まいかルート 3-3
盆休みに差し掛かった初日、凛那が予約を入れてくれた祖母との面会日だった。
暑苦しい布団から出て部屋の障子を開けると、朝の九時だというのに縁側から差し込む陽光が火を当てられたように熱く、すぐさま障子を半ばまで閉めてから朝のシャワーを浴びに部屋を出た。
脱衣所へ向かう途中に台所の前を通ると、中から食卓で何か動いている居候の女を見つけた。
気になって覗くなり居候と目が合う。手元に目を移すと市販のスチロールパックの納豆が置いてある。
「何してんだ?」
「見てわからない。これから納豆を食べるの」
納豆は食べ物だからそれはそうだろう。
『なっとう』して脱衣所に向かおうとすると、居候の声が追ってきた。
「あんたの分も用意しとくから。よかったら食べて」
どういう風の吹き回しか、俺に朝食を用意してくれているらしい。
市販の納豆とおそらく白米だろうが、そもそも朝食を用意してくれたことが意外で、文句は一つも出ない。
シャワーの後に、と伝えて脱衣所へ向かった。
シャワーを浴びて着替えてから台所に顔を出すと、すでに居候の女は自分の食器を片してシンクの上で手の水を切っていた。
俺に視線をくれてから食卓の上を指差す。
「そんなものしかないけど、我慢して」
彼女のいうそんなものとは、案の定納豆と白いご飯だ。
あまりにも想像通りで妙に腑に落ちた。
自分の食器を片した居候は、食卓の就いた俺の横を通り過ぎながらシンクの横の食器洗い器を指で示す。
「食べ終わったら軽く洗って、そこに伏せておいて」
「わかった」
「じゃあ、あたしは出掛ける支度してくるから」
「その前に一つだけ聞いていいか?」
朝食に手を付ける前に、珍しいこの親切の真意を知りたかった。
呼び止められて不思議そうにする居候に尋ねる。
「どうして、朝食を用意してくれたんだ?」
「ついでだし、機嫌がいいから」
「ついでなのは構わないけど、なんで機嫌いいんだよ?」
質問を重ねると億劫そうね目になる。
「そりゃそうでしょ。しのばあちゃんと会いに行くのよ?」
「ああ、そうだな」
彼女の返答に何の疑問も覚えず頷いた。
春浜に来てから三年以上もの間祖母と一緒に暮らした居候からすれば、祖母は家族に近しい、それ以上の大切な存在だ。
それに祖母がいつまで祖母らしくいられるかわからない現状、ひと時でも祖母と会えるのが心から嬉しいのだろう。
「そういうことだから、食べた後の片づけちゃんとしてね」
話を続ける気はないらしく、そう言い残して部屋の集まる方向へ歩いていった。
居候が去った後、食卓の上の朝食に向き直った。
豪華ではないが、物凄く健康的な朝食だ。
何の識見もないが評価をつけてから、納豆のパックを開いた。
納豆の上に被さるフィルムを手が粘らないように剥がした時、会社の連絡に備えて持ち歩いていたスマホが鳴った。
粘りを気を付けながらフィルムをパックの蓋裏に貼ってから、鳴動するスマホを取り出し電話の相手を確かめた。
会社からの電話だと思ったが、意外なことになみこさんの番号が画面に出ていた。
なみこさんからの要件など頭に浮かばず、慎重に通話を繋げた。
「健志さんっ、まいか見てませんか?」
耳にスマホを当てるなり、なみこさんの切羽詰まった声が鼓膜を刺した。
は?
なみこさんの唐突な言葉に頭が真っ白になった。
焦るなみこさんは初めてで、どうして俺に電話してきたんだろう。
「なみこさん、一体……」
「健志さんも何も知りませんか?」
事情を訊こうと口を開いたが、なみこさんの声に被せられた。
俺が何を知っていると思ったのだろうか?
「まいかさんがどうかしたんですか?」
「……私に何も言わずにどこか出掛けちゃったの」
努めて動揺を抑えた声音で答えてくれた。
まいかさんが一人で出かけること自体に問題はない。だが、なみこさんの言葉から推測するに普段は行き先を必ず告げていたことになる。
それが今回に限っては行き先を告げなかった。まいかさん側に母親に行き先を教えられない事情があったのかもしれない。
俺が思考を巡らしている間にも、なみこさんにしては稀な焦った口調で説明してくれる。
「もしかしたら健志さんなら何か知ってると思って電話したんだけど……」
「ごめんなさい、自分は何も知りません」
「そうですよね。すみません、朝からこんな電話してしまって」
なみこさんの方から電話を切る気配がして、俺は思わず待ってくださいと止めていた。
こちらの声を訊く間を作ってくれるなみこさんに、胸に中に生じた不安のままに尋ねる。
「なみこさんに行き先を告げずに出掛けるのは初めてなんですか?」
「初めてですよ。だから焦ってるんですよ健志さん」
なみこさんと話しながら、一つの可能性が頭に浮かんできた。
行き先を知ったら反対されるから告げなかったのでは?
いくらなみこさんが寛容とはいえ、まいかさんが急に海外に行きたいと言い出したら翻意させるだろう。
それがわかっていたから、まいかさんが何も言わずに出掛けたのかもしれない。
「なみこさん、まいかさんの行き先に一つも心当たりはありませんか?」
行き先を知るヒントがあるかもしれないとなみこさんに訊いてみる。
詰まるような息遣いが聞こえてから、なみこさんが答える。
「実は、まいかのスマホの位置情報を確認できるようにしているんです。けど位置情報があり得ない場所を指しているんです」
「どこですか?」
「しまなみ海道上なんです。なんでこんな場所を指しているんでしょうかね」
現実を受け入れたくないような声で微苦笑した。
しまなみ海道、か。
広島旅行へ出掛けた際に愛媛の今治から広島へ渡るバスでしまなみ海道を通った。
まさか、という思いでなみこさんに話す。
「もしかして、まいかさんは広島へ行ったんじゃ」
「まいかがですか。そんな、あの子が、一人で行けるわけ……」
なみこさんは否定するが、段々と口調に空虚さが増していった。
位置情報は確実にしまなみ海道で途絶え、その事実がなみこさんの目に入っているのだろう。
「なみこさん?」
「……健志さん」
「はい?」
「……確かめに行ってきます」
「待ってなみこさん。俺……」
事実を受け入れたのか、なみこさんの方から通話が切られた。
――――こんなところで納豆食べてる場合じゃない。
せっかく用意してくれた凛那には悪いと思ったが、箸を投げるように置いて、着替えるためにすぐに自室へと急いだ。
玄関へ行く途中で会った居候に面会に付き合えないことを告げて、詮索には耳を貸さず駅へと向かった。
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