バケモノ生活は最高?〜バケモノに喰われて、なぜかバケモノになった。名前は"災厄"。なってしまったものはしかたない、カッコいい名前に変えて、好きなことをしよう。まずは、自分の身体を作ろう。〜

くぬ

(01)喰われた日

 ぶ厚い乱層雲に覆われた夜空。月は見えず、直に雨が降りそうな塩梅の深夜。自分が住むマンションの屋上で、動坂下晃は物思いに沈んでいた。


 湿った夜風が纏わり付き、極めて不快だったが、心臓をギュッと締め付けられ、常に緊張を強いられる、そんな息苦しい日常に比べれば何ほどのこともなかった。


 直接的にはクラスメートの卑劣で陰湿なイジメが晃の日常を不愉快にしているのは自明のことだったが、何故そんなことになったのか、そこに至る道筋が全く理解出来ないことが余計に晃を悩ませた。


『わけわからん。。。』


 現実の辛酸から目を背ける為に、こんな事態に至った道筋を探そうとしているだけかもしれなかったが、それすら、もう疲れたというのが偽らざる気持ちだった。


 最近は次の日のことを考えると、眠ることも出来なくなっている。そんなわけで、眠れない夜を持て余し、途方に暮れ、屋上に居るのだ。


**********


 その日、その時間。動坂下晃が住むマンションの程近く、というか、ほぼマンションの真下、晃が預かり知らぬ所で、名も無い狂人が、理論とも言えない馬鹿げた理屈で構築した怪しげな術式をおもむろに起動した。それが、何処でどう間違ったのか、本人が意図したことに近しい効果を発揮してしまった。


 神の悪戯か、悪魔の恩寵か。

 

 この出来事の顛末を考えると、とても諾とは言えない。しかし、術式の実行結果だけを見ると、名も無い狂人は天才と言って良かったのかもしれない。或いは、狂気によってブーストされた鬼才とでも言うべきだろうか。


 時間は午前2時を少し過ぎた頃、延喜法で言う丑三つ時。ビルとビルとの谷間で押し潰されたように建つ古びた平屋の日本家屋でのこと。


 窓ガラスはほぼ全てが割れ、漆喰も何箇所も剥がれ落ち、廃屋と言って差し支えない状態。とても人が住んでいるようには見えない。もちろん住んでいない。


 古びた入口の引き戸を入ると、驚いたことに広い土間があり、土間には井戸と台所があった。流石に三和土(赤土や砂利などに消石灰とにがりを混ぜて練り、塗って叩き固めた素材のこと。)ではなくコンクリートのようだが、井戸は手押しポンプで汲み上げることが出来るようになっている。枯れているかどうかは判らない。しかし、左右に高層マンションが建っているのだ、地下水路の流は絶たれている可能性は高いだろう。何れにしても、長く使われていないようだが、造りから見てもかなり古い。今時、土間や井戸のある家などそうそう無い。


 土間を上がると居間と言うには狭い、3畳程度の板敷きの部屋があり、その隣には六畳敷きの畳の部屋がある。敷居はあるが襖の類いは取り付けられていない。更に奥にも部屋が有るようだが、そちらには襖があり、遮られて中の詳細は判らない。


 六畳の部屋には、部屋一杯にブルーシートが敷かれ、そこに怪し気な魔法陣(のようなモノ)が描かれていた。明かりの無い真っ暗な部屋で、魔法陣(のようなモノ)が薄っすらと光を発しているのは蓄光塗料で描いているのだろうか。


 由緒正しい術理に基づくものか、最近参入したご新規さんの術理に基づくものかは兎も角、ブルーシートに描かれた魔法陣(のようなモノ)が効力を発揮すると考える人間の精神構造はどうなっているのか。趣が皆無なことは兎も角としても、起動時に問題が発生したり、効果や処理に悪い影響が起こりそうに思わないのだろうか。


 魔法陣(のようなモノ)の前には正対するように酷く汚れた服を着た、痩せた男が立っている。衣料品量販店のチノパンとパーカーのようだが、元の色がどんな色だったかわからない程汚れている。男からはすえたような酷い臭いがした。


 深く俯いているのでフードに隠れて顔は殆ど見えないが、一心不乱に何か呟いているのが判る。


 時々、「ふひっ」と妙な息が漏れる。


 男は入神とも法悦とも言われるトランス状態にあるようで、傍目にも没入の度合いが上がって行っているようだった。


「ふひっ」「ふひっ」「ふひっ」


 男の状態が、全身の痙攣を伴う激烈な状態に移行する。しかし、呟きは止まらない。


 たまに「ぎぎひぃぃ」と変な悲鳴が混じる。


 ガクガクと痙攣しながら呪文(?)を呟き続ける男のトランス状態が更に深まる。それにつれてブルーシートに描かれた魔法陣(のようなモノ)の全体が怪しい光を発し始めた。


 蓄光塗料による発光とは根本的に異なる禍々しい光。


「ふひっ」「ぎぎひぃぃ」「ふひっ」


 男の痙攣が尋常でない程に激しくなり、同期するように発光が脈打ち始める。


 そして、男が呪文(?)の最後の節を絞り出すように唱え終えた時、一瞬の静寂の後、光はハジけた。


 それは、轟音を伴い周辺に甚大な破壊をもたらした。魔法陣(のようなモノ)を中心に巨大な力が球形に放出されたことで、平屋の日本家屋は破裂したように跡形もなくバラバラになり、隣接する両方のビルにも、回復不能のダメージを与えた。地面にも深いクレータが出来た。


 当然その場にいた男もあっさり消し飛んた。辺りには、かつて男だった血と肉片、骨片が広範囲に散乱した。事ここに至っては、男の意図が奈辺に有ったのか判りようも無いが、意図した通りでは無かったかもしれない。


 しかし、狂った男はその狂った術理で、何処か、繋がってはいけない場所と、この場所を繋げてしまったようだった。


 それ自体は男の意思通りだったかもしれないが、何れにしても、男が引き起こした事象が、男を終わらせたのだった。


 辺りを副次的に破壊しつつ、誰にも分からない何処かと今この場所は繋がっていた。そして、この出来事の本質的な被害は今から始まるはずだった。


 魔法陣(のようなモノ)があった場所は隣接するビルを巻き込んてすり鉢状に抉れていたが、その中心点、魔法陣(のようなモノ)があった場所。その中空から黒い何かが染み出し、滴り落ちて来ていた。


 その黒い禍々しい何かはどんどん嵩を増して行ったが、水のように拡がり、辺りに流れ出すことは無く、小さな水滴が表面張力で球体になろうとするように球体となって、たゆっていた。まるでハスの葉の上の黒い水滴のように。


 それは、この世界が清浄であろうとする最後の抵抗のようでもあった。


 しかし、その抵抗も虚しく、程なく力尽きようとしていた。抵抗が尽きた時、この世界は禍々しい何かに蹂躪されることになる。その時は直ぐそこだった。


 黒い水滴がますますかさを増し、既に直径数mほどになったろうか。


 今、まさに決壊しようとしいる。


**********


 もちろん晃は自殺をしようと考えて屋上に上がった訳では無い。


 精根尽き果てる、そんな精神状態だった晃は、高い所で景色でも眺めて気を紛らわそう。夜風に当たれば気分も変わるかも知れない。その程度の気持ちで屋上に上がったのだ。


 しかし、結局は自殺を試みることと大差無いことになってしまった。


 ドゴン!!途轍もない轟音がしたと同時に、足元からの凄まじい衝撃で晃は上に弾かれた。


 訳がわからないまま、今度は落ち始め、屋上の床に叩き付けられるかと身構えたが、そんなことは無く、愕然と悟った。自分はマンションの屋上から放り出され落下しているのだと。


 不思議と恐怖は無かった。ただ『あ、死んだなこれ』と思うだけだった。それ位に心身共に疲れ果てていたのかと、ぼんやり思う。


 耳許でびゅうびゅうと走り抜けて行く風音を聞きながら、何が起こっているのかと、辺りを見廻した。


 風を切ってどんどん落下する晃を追うようにして、晃の住むマンションと隣のマンションが、倒れ掛かって来ていた。


 マンション同士が晃の頭上で激しく接触し、盛大な破砕音と共に建材が飛び散るのが見えた。


 マンション同士の接触は外部以上に内部にも凄まじい衝撃を与えた様だ。衝突面は双方のマンション側面だが、衝撃によって正面ベランダから家具やヒト、家電まで、色々なものが砕けたガラスを撒き散らしながら落下する。


 『ああ。地震か、大惨事だなコレは。』


 晃を追うようにベランダを突き破った色々、無数のマンションの破片、あらゆるモノが落下して来る。


 それは、十数年の人生で晃が一度も見たことが無い景色だったし、殆どの人が映画のCG以外で見ることの無いような絶望的な光景だった。


 しかし、30階建てのマンションは高さで言えば100mはあるとは言え、晃が墜ちるのはあっという間だ。最大時速約200kmという終端速度(人間の体を下へ引っ張ろうとする重力と、上向きの空気抵抗とが釣り合う速度)に達しそうな勢いで、実際には時速150km位で落ちれば、風の抵抗等を考えても数秒で地面に到達してしまう。なので、『大惨事だな』と言う以外のどんな感想も思い浮かべる間もなく晃は地面まで到着してしまった。


 4、5階からの落下でおおよそ50%の人が死亡する。10、11階の高さになれば、ほぼ100%助からない。晃は30階建てマンションの屋上から落ちたのだから、本来なら地面に叩き付けられグチャグチャになる筈だった。


 しかし、案に相違してドポンと間抜けな音をたてた晃は、深く水(?)没した。実際、水面の場合でも75m以上からの落下であれば、生還例がほぼないはずで、呑気なドポンなんて音になる筈も無いのであるが。


 水(?)の中に落下の勢いのまま沈んで行きながら、助かったのか?何故こんな所に池が?などと考えていた晃だったが、全身の痛みで「グボッ!グガガガガガガガッ!!!」と空気を吐き出しながらのたうち回り、全く助かって無いことに気付かされた。


 それは、水なんかでは無い最悪で悪質な何かだった。それは、晃の身体に纏わり付き、ガッチリ拘束した上で、身体と精神を咀嚼し始めた。そんな水などあるはずが無い。


『ギッ!?』


 凄まじい痛みの中で、手が、足が、血液が、内臓が、身体が、どんどん食い散らかされて行くのが判るのは痛みの苦痛以上に絶望する。


 痛みのあまり、水(?)の中であることを忘れ、大口を開けて悲鳴をあげようとするが、悲鳴など水中で出るはずもなく、水(?)が口腔から侵入し、肺にも胃にもどんどん流れ込み身体を満たして行くのが判る。


 そして、内側からも食い散らかされて行く。



『痛い!痛い!助けて!』


 声の無い悲鳴をあげながら、末梢が存在する感覚が消失していき、耐え難い痛みの塊にドンドン置き換わってゆく。身体の内側でも何かが食い千切られて痛みの塊に変わっていく。


 恐怖が、混乱が、絶望が、悲しみが、全ての精神が、舐め取られてゆく。どうしようも無かった。


『痛い!痛い!!誰か!』

『クソ!絶対、マンションから飛び降り自殺した方が痛く無かった。』

『痛い!!!痛い!!!誰か、誰か!助けて!』

『あっ!腹減った。』

『い、痛い。。。』

『い、たい。。。。。』

『。。ぃ』


 食事も喉を通らず夕食を抜いたことが心残りだったのか、後悔のような変な感想を持った所で、断末魔の苦鳴をあげることも出来ず、晃は食い尽くされた。


 動坂下晃は血の一滴、髪の毛一本残さずこの世から消え去った。







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