#6

 ダグラスの亡骸を踏み跨いでベランダに抜けた俺は、彼の体液で汚れた手袋をベランダの外に放り投げて手摺りにもたれ掛かる。


 ──琳 榮榮。


 名前からして中国人のようだが、アリーシャの死とソイツはどんな関係性があると言うのだろう?


 手探りで闇夜を歩くような思考に浸る俺は、もつれた意図を誤魔化すみたいにスーツの胸ポケットに手を伸ばし、煙草の箱とライターを取り出す。


 箱の底をトンッと叩いて飛び出した1本を咥えつつライターの歯車を回すと、風に煽られた炎は右往左往と落ち着きなく逃げる。見兼ねた俺がそっとライターに手を添えて空気を遮ると、安定した業火で巻紙の先がジリリ……ッと赤く焦げてゆく。


 ふぅ……と白い煙を纏った溜息を長く吐いた俺は、徐に携帯を開いて悪友に発信した。


「もしもし?」

「……えらく早いな」

「心配ついでに待っててやったんだよ」


 コール音が鳴る前に応答したジャックの軽口を鼻で笑いながら「そりゃどうも」と返すと、高層マンション特有の一段と強い風が俺の首元を吹き抜ける。


「風の音、か?……アラン、今どこに居るんだ?」

「ダグラス・マクスウェルの部屋。ベランダで煙草を吸ってる」


 煙草越しに息を吸い込む俺の肺に満ちた煙が、砂時計を見つめる時のように穏やかな時間をゆったりともたらす。


「煙草……まだ話は終わってないのか?」


 怪訝そうな声色で窺ったジャックの声が鼓膜を心地よく揺らし、煙草の先に広がる灰を指で弾いて落とした。


「いいや、終わったさ。ただ、どう奴らにメッセージを残してやろうか考えてて……な。そうだ、いっそ魚みたいにはらわたのひとつを放り出してやったらどうだろう?」


 スピーカー越しに冗談半分で笑い掛けると、「うへぇ……」と彼の苦々しい答えから表情が頭に浮かんで小気味の良い俺は、指先から立ち昇る紫煙を眺める。


「……事はなんにせよ、殺害旅行した相手の部屋で煙草を吸えるぐらいの理性が残ってて良かったよ。なにか聞き出せたかい?」

「あぁ、アリーシャを事故死にした理由と、それに深く関わった人間の名前……だな」


 まだ頭の上で輝いている太陽を見上げた俺が燻らせた煙は、長く尾鰭を引いて空気に紛れて姿を消す。


「『琳 榮榮』という故人を調べて欲しい。今度はソイツが何らかの手掛かりになるだろうよ」

「聞いたことない名前だな。よし、分かった……でももし、これが見当外れだったらどうする?」

「外れたとしても絶対に逃さねぇ──意志があれば必ず方法はある、我が友よ」


 勢いの弱まった煙草を手摺りで捩じ伏せた俺は、吸い殻を蟻のように小さく見える街へ目掛けて投げ去った。

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