まいかルート 3-7

 なみこさんと二手に分かれて広島駅周辺でまいかさんを探していると、不意にスマホが鳴った。

 相手がなみこさんだと確認してから電話に出ると、見つかりましたと真っ先に報告してくれた。


「まいかさん、見つかったんですか?」

「おかげさまで。つい先ほど知らない番号から電話があったんですけど、その番号からまいか本人がいることを確認できたんです。どこかの親切な人が携帯貸してくれたみたいですね」

「それで、まいかさんはどこに?」

「私が探していた方向とは反対方向のハンバーガー屋がある通りです。今向かってるので健志さんも来てください」

「わかりました」


 俺が了解を返すと電話が切れた。

 今いる俺の場所はなみこさんが探していた位置よりもさらに離れているから、少し急いだ方がいいかもしれない。

 年甲斐もなく急ぎ足でなみこさんから伝え聞いた場所へ向かった。

 春浜に長閑さに慣れて性急な気持ちとは無縁だったせいか、急ぎ足でさえも早さを感じながら、ようやくまいかさんが待っている通りまで着いた。

 通り沿いになみこさんの背中が見えると、自然と安堵を覚えて歩幅が緩む。


「先に着いてましたか、なみこさん」


 背後からゆっくり近づきながら声を掛けた時、視界の先でなみこさんの腕が上がるのが見えた。


 えっ、うそ?


 なみこさんが起こそうとしている行為が頭に過り、慌てて歩みを速める。

 だが当然間に合うはずもなく、肌が弾かれる鋭い音が聞こえ、なみこさんは腕を振り切っていた。


「なみこさん!」


 数舜遅れてなみこさんの背後まで来た俺は、衝撃に打ちのめされた気持ちを無理やり震わせて叫んだ。


「健志さん」


 俺の声を聞いたなみこさんが振り向き、彼女の背中が隠れて見えなかったまいかさんの頬を涙目で押さえる姿を目の当たりにした。

 まいかさんの奥に二人の男女が唖然として立っているが、男女は気にせず俺はなみこさんに詰め寄る。


「なみこさん、何やってるんですか。そこまでしなくても……」

「ごめんなさいね、健志さん」


 宥めも含めて話しかけるも、なみこさんにしては珍しく露骨に胸を痛めたような表情で謝られた。

 沈痛そのものなみこさんの顔に俺も口が鈍重になる。


「言うこと聞かない子にはお灸を据えないといけません。人様に迷惑かけないように私が気を遣ってるのに、私の言うことを聞かずに、挙句にこんな遠い場所で知らない人にまで迷惑かけて、私がどれだけ気を揉んだか健志さんならわかってくれると思います」

「お母さん……」


 恐々とした声をまいかさんが漏らした。

 なみこさんと目が合うと肩身を縮めて俯く。


「ごめんなさい」

「お母さんよりも先にお礼を言う相手がいるでしょう?」


 厳しい声色で告げると、男女の方へ視線を送った。

 なみこさんの視線を追って男女を見遣ると、何故か強い見覚えを感じた。 

 女性の方も俺と目が合うなり、驚いたように口を開けた。


「け、健志くん?」


 女性の声を聞いて俺は確信した。

 俺の記憶よりもいささか大人びた印象だが、目鼻立ちやこの声は間違いない。

 昔付き合っていた彼女の美優だ。


「美優?」


 念のために本人へ尋ねると、驚きが抜けきらない顔のまま頷いた。

 美優の隣に立つ颯爽としたスーツの男性が、俺と美優を不思議そうな目で走らせる。


「二人は知り合いなのかい?」

「あっ、説明するね」


 男性の問いかけに美優が反応して、微苦笑交じりに俺へ手を向ける。


「この男の人、高校生の頃に私が付き合ってた元恋人。ええと……」


 美優は簡単に紹介して、俺へ目配せした。

 詳しいことは自分から、という意味合いだろう。

 説明を引き継いでスーツの男性へ対して自己紹介する。


「小園健志です。以前に美優、さんとお付き合いしていました。初めまして、でいいでしょうか?」


 どういう挨拶が正しいのか判断つかず、半端な疑問形になってしまう。

 スーツの男性は俺の自己紹介を聞き終えてから、印象通りの嫌味のない笑顔で口を開く。


「初めまして。自分は今枝航紀と言います。一応名刺お渡ししますね」


 そう言うと、慣れた所作でスーツの胸ポケットから名刺ケースを出して、名刺を差し出してくれた。

 受け取りつつ名刺を流し読む。


 株式会社NARUMIYA HOTEL リゾートホテル開発部副部長 今枝航紀 


 俺じゃ入社できないような有名企業の、それも副部長の肩書を持っている。

 名刺から今枝さんへ目を戻すと、今枝さんは少し愉快そうな顔色になっていた。


「広島で妻の昔の知り合いに会うなんて、こんな偶然あるものなんですね」

「妻、ああ、そういうこと」


 ある程度の予想はしていたが、この今枝さんが東京にいた時に噂で聞いた美優の結婚相手のようだ。確かに俺より背も高いし、爽やかなハンサムだし、大企業勤めだ。

 美優は良い相手と巡り合えたんだな――。

 ――――――

 ――――

 ――もう俺の知る美優はいないんだな。

 美優の結婚相手を前にして、脳内にこびりついた美優との鮮明な記憶が一瞬にして古びた写真のようにセピア色に変色したような気がした。

 そうだよな。別れて何年も経つもんな。

 いつまでも引き摺っている俺の方がおかしいよな。普通なら新しい相手と新しい関係を築いているよな。

 だが突如にしては湧いたこの感傷を、美優に見抜かれるのは避けたかった。

 無関心を装うために今枝さんへの質問へ意識を割く。


「この会社、名前聞いたことありますよ。広島にあるんですか?」

「いや、本社は東京ですよ。広島には支部があって、そこへ出張に来たんです」

「出張ですか。それはご苦労様です」


 こんな漫画のモブキャラのような言葉しか出てこない。

 俺は前に進んでないんだ。

 眼前に佇む美優と今枝さんが急に目を覆いたくなるほどに眩しく感じてしまった。


「健志さん」


 張りのある声に呼ばれて、なみこさんの方を向いた。

 なみこさんは今枝さんと美優に目を送ってから俺を見る。


「健志さんのお知り合いですか?」

「え、ああ、まあ」


 なみこさんには先ほどの会話が聞こえているはずだが、自分から元恋人だと説明する心の余裕はなかった。

 そうですか、となみこさんは返事をしてから改まった表情と姿勢で今枝夫婦に向き直る。


「まいかに親切にしていただき、ありがとうございました」


 感謝を伝えて深々と頭を下げる。

 俺も謝意を伝えるべきだよな。

 美優と別れてから前に進めていない惨めさを一旦忘れて、今枝夫婦に向かって感謝の意を行動で示した。

 大仰過ぎたのか、今枝夫婦は戸惑ったように苦笑する。


「そんな感謝されるようなことは。娘さんが困っていらっしゃったので、声を掛けただけで」

「そうですよ。私たちはそんな……」


 潮時と見たか、なみこさんが頭を上げる。

 なみこさんに倣い俺とも姿勢を戻した。


「何かお礼が出来ればいいんですが、私でお役に立てることがあれば言ってください」


 なみこさんは礼を返そうとしたが、今枝夫婦は顔の前で手を振って遠慮した。

 残念そうな顔をしながら、茫然と立ち竦んでいるまいかさんに振り向く。


「まいか、帰りましょう」

「わ、わかりました」


 なみこさんに叱られたショックが拭いきれないのか、細々とした返事をした。

 次になみこさんは俺に顔を向ける。


「健志さん。帰りましょう」

「そうですね」


 俺が首肯すると、なみこさんはまいかさんの手を取って駅の方へ歩き出してしまった。

 去り際に今枝夫婦へもう一度頭を下げてから、まいかさんを連れて行ったなみこさんを追った。

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