凛那ルート 7-15

 凛那が春浜から離れる日が近づくのに寂しさを感じながらも、年末年始を凛那と二人で存分に楽しんだ。

 クリスマス、大晦日、初詣、数えきれないほどの凛那の笑顔と出会い、思い切り幸せを堪能させてもらった。

 だが幸せの日々も過ぎ去り、ついに別れの時が来てしまう。


「凛那。忘れ物ないか?」


 冬ざれた無人駅のベンチに並んで腰かけながら、俺は会話欲しさに大学進学を機に上京する娘に対する父親みたいな台詞で話しかけた。

 子どもじゃないんだから、と凛那はキャリーケースを傍に置き両手の中でカイロを弄びながら冷静に突っ込んでくれる。


「持っていくものは全部揃えたわよ。思い残すこともないし、後悔もない」

「こういう時、どんな話をすればいいんだろうな」


 正直に話題に困っていることを告げた。

 凛那は思わずという感じで口角を緩める笑みを見せる。


「別に今生の別れってわけじゃないんだから、しんみりする必要はないわよ。あたしは出稼ぎに行くようなものよ……そうよ、出稼ぎよ。出稼ぎ」


 合致する言葉を見つけたように繰り返して強調する。

 確かに女優として本格的に復帰すれば、忙しいほどの毎日で収入も相当なものだろう。

 だけどそれは奈能りんという凛々しい女優の姿でしかなく、俺が好きな凛那は春浜から、手の届く傍からいなくなる。


「盆休みには戻ってくるんだよな?」


 その事実に縋るように俺は尋ねた。

 こちらの声を聞いた凛那の顔に慰めるような微苦笑が浮かぶ。


「あたしがいないと寂しい?」

「嘘はつかない。もちろん寂しさを感じてる」

「寂しがってくれるだけあたしは恵まれてるわね」


 俺の言に満足したのか、微苦笑に喜色を混じらせた。

 凛那の前だと見栄を張ろうという気持ちがあまり湧かない。それだけ自身、凛那に心を許している証左かもしれない。

 別れの時がすぐそこまで迫っているというのに、駅前道路の並木が枯葉を揺らす音が聞こえるほどに会話の糸口を手元から失ってしまった。

その時、不意にレールの遠方に列車の頭が見えた。

別れを迎えに来た列車が近づく中、凛那がおもむろにベンチから腰を上げる。


「来ちゃったわね」

「ああ」


 冬風に黒髪がたなびき、髪を細い手で押さえる凛那の姿を目に焼き付けながら、ただ相槌を返す。


「ほんとうに、あなたの方に思い残したことはないの?」

「……最後にいいか?」

「なに?」


 ホームへ列車が滑り込んでくると風が止み、髪の毛を抑えていた凛那の手が降りた。


「高い物じゃないんだけどさ」


 前置きしながら俺はコートの内ポケットから細長い黒いアクセサリーボックスを取り出した。

 驚きで目を見開く凛那へ、恥ずかしさを堪えながらアクセサリーボックスを開いた。中には仕事に行くふりをして隣町へ出掛けた買ったペンダントが収めてある。 


「……貰っていいの?」

「貰ってほしくて今こうしてるんだろ」

「それもそうね」


 どういう顔をしていいのかわからないような表情で凛那はペンダントを指先で摘み上げた。

 ペンダントトップをうっとりと眺めて微笑む。凛那の微笑みの背景にホームへ入ってきた列車が写る。


「雪の結晶を模ってるのね、これ」

「他にもあったけど、これが綺麗だと思ったからこれにした」

「自分の感性で選んでくれたのね。むしろその方が嬉しいわ」


 そう言いながらペンダントを俺へ返すように差し出す。


「つけて」


 列車の出入り口が開いた。

 降車する客はおらず、開いた出入り口から車内の僅かに温暖な空気だけが俺と凛那の横を抜けていく。

 留め具をそっと外し、目を閉じて首に掛かるのを待つ凛那の首へ腕を回す。

 つけ終えてペンダントの感触が指から離れると、凛那は閉じていた瞼を上目遣いに開いて照れたように笑った。


「大切にしたい物がまた一つ増えちゃった」

「……そう、だな」


 つけ終えた後の言葉など何も用意していなかったし、咄嗟に思いつかなかった。

 黙ってしまった俺を見て、凛那はおかしそうに肩を揺らす。


「ふふっ、アドリブが下手なのね。気の利いた一言が出てこないなんて」

「悪い。こういう時どんな言葉が正解なんだ?」


 恥を承知で尋ねてみたが、無理しなくていいのよと凛那は慰める。


「気の利いた一言なんてあんたに求めてないもの。こんなプレゼントを用意してくれただけでも凄く嬉しい」


 そう言って鎖骨の間を垂れるペンダントを指先で持って眺めた。

 どんなことを考えているのか幸せそうな笑みで口元が緩む。


「嘘じゃないのよ。ほんとうに嬉しいのよ」

「最初と思うと笑うことが増えたな」


 ふと気が付いて凛那に伝えた。

 自覚はあるらしく綻んだ口元のまま凛那が語を継ぐ。


「素直になったのよ。だってあんたの前で演技をする必要はもうないもの」

「そりゃよかった。心を許してくれている証拠だな」

「身も心も許してるわよ?」


 意味深長に悪戯っぽささえ含んだ瞳で俺を見つめる。

 やめろ、思い出させるな。

 あの時の満ち満ちた幸福感と事後の重すぎる責任感のせめぎ合いで、感情の整理がつかなくなる。

 俺の葛藤を知らぬ顔で凛那はキャリーケースを転がして車両に乗り込んだ。


「着いたら連絡するわね」

「……、まあ、いろいろと気を付けろよ。いってらっしゃい」

「いってきます」


 二人の寂しさを感じたくないという思いが通じ合ったのか、互いに軽い口調で別れを告げて、列車のドアが閉まるまで笑い合った。

 ドアが完全に閉まると、凛那は心残りなど一切ないかのように一瞥もくれずに空いた車両内を寛げる席を探して歩き始める。


 いつまでも見ていると、未練がましく思われるかもしれない。


 寂しさは家に帰ってから取り出すことにして、コートの外ポケットに手を突っ込みもう片方の手で凛那へ軽く手を振ってから駅の外へつま先を進めた。


 本当は車両内を歩く凛那の顔が寂しさを我慢しているのだと気が付いたが、気が付いていないフリをしておこう。

 きっと東京へ着くころには奈能りんになりきっていることだろう。

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