ネオンの瞬きは霧の中に

shinmi-kanna

第1話 霧の日に生まれた子

 昭和という時代は激動の時代であった。日本は昭和20年代に戦後の混乱期を過ぎ、30年代に入るとカラーテレビの普及、東京タワーの完成、東海道新幹線の開通、東京オリンピックの開催、と続き、40年代に入ると大阪万国博覧会の開催と、力強く経済成長の道を突き進んでいた。


 昭和50年、第二次ベビーブームはピークを迎え、186万人の出生があった。

この年 凛々子という一人の女児が誕生した。

 父の名は河村倫太郎、母は登美子という。

 倫太郎はかって、函館の大手造船工場で製造現場の技師として働いていた。

 ある日、函館を選挙地盤とする衆院議員の乙川が、同工場を視察に訪れた。

 乙川は「現場を見て政策に生かす」をモットーにしていて、今までにも炭鉱の坑内に入ったり、漁船に乗るなど、行動的な人であった。


 乙川は娘の房子を秘書にしていて、主にマスコミや来客の対応と、行事への代理出席などを担当させていた。

 この日、乙川と房子を案内したのが倫太郎と、同僚の木村であった。


 製造過程の大型船舶の中は巨大な迷路のようで、一度間違うと元の場所に戻るのは容易ではない。また照明がない部分もあり、倫太郎と木村は懐中電灯を持って、甲板から2層目、3層目と降りて行った。真っ暗になった3層目で乙川に「この先は危険ですので、引き返してもいいでしょうか」と尋ねると、「俺はもういいから上がるけど房子、お前は見たけりゃもっと行ってもいいぞ」と言い、乙川は木村と甲板に戻って行った。


 暗い船内に二人だけ残ったとき房子は「倫太郎さん、久しぶりね、最後に会ってからもう10年くらいになるわね」と言った。


 倫太郎と房子は、高校生時代恋人関係であった。高校卒業後倫太郎は室蘭工業大学に進み、船舶設計技師を目指した。房子は北海道教育大学函館校に進み、二人の関係はそこで途切れることとなった。


 大学卒業後、倫太郎は函館の造船工場に入社した。そこで妻となる登美子と知り合い、4年前に結婚した。一方房子は乙川の眼鏡にかなう男に恵まれず、独身を続けていた。歳は倫太郎29歳。房子28歳。


「私は乙川のゴルフクラブの家族会員になりましたので、今度ご一緒しませんか」と、房子に誘われて二人は函館ゴルフ俱楽部、湯の川ゴルフ場のあと、自然の流れで湯の川温泉のホテルへ行くこととなった。


 一度だけと思っても、そうは行かないのが男と女の関係。その後も何回かデートを重ねた。ある日、倫太郎は房子から妊娠を告げられた。

 乙川には政治家の秘書として、行動を共にする房子の体の変化はすぐに分かった。

 激怒した乙川は造船工場の社長に猛抗議した。政治家の仕返しほど始末に負えないものはない。造船工場は倫太郎を懲戒解雇とすることで、乙川のご機嫌を取ることとなった。


 仕事を失った倫太郎は函館以外の町で、技術を求める造船工場を探し続けた。

 だが倫太郎が求める大型船舶の工場はどこも、乙川の手が回っていた。

 そして辿り着いたのが、船舶とは無関係の苫小牧の製紙工場の機械室の管理であった。それから3年、製紙工場は操業を停止することとなった。


 再び造船工場がある町を探して釧路にやってきた。釧路には小型船舶を作る工場が3社あった。大型船舶は諦めて履歴書を持参したが、色良い返事は貰えず、取引きがある佐一村上商会という、漁業関係の商社を紹介された。佐一村上商会は東京船舶電気という会社の代理店で、工学系の社員を求めていた。会社を変わる度に収入は下がり続け、蓄えはとうに尽きていた。仕事の内容とか業績とかは二の次で、仕事さえできればどこでもよかった。

 そしてその年の冬、霧が立ち込める釧路の町で、凛々子が誕生した。























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