彼らの逃亡

 そんな大惨事が起きている最中さなか、浩市らは車を走らせていた。運転しているのは田山だ。助手席には、大きなスーツケースが置かれている。その中に、金が入っているらしい。

 浩市ら三人は、後部座席に並んで座っていた。理恵子と誠司の間に、浩市がいるという状態だ。車内は、妙に重苦しい空気が漂っている。




 朝方、車のエンジン音で目覚めた浩市。外を見れば、どこからか人が集まって来ていた。

 湖のすぐそばに車が停まっており、数人の人間がうろうろしている。湖の周辺に陣取り、水面を見ているのだ。中には、テントを張りキャンプの準備している者までいる。

 ついに刑事が捜査を開始したのかと思った。だが、よくよく見れば制服警官がいない。しかも、大型カメラなどの機材を設置している。

 見ているうちに、正体が判明した。ある意味では、警察よりも面倒な連中……マスコミである。いったい何をしに来たのか。

 唖然となっていると、いきなりドアを叩く音がした。ドアを開ければ、ヘラヘラ笑う若い男が立っている。言うまでもなく、知らない人間だ。

 用件を聞くと、相手はテレビ局の人間だと名乗った。今朝、光司湖に怪物が出たから取材をさせて欲しい。出来れば、店舗を番組に貸してくれ……などと言ってきたのだ。

 あまりの図々しさに呆れつつも、丁寧な口調てわ断った。しかし、相手に引く気配はない。愛想笑いを浮かべつつ、なおも食い下がってきた。しまいには、誠司が出ていき口汚く怒鳴り散らし、理恵子がスマホ片手に警察を呼ぶと脅した。そこまでして、ようやく引き上げたのだ。

 それからの浩市らの行動は早かった。マスコミ関係者の車が続々と到着したのを幸いとばかりに、騒ぎに紛れて家を出る。ヤクザたちの残した車に乗り込むと、すぐに湖を離れた。

 途中で田山を拾い、さらに大きなスーツケースを助手席に乗せた。そこからは、田山の運転で車を走らせている。


 これから光司湖にて何が起きるか、四人ともわかっていた。遅かれ早かれ、怪物が出てくる。奴は大勢の人間を見て逆上し、暴れ出すだろう。結果、何人もの人間が犠牲になる。確実に、全国区の大ニュースとなるはずだ。

 良識ある人間ならば、マスコミに怪物の危険性を話し、湖に近づかないよう警告していただろう。

 だが、彼らはそうしなかった。それどころか、怪物に事件を起こさせることにしたのだ。怪物が大勢の人間を虐殺し全国区のニュースになれば、自分たちのやったことを全てごまかせる。警察も、ひとつひとつの死体を調べたりはしないだろう。父と高田の死も、怪物の仕業に出来るはずだ。

 浩市たちは、全てを怪物に押し付け逃げることにしたのだ。

 



 車の中で、浩市はスマホを見ていた。

 詳しくは報道されていないが、あちこちの道路が通行止めになっている。この辺りの住民は、全て避難させられているらしい。既に百人近くの死者が出たと見られている……というニュースも目にした。

 やがて、沈黙に耐えられなくなった浩市が尋ねる。


「田山さん、大丈夫ですか? 運転、俺が変わりましょうか?」


「大丈夫だ。運転くらいは出来るよ。早くしねえと、ここら辺が全て通行止めになっちまう。そうなる前に逃げねえとな」


 軽い調子で答えた田山だったが、次の瞬間に表情が変わる。


「それにしても、あれは何なんだ? 前に見たのと違うだろ。湖には、あんなのもいたのか?」


 あれ、とは動画に映っていた怪物のことだろう。田山も、既にチェックしていたのだ。


「いや、あれは同じ奴です。あいつは、体が変わるんですよ」


「変わる? じゃあ、あれか? 幼虫から成虫になった、みたいなことか?」


「そうだと思います」


「厄介なことになったな。あいつのせいで、とんでもない騒ぎになっちまった。だが、おかげでいろんなことがごまかせる」


 その通りだった。

 百人以上の死者が出た……これは、日本の獣害史上でも最悪のものとなるだろう。かつて起きた大地震と同じくらいのニュースになるはずだ。

 浩市らが良識ある行動をしていれば、避けることが出来たかもしれない事件だった。


 


 そんなことを考えていた時だった。

 いきなり車が停まる。直後、田山が後ろを向いた。

 その右手には、拳銃が握られていた。銃口は、こちらに向けられている――


「ここまでだ。お前ら、死にたくなきゃ降りろ」


「ど、どういうことですか?」


 聞き返す浩市だったが、返ってきた言葉は冷たいものだった。


「聞こえなかったのか? お前ら三人、ここで降りるんだよ。死にたくなけりゃ、言う通りにしろ。いいか、お前らの動きより弾丸の方が速いんだ。バカなことは考えるな」


 言いながら、田山は拳銃をちらつかせる。それがモデルガンでないことは、既にわかっていた。

 直後、田山は誠司の方を向いた。


「誠司とか言ったな。まず、お前からだ。車から降りて、そこで立ってろ。いいか、お前がひとりで逃げたら、このふたりが死ぬ。しかもだ、お前らのやったことを警察にバラすぞ。バラされたくなきゃ、おとなしく待ってろ。そうしたら、命は助けてやる。警察にも黙っててやるよ」


 言われた誠司は、表情を歪めながらも車から降りる。

 次いで田山は、浩市に視線を向ける。


「次はお前だ。車から降りたら、弟の隣で立ってろ。逃げたらどうなるか、わかってるな?」


 そう言うと、田山は理恵子に銃口を向ける。こうなると、言われた通りにせざるを得なかった。でなければ、理恵子が撃たれる。田山は、人のひとりくらい平気で殺すだろう。

 浩市は、車を降りた。次いで、理恵子も車を降りる。

 続いて、田山も外に出てきた。拳銃を構え、指示を出す。


「全員しゃがむんだ。言う通りにすれば、命だけは助けてやる」


 言った後、左手をポケットに突っ込む。中から、何かを取り出し放り投げる。

 結束バンドだ。それも複数ある。


「浩市、そいつを女と弟の手首にかけろ」


 田山に言われ、浩市は顔を上げる。


「ちょっ、ちょっと待ってください! 俺たちはあなたに──」


 言い終えることは出来なかった。銃声が轟き、浩市は口を閉じる。

 銃声とほぼ同時に、浩市の足元から僅か十センチほどのあたりで土がえぐれていた。田山が発砲し、弾丸がそこに当たったのだ。

 またしても体験する銃の恐怖に、浩市は何も言えずに硬直する。かつて聞いた言葉が、脳裏に蘇っていた。


(俺は約束は守るし、義理は通す。だがな、こいつは違う。嘘は吐く、約束は守らねえ、裏切りは日常茶飯事だ)


 ヤクザの渡部は、田山のことをそう評していた。その言葉は正しかった。田山は、自分たちとの約束を破るつもりだ。分け前が惜しくなったのか。あるいは、身の安全のためか。

 その時、理恵子が口を開く。


「浩市、逆らわないで。拳銃持ってる相手に立ち向かうなんて、シャブ中でもなけりゃやらないことだよ。けどね田山さん、あんたどうせあたしらのこと殺す気でしょ?」


「なぜ、そう思う?」


 聞き返す田山の目は、理恵子の方に向けられている。

 ほぼ同時に、しゃがみ込んでいた誠司が何かを口に入れた。だが、浩市と田山はその動きに気づいていない。

 一方、理恵子は不敵な表情で答える。


「あたしらは、あんたの顔を見てしまった。あんたが何をしたかも知ってる。あんたが五億円を持って高飛びする気なのも知ってる。知りすぎちゃったわけだよね。だから、死んでもらうしかない……ありがちなパターンだよ。でも、そう上手くいくかなあ」


「んだと──」


 田山が言いかけた時だった。突然、彼女の横にいた者が動く──


「ざけんじゃねえぞ!」


 吠えると同時に、誠司は襲いかかっていった。恐ろしい形相で、拳を振り上げ飛びかかっていく。その瞳孔は完全に開いており、尋常ではない勢いだ。

 次の瞬間、銃声が鳴り響いた。浩市は、思わず目を逸らす。弟は死んだ……真っ先に浮かんだのは、その思いだった。

 しかし、誠司は生きていた。それどころか、銃声などお構い無しに拳を振るう。そのパンチは、田山の顔面に炸裂した。

 直後、またしても銃声が鳴り響く。言うまでもなく、田山の手にした拳銃だ。しかし、誠司は怯まない。さらにパンチを放つ。何の技術も何もない、チンピラの繰り出す大振りパンチだ。しかし、拳は顔面に当たっている。

 田山は顔を歪めつつ、さらに拳銃を撃つ。銃声が鳴り、弾丸は誠司の体に当たった。しかし、猛り狂う誠司は止まらない──


 誠司は、大量の覚醒剤を一気に飲み込んだのだ。一歩間違えれば、効きすぎて意識を失っていたかもしれない量である。だが、薬物に耐性のある彼は意識を保っていた。それどころか、凶暴化し襲いかかっていったのだ。

 興奮状態にある人間は、痛みを感じにくくなっている。ましてや、今の誠司は覚醒剤の影響により、心も体も常軌を逸した状態になっていた。小口径の拳銃で撃たれたくらいでは、その勢いは止められないのだ。暴れているヤク中を制するため拳銃を撃ったものの、勢いを止められず逆に殺された警官の例は枚挙にいとまがない。

 今も、田山の撃った弾丸は、全て誠司の体に命中している。体からは、血も流れていた。にもかかわらず、その勢いを止めるには至らなかった。

 それどころか、誠司は自身が撃たれたことにすら気づいていないらしい。薬物のもたらす凶暴さが、恐怖や痛みを完全に消し去っていたのだ。

 その凶暴さに任せ、なおも田山を殴り続ける──


 だが、田山もやられっぱなしではいなかった。殴られながらも、さらに拳銃のトリガーを引く。ここまで近い距離なら、外しようがない。銃弾は、誠司の体を貫いていく。

 これで、何発当たっただろうか。体には複数の傷が出来ており、血が流れている。にもかかわらず、誠司は両拳を振るい続けているのだ。その様は、中世の狂戦士そのものだった。狂ったように動き続けている──


 だが、数秒後に誠司の動きが止まった。銃弾や出血によるダメージが、ようやく体に現れたのだ。直後、その場に前のめりで倒れる。

 田山は、荒い息を吐いた。彼も鼻血を流しており、唇も切れている。それでも、とどめを刺すべく頭に狙いをつけた。

 そこで、ようやく浩市も動き出した。立ち上がり、猛然と田山に襲いかかる。

 田山は、慌てて彼に銃口を向けた。が、既に遅かった。

 浩市は、誠司よりも体重がある。その上、日頃から鍛え抜いていた。習慣化していたトレーニングの成果を、皮肉にもこの局面で出すこととなってしまったのだ。

 体重を拳に乗せ、思いきりぶん殴る。その一撃は、田山の顔面に炸裂した。八十キロを超える体重を全て載せたパンチだ。誠司のそれとは、威力からして段違いである。

 田山は、そのパンチをまともに食らってしまった。耐えきれず崩れ落ちる。しかし、浩市は止まらない。倒れた田山に馬乗りになり、なおもパンチを振り下ろす──


「てめえ! 俺たちを裏切りやがって! このクソ野郎が!」


 喚きながら、なおも殴り続ける。さらには、髪を掴み頭を地面に叩きつけた。裏切りに対する怒りが、浩市を凶暴化させていた。

 もはや、田山は抵抗すらできなくなっていた。何をされても、反応すらしていない。にもかかわらず、浩市は攻撃をやめない。田山の髪を掴み、地面に叩きつける──






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