学園ラブコメが終わった後に始まるラブコメ

青キング(Aoking)

プロローグ

 夏の桜の木には青々とした葉がついている。そんな季節だった。

 校舎へと向かう毎朝決まって隣に並んで歩いてくれる女子生徒がいる。

 太陽のように明るい笑顔に、溌溂とした大きな瞳、肩口で切り揃えられたショートカットの髪を弾ませてその女子生徒は近寄ってくる。


「健志くん。おはよう」

「おはよう。美優」


 俺と美優は互いに挨拶を交わした。

 美優は俺の彼女だ。別の言い方をすればガールフレンド、恋人、とにかくそういう男女としての間柄だ。

 美優と初めて会ったのは一年前の春、高校一年生の時の入学式だ。

 たまたま席が隣だった、という捻りのないドラマのような出会いから仲良くなり、紆余曲折、多事多難があった末に恋人として結ばれた。

 美優との出会いを遡ろうとしていると美優が俺の大好きな笑顔で笑い掛けてくる。


「健志くん」


 俺の名前は小園健志だ。美優は付き合い始めてから俺の事を健志くんと呼ぶ。名前呼びとはいかにも恋人らしいではないだろうか。

 俺と美優は校門から昇降口へ歩きながら会話に興じる。


「なに、美優?」

「今度のデート、どこに行くの?」


 デートの話か。

 次のデートは土曜日だったはずだ。その日に丁度公開される映画がある。


「映画観に行こうよ。前評判の良い映画があるんだ」


 自分の好みで提案すると、美優はあれという顔で見返してくる。


「映画? この前も映画観なかったっけ?」

「観たけど、あれが俺の家でレンタルしたものを観ただけだよ。映画館で新作を観るのとは訳が違う」


 気軽に互いの家に出入りする仲である。

 初体験は美優の家で他の家族がいない時に致した。

 思ったより美優の反応が芳しくなく俺は心配になる。


「もしかして嫌?」


 しかし俺の杞憂だったのか、美優はすぐに笑顔を浮かべた。


「映画でもいいかな。健志くんとのデート楽しいし、健志くんが選ぶ映画面白いものばかりだから」

「なら良かった。じゃあ土曜日に映画を観に行こう」


 にわかに安心してデートに誘う。

 いいよー、と美優は親指と人差し指でマルを作った。

 可愛い彼女と過ごす高校生活。

 この幸せを守るためにも美優を大切にしようと、と改めて思った。


「そういえば健志くん」


 美優が何かを思い出したように話を振ってくる。

 目顔で先を促すと、不安顔で口を開く。


「その映画って、またあの人出てるの?」

「出てるよ。佐野凛那先輩でしょ」


 佐野凛那先輩は僕と美優の一学年先輩にあたる、校内問わず有名な女子生徒だ。

 先輩が有名な理由は容姿端麗であるばかりでなく、高校生ながら女優として第一線で活躍しているからだ。

 テレビで見ない日はないぐらいで、映画は今年だけですでに七本は出演している。

 そんな人が校内外で有名にならないわけがなく、密かに好意を持っている男子も数知れないだろう。

 だが俺にとってはどうでもいい生徒だ。

 だって可愛い美優という彼女がいるのに、他の女に気移りするなんてあってはならないことだろう。

 美優も校内では一二を争うぐらいの美少女だから。

 それでも美優は思うところがあるのか陰のある表情だ。


「あの人。綺麗でスタイルも良くて女優としての才能もあるなんて、いろんなものを持ち過ぎだよ」


 確かに佐野先輩は美優の言う通りの完璧に近い人間かもしれない。

 でも僕から見た愛おしさでは美優の方が断然に上回っている。

 数学が苦手で模試が迫るたびに僕に教えを乞うところとか、料理の腕はまだまだ上達過程であるところとか、完璧でなくても愛おしいのだ。


「美優は別に負けてないよ。俺は美優の方が可愛いと思うし、美優の方が好きだから」


 こういう恥ずかしい台詞も美優と一緒にいるうちに自然と口から出るようになった。

 美優は俺を白けた目で見ず、むしろ嬉しそうに表情を緩めた。


「いやもう健志くん。おだてたって何も出ないよ」


 美優が喜んでくれるなら俺はいつでも美優の味方でいるよ。

 そう胸の中で呟きながら僕が笑い返すと、美優の瞳が熱っぽく潤む。


「健志くんはやっぱり美優のこと好き?」

「好きだよ。いつも言ってる」


 このやり取りは俺と美優の間では鉄板だ。

 美優は愛嬌のあふれた顔を綻ばせる。


「好きって言ってもらえて嬉しい」

「喜んでもらえて俺も嬉しいよ」

「へへへ。美優は今とても機嫌が良いです」


 そう言うとスクールバッグを開けて中を見せた。 

 中から色の違うハンカチに包まれた二つの弁当箱が覗く。


「機嫌が良いので今日もお弁当を作ってきました」

「へえ。すごいね」

「お昼、一緒に食べよーね」

「うん。楽しみにしてるよ」


 美優は最近二人分の弁当を作ってきては毎朝俺に作ってきたことを報告してくれる。

 なので、このやり取りそのものは定番と化している。


「美優は幸せだね」


 スクールバッグを閉じながら美優が言った。


「俺も幸せだよ」


 呼応するように返し、二人でのろけて笑い合った。

 本当に美優と過ごす日々は幸せだ。

 この幸せが一生続けばいい、と思ってしまうのは欲張りだろうか。


 欲張りだよ。

 頭の中から聞こえたような自分の声に応答された。

 うたた寝していたらしく断続的な揺れの中で重い瞼を開ける。

 列車の車窓から外の風景が覗けた。所々に高架の架かった太い河川が列車の進行方法と平行に流れている。

 河川の流れる先を望むと住宅街を分かつようにして大海原へと繋がっていた。

 海か。

 美優と海に行ったことなかったな。

 行きたいとせがまれながらも、中々都合がつけられずに連れていってやれなかった。

 夢で見たせいか美優のことを思い出して陰鬱な気分になる。

 二週間ほど前、美優が結婚した。相手は俺の知らない男性だ。

 噂で聞くところによると、美優の結婚相手は大手企業の幹部候補で年収も高い高身長のイケメンとのことだ。

 俺なんかとは一線画すぐらいに理想的な男性だ。

 その時、車両が若干傾いた。路線がカーブに入ったらしい。

 美優とは高校二年生の夏から三年間ほど付き合った後に別れた。

 容姿や経済力の問題ももちろんあるだろうが、美優に愛想を尽かされたのは俺の至らなさが原因だろう。

 いろんな要因が重なって美優は俺から離れた――そして俺よりも魅力的な男性と出会い結婚した――。

 列車はカーブを抜けたのか車体の傾きがもとに戻る。

 美優のことを思い出すのはやめよう。陰鬱な気分が増大するだけだ。

 現実に意識を戻すことにして車窓から見える風景の中に目的地を探した。

 目的地は海沿いの通りにある祖母が経営している民宿だ。

 正確には経営していた、だか。

 昨冬一二月頃、祖母から東京に住む母親のもとへ電話があった。

 民宿の権利を引き継いでもらえる親戚を探している、という。

 祖母は今年で八二歳になる高齢だ。

 昨年の夏の営業で、この身体では来年の繁忙期を乗り越えるのは難しいと自己判断したらしい。

 自分が生きているうちに信頼できる知り合いに民宿の権利を譲りたい、そういう考えのもと独身で身の軽い俺に白羽の矢が立った。

 俺自身も都会の独身生活に倦んでいたタイミングで、親との相談の結果俺が権利を引き継ぐことに決まった。

 しかし権利を引き継いだからには民宿の諸々の責任も負わなければならず、都会を離れての移住は避けられなかった。

 美優を思い出す代わりにここまで来た経緯を振り返っていると、電車のアナウンスが俺の降車する予定の駅名を告げた。

 漫然と見ていた窓外から視線を外し、大きめの肩掛けカバン一つだけの荷物を携えて座席から立ち上がった。

 乗客が少なくがらんとした車内を、ワンマン列車のため車両の最前まで移動する。

 車両が完全に止まると、切符受け取りのために窓口を開けた運転手兼車掌に切符を渡して駅に降りた。

 自分以外に降りる人はおらず、古びた駅舎を眺め始めたところで車両のドアが閉まった。

 見覚えのある所々の木目が繊維から割けている年季の入った木造の駅舎だ。

 降りる人もいなければ乗る人もおらず、さらには駅員もいない。まさに無人駅だ。

 東京の賑々しさとのギャップを感じながら潮風が微かに滞留した待合所を抜けて駅舎の出入り口へと歩く。

 誰にも合わないまま駅の外まで来てしまった。

 無人駅に侘しさを覚え始めると、ふいに小学生の頃の夏休みに一度だけ親と遊びに来た記憶が浮かび上がる。

 そういえば当時から無人駅だった気がする。

 十六年ぶりに来たから人がいないのではなく昔から無人駅なのだ。

 無人駅が記憶を呼び起こしたのか、以前遊びに来た時に見た町の風景が脳裏で蘇る。

 確か駅から民宿まではだいぶ歩くような?

駅を出て乗客を待っているタクシーを拾おうと手を挙げかけて、すぐに苦笑が漏れて手を下ろした。

 ここはタクシーが乗客目当てで止まっているような賑やかな場所ではないのだ。

「歩くか」

 気力を奮い起こすつもりで一人呟いた。

 幸い季節は初春。肌を焦がすような日照りはない。

 薄いコートを羽織っていれば程よい暖かさだ。

 一度だけ遊びに来た時の記憶と事前に調べてきた道路案内を頼りに、駅前から海へと落ちるように伸びる坂道へ足を踏み出す。

 駅舎を隔てて俺の乗って来た列車の動輪の動き出す音が、雑踏にかき消されることもなく後ろから耳に届いてきた。

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