には3ヶ月も持たないこともあるのでそう思われても仕方がなかった。


 それに現在の首相である朱莉でさえも、その就任期間はお試しとあって限定の1年と定められているため、またいつその頭が挿げ替えられるのかと同様に見られている可能性もある。

 また国のトップやそれに纏わる大臣他が交代してしまうと国の指針や考え方自体も変わってしまうので、軽んじられても已む無しなのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る