見上げれば降るかもしれない

四谷軒

前編 八戸藩主・南部信順(なんぶのぶゆき)

 どこまでも重い、重い曇天どんてん


「──今にも降るかもしれないのう、鶴姫」


 八戸藩はちのへはん藩主・南部信順なんぶのぶゆきは、亡き妻・鶴姫の仏壇に手を合わせながら、窓外の外をちらりと見ながら、言った。

 時に、明治元年。

 東北は――奥羽越列藩同盟という藩の同盟が形成された。これを地方政権、あるいは攻守同盟と見る向きもあり、その形態には諸説あるが、ただひとつだけ、言えることがある。


「薩長に、膝を屈するべからず」


 薩長──薩摩と長州、つまり王政復古の大号令による維新の新政府を牛耳る二藩に対し、奥羽越列藩同盟はあたかも反作用のように生じた。

 それは当初、会津藩、庄内藩へのゆるしを得るための、東北諸藩のだったというが、その赦しが得られないとなり、同盟は軍事的性格を帯びた。

 すなわち、薩長への抗戦である。


「困ったことになった」


 これは、その奥羽越列藩同盟の変容を知った、南部信順の発言である。

 南部信順。

 彼は、もともと八戸南部家の人間ではない。

 薩摩藩主・島津重豪しまづしげひでの息子である。



 島津重豪は開明的な藩主として知られるが、同時に性豪としても知られる。

 子沢山で、十四男十二女、子どもがおり、この物語の主人公、南部信順は十四男である。 


「八戸藩南部家へ婿養子に行け」


 と言われて行ったところで、南部家の姫がいた。

 名を鶴姫といい、天保九年の当時、二歳である。


「……何の冗談だい」


 当時二十六歳の信順は天を仰いだ。

 いくら大名家の結婚とはいえ、これは無い。

 それが信順の素直な感想だった。

 とはいえ、八戸藩南部家がお家断絶の危機を免れたい一心で、島津家にすがった気持ちもわかる。


「……仕方ない、か」


 さすがに子をなすことは無理なので、信順は側室を持つことを条件に、この縁組を受け入れた。


「まるで養女をもらったようだ。おれの方が、養子なのに」


 何とも奇妙な夫婦だったが、信順の順応性が高かったのか、鶴姫も二歳から顔を突き合わせている相手を嫌悪することもなく、「何となく夫婦」の二人となった。

 鶴姫が成長したのちも、二人の間に子はなかったが、特に縁を切るだのそういうこともなく、少なくとも鶴姫は江戸でのんびりとした日々を過ごしていた。

 しかし信順は。


「忙しい忙しい」


 いわゆるお由羅騒動という、島津家の跡目争いにおいて、信順は島津斉彬なりあきらを推していた。

 そして斉彬が島津家を継ぎ、これで落ち着くかと思いきや、黒船がやって来た。


「開国か、否か」


 島津どころか、世間が揺れた。

 その世間の揺れ動きの中、島津斉彬は死に、薩摩藩は茂久もちひさという藩主を擁したが、この茂久の父が久光といい、かつて兄の斉彬と藩主の座を争った男である。


「何ということだ」


 斉彬を推した信順としては気まずいことこの上ないが、この久光が幕府に改革を迫った結果、これにより、大名の嫡子や妻子について、江戸に留め置くことをやめ、帰国を認めることになった。


「八戸城へ」


 文久三年(1863年)、信順は鶴姫を伴って八戸へ帰国した。

 この場合、帰国というか、江戸に慣れ親しんだ二人としては、どちらかというと引っ越しである。

 ……それが、良くなかったのかもしれない。

 鶴姫は帰国後一年後、病に倒れた。

 元治元年(1864年)のことである。

 そして、鶴姫はおのれの命数が尽きることを悟り、信順に言った。


「申し訳ありません」


「気に病むことはない」


 鶴姫と信順の間に子どもはいない。

 信順が、親子ほどの間の男女で、無理して子を作ることはないと判断したからだ。

 だから側室を設けることを条件に結婚した。

 そしてその側室との間に、子が生まれている。

 鶴姫は少し考えてから、さらに言った。


「ならば、頼みがあります」


 鶴姫は鶴姫なりに、黒船以来のこの国の様子を案じていた。

 それにより、八戸藩はどうなってしまうのか――ということを。


「どうか、八戸藩を安んじて下さい」


「……藩というかたちを失うやもしれぬぞ」


 信順は薩摩藩との伝手を残していた。

 久光の支配下にあったが、斉彬の懐刀だった西郷吉之助との伝手を。

 それは忍んでいて、頻繁にとはいかなかったが、それでも世間の動きを、西郷の読みを、精確に信順に伝えていた。


「かまいません」


 鶴姫としてはこれから襲い来るであろう争乱から八戸の人々を保つことが願いである。

 八戸藩立藩以来の八戸南部家最後の一人としての願いである。


「わが君なら――できると思います」


 それが鶴姫の最期の言葉だった。



「……言うてくれる」


 信順は仏壇に手を合わせながら苦笑した。

 これこそ、南部鶴姫最大のではないか――と思う。

 信順が鶴姫と婚姻したのは、ある種の運命というか偶然ではあるが。

 鶴姫は信順に八戸を――後事を託せると、その生活の中で見定めたのだ。


「ならそれに応えるのが、夫の務めなりけり、と」


 信順はおどけた。

 お微行しのびで二人で歌舞伎や寄席よせに行ったことを、ふと思い出したからである。

 

「……さて」


 信順は仏壇から離れ、横目に曇天を眺めつつ、廊下を歩き、城主の間に至った。


「大儀」


 すでに城主の間には家臣一同、勢ぞろいしていた。

 その中からひとり、家老がすっと前へ進み出る。


「……殿、奥羽越列藩同盟はもはや、わが藩を敵視しておりまする」


 この家老は信順に命じられて奥羽越列藩同盟の会盟の場に立ち会っている。

 それは信順自身がその場に立ち会うと、薩摩とつながりのある信順を斬れという声が上がるかもしれないからだ。


「そうなれば、八戸も奥羽も破滅よ」


 信順に何かあったら、薩摩は戦わざるを得なくなる。

 仮にも藩主の一族に連なる者を斬られては、薩摩はゆっさじゃゆっさじゃと、言わざるを得なくなる。


「……そうなれば、融和だの恭順だの、みんな消える」


 信順は飽くまでも冷静だった。

 八戸藩を助けてやるといわれれば、くびねられても構わないが、その結果として薩摩藩の「報復」が生じることを恐れていた。

 そのため、奥羽越列藩同盟が八戸藩を敵視しようとも、それをのらりくらりとかわし、極力、軍事介入を招かないように努めた。


「まるで、この空のように……見上げれば降るかもしれない、そんな状況だ」


 だが何とかしのがねばならない。

 八戸藩が生き残るためには、奥羽越列藩同盟に敵視されつづけるのは良くないし、かといって、すり寄り過ぎるのも、良くない。


「いざというときは、薩摩とのを取ることができる。そう思わせておけ。このまま奥羽越列藩同盟が勝つにせよ、負けるにせよ、そう思わせておくに、くはなし」


 信順の読みは、やがての薩長の勝利である。

 しかし、その「やがて」が訪れるまでに、奥羽越列藩同盟が八戸藩を犠牲の羊にするとしたら、どうか。


「……久保田藩と連絡を取れ」


 久保田藩。

 佐竹という家が藩主を務め、のちに改名して、秋田藩と名を変え、その領地はいずれ秋田県となる藩である。

 そしてその久保田藩は――東北の中でも唯一と言ってよいほどの勤王派で、奥羽越列藩同盟を抜け、新政府側に味方していた。

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