三日月エスケープ

SACK

三日月エスケープ

ポケットに手を入れながら夜空を見上げた。

冷たく、澄んだ空気が体を包む。

歩き慣れた道の上には、ほっそりとした三日月が浮かんでいる。

あれから何度目の三日月だろう。

こんな夜はいつだってあの人のことを思い出す。


仕事で盛大にミスを犯し、自分に嫌気がさして引きこもっていた週末。布団にくるまりながら、SNSを見ながら時間をただ溶かしていると、友人のユカからLINEが入った。

「今夜久し振りにBLUE LANDどう?好きなDJが来る!」

BLUE LANDとは六本木にあるクラブだ。

そこまで音楽もアルコールも好きって訳でもない、むしろ大音量で流れる音楽や煙草の煙は苦手な部類だが、ユカの付き合いで時々一緒に遊びに行っていた。

今日は出かける予定は入れていない。冷房をガンガンに効かせた部屋で、スマホを弄って1日を終了させる予定だった。正直家を出るのは億劫だったが、今の精神状態を打破するにはクラブは結構最適な場所かもしれないと思い「OK」という文字を持つ可愛いうさぎのスタンプを返した。


シャワーを浴びて、化粧をした。

髪は緩くポニーテールにし、スキニーデニムに手を上げれば腰回りが露出する短めのノースリーブを合わせた。二十代後半という年齢も考慮し一応その上から薄手のカーディガンも羽織った。

ユカと駅で待ち合わせをし、久々に六本木の街を歩いた。どんなときでもこの街は賑やかで、本当のことなんて誰にも分からないけど、通り過ぎる人々はみんな自分よりも楽しそうな人ばかりだ。あまりの眩さにまだ一滴もアルコールを飲んでいないのに、既に目眩がする。

「エリナ、クラブ久し振りだよね」

「年明けにユカと来た以来だよ」

「そっかー!今日は飲もうね」

いつになくハイテンションなユカを見て、少しずつ元気を取り戻す。

セキュリティに身分証を見せて年齢確認を済ませ中に入ると、アルコールと煙草の煙の入り混じった独特な香りが鼻腔をくすぐる。鼓膜にダイレクトに響く爆音には未だ慣れない。

「お酒買いに行こ!」

ユカとはぐれないように手を繋ぎ、人を掻き分けバーカウンターまで進む。ハイボールを頼んだユカに続き、ピーチフィズを頼んだ。アルコールはあまり得意ではないが、このカクテルはさっぱりとしていてほのかに香る桃の風味が美味しい。

「かんぱーい」

プラスチックのカップを合わせ、気分を高めるために一気に喉奥に流し込む。熱帯夜で熱った体をカクテルが急速に冷やしてくれた。

「私が好きなDJの出番、24時からだからあとちょっとだ。もうDJブースの前行っといていい?」

そもそも返事を聞く気もなかったユカに手を引っ張られ、一段上にあるDJブースの目の前に辿り着いた。

「ちょっと、近すぎて気まずくない?」

「いいのいいの」

薄暗い室内の中で、その空間にだけ唯一スポットが差している。1人の男が煙草を口にくわえながら、素人からすると訳の分からないボタンのたくさん付いた機械を弄り、音を奏でている。

緩いパーマのかかった髪に無造作にヘッドフォンがかけられ、Tシャツから覗く長い腕は手首に三日月のタトゥーが刻まれている。

こんなにも多くの人に囲まれているというのに、彼の世界には誰もいない。瞳には何も写さず、音だけに没頭しているような、そんな感じがした。

くわえていた煙草を灰皿に捨てる瞬間ふと目が合った。切長の二重瞼で、一瞬だったがその姿から目が離せなくなった。

「ねぇ、この人なんて名前か知ってる?」

退屈そうに隣でハイボールを飲んでいるユカの耳元で尋ねる。

「分かんない。名前書いてなかったから無名の人じゃない?」

ゲストで呼ばれるような有名なDJの名前はSNSに載っているが、場繋ぎのような無名のDJは名前すら載らないことが多い。

「そっか…」

だが、カスタムする彼のテクノポップは華やかさもありどこか心地よさもある。

「何?エリナ、タイプなの?」

「いや、…ただ音がいいなと思って」

もっともらしい返事で誤魔化し、本心はピーチフィズと共に飲み込んだ。

24時になりユカのお目当てのDJが登壇した。

さっきとは比べ物にならないくらいの声援が湧き、割りと空間があったスペースもいつの間にか満員電車並みの密度となっている。

滑らかに音楽が繋がれてバトンタッチをするように、三日月の男が去っていった。

去っていく後ろ姿を暫く目で追ったが、人混みに飲まれもう見当たらない。

「私、飲み物買ってくる」

「え?」

歓声と音楽と、ハイになったテンションで聞こえなくなっているユカに残り少なくなったコップを見せつけ、人混みを縫うようにバーカウンターまで逃げ出した。

有名なDJのお出ましでバーカウンターには誰もいない。バーテンダーに2杯目のピーチフィズを出してもらい、スツールに腰をかけ視線だけでユカを探した。恐らく最前列でハイボールを高々と掲げ踊っているあの後ろ姿がユカだろう。

あんなにはしゃげるのって正直羨ましい。

ため息混じりにピーチフィズを飲み込むと、隣のスツールに誰かが座る気配を感じた。

こんなに大盛り上がりの中バーカウンターにくる変わり者は誰だろう、と振り返る。

「あっ…」

出番の終わった三日月の男だった。さっきはかけていなかった薄いフレームの眼鏡をかけ、隣でビールを飲んでいる。

DJをしていた時からクールな印象だったが、眼鏡をかけたことによってより知的さが増し、一層近寄り難くなった気がする。

つい長い間見つめてしまったか男と目が合ってしまった。

「1人で来てるの?」

男性にしては少し高めな、透き通るような綺麗な声だった。こちらが見つめていたのが明らかに先なのだが、突然話しかけられて動揺してしまう。

「いや、あの、友達と2人で。まぁあれなんですけど」

戻って来ない友人のことをなんとも思わないのか、ユカはまだ最前列で盛り上がっている。

「盛り上がってるね」

クールな表情が少し綻んだ。

「あの、めちゃくちゃ良かったです。音が心地いいっていうか…」

少しでも会話を伸ばしたくて、通ぶったことを言ってみる。これで深いところまで掘り下げられたら俄だとバレるな…と内心ヒヤヒヤしながら。

「ありがとう。まぁ、俺なんてただの繋ぎだけどね」

呆れたように笑い、三日月の描かれた手首が髪をかき上げる。

「いつもここでDJやってるんですか?」

尋ねた声は、流行りの音楽で一層盛り上がりを見せたオーディエンスにかき消された。

男はスツールから立ち上がると、エリナの耳元に顔を寄せ「一回外出ない?」と提案した。


「いつもここでDJやってるんですか?」

六本木は深夜でも外は十分賑やかだが、会話が成立しない室内とは大違いだ。ガードレールに腰掛け、さっきかき消された質問を改めて聞き直す。

「今日は友達の代わり。そもそも俺、趣味程度だからさ」

「そうなんですね。趣味なのにあんなに出来るもんなんだ」

「まぁね」

「あ、名前って…」

「カイト。そっちは?」

「エリナです」

ふーん、と興味なさそうに呟かれる。

会話が途切れ、少し気まずくなり外に出る前にカイトに奢ってもらったピーチフィズを一口飲んだ。目の前の通りには、日本人と同じくらいの割合で外国人が目の前を行き交っている。

「友達、置いてきちゃって大丈夫?」

「あぁ…彼女、今やってるDJの人が目当てで来てて。だからしばらくはほっといて大丈夫」

薄暗くてあまり見えなかったが、煌々と輝く街の明かりに照らされてカイトの横顔がはっきり目に映った。鼻筋は真っ直ぐに通っていて、顎から耳にかけてのフェイスラインが綺麗だ。顔が小さいせいで圧迫感はないが、背は170センチ後半ぐらいはありそうだ。

「あんまクラブとか好きじゃないでしょ?俺もそうだから分かる」

真っ直ぐ通った鼻先がこちらを向く。眼鏡のレンズがネオンを反射し鮮やかに光っていた。

「うん、実は。最近仕事でミスって今日は憂さ晴らしで久し振りに来ただけで。てかDJやってるのにカイトさんもクラブあまり好きじゃないんですか?」

「陰キャだから基本クラブとかで盛り上がってる陽キャが苦手なんだよね」

DJブースにいたカイトは見惚れるほどその場にハマっていたというのに、どんどん出てくるネガティブな発言に思わず笑ってしまう。

「意外。そんな風に見えなかった」

笑いながらカイトはデニムのポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出した。慣れた手付きで火をつけ、深呼吸するように煙を肺に入れる。煙草を挟む指先とその手首に再び視線が奪われる。

「ねぇ、手首見せて?」

「これ?」

細身だが、男らしく関節の太い手首が差し出される。真っ白な手首に控えめな三日月がとても映えていた。

「何で三日月?」

「なんとなく。好きだからかな。満月より三日月の方が」

「私も三日月好き。そういえば三日月のアクセサリー何個か持ってるな」

形のいい唇がにこりと笑う。

かっこいいな…単純にそう思う。酔いも回ってきたせいか、カイトをずっと見つめることに対して何も思わなくなっていた。美術館で絵画をずっと見つめるように、綺麗なカイトの顔をずっと見つめていたかった。

「仕事、行くの嫌だろうけど。まぁお互い頑張ろうぜ」

カイトはコップに少し残っていたビールを一気に飲み干した。そしてガードレールから徐に立ち上がると何の躊躇いもなくキスをしてきた。

「えっ…」

アルコールのせいと、突然のキスのせいで頭が全く働かない。そのまま暫く近い距離で見つめ合うと、カイトはニコリと笑ってまたクラブの中へ戻っていった。

外国人がする挨拶のようなさりげないものだったが、カイトの唇の感触がはっきり残って離れない。

「Hey!how are you?」

どのくらい動けなくなっていただろう。知らない外国人にナンパなのかよく分からないが声をかけられ、我に帰った。

外国人には笑って誤魔化して、ふらつく足でクラブの入り口に向かった。せめて連絡先くらいは聞きたい。セキュリティに手の甲に押されたスタンプを見せ、人混みの中からカイトを必死で探した。

クラブが苦手なカイトが盛り上がっている中にいるはずがない。背も高いし、きっとすぐ見つかるはず。でもどこにもカイトの姿は見当たらない。

「エリナ!!良かったーお持ち帰りされちゃったのかと思ったー!」

その時、更にテンションを上げてきたユカが知らない男を引き連れて戻ってきた。

「一緒に飲もうって言われたの。奢ってもらおー!」

見失ったカイトがそのまま出て行ってしまいそうで出口から目を離したくなかったが、ユカに強引にバーカウンターに連れ戻され、さっき仲良くなったという男二人と仕方なく乾杯をした。

結局そのままカイトは見つからず、帰宅してからもSNSで「DJ kaito」など関連したワードで探しまくったが何も手がかりは見当たらなかった。

また会えるかと思い、何度かBLUE LANDにも足を運んだが会うことはなかった。


それからしばらく経っているというのに、空に三日月を見つけるとカイトのことを思い出す。

見惚れてしまうほど綺麗な横顔と、白い手首に浮かぶ小さな三日月。

突然すぎて目を瞑ることも出来ず、目を開けたまま受け止めたキスの感触。

「はぁ…」

白くなったため息が空に向かって登っていく。

せめてこの三日月を、カイトもどこかで見上げてたらいい。と視線を戻し再び歩き始めた。



END

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