第128話 天秤座のヴァーゲ

 くーちゃんに情けなく泣きついた後、アタシは恥ずかしくなって一人で散歩に出かけた。


 くーちゃんをあの家に閉じ込めておいてどうして泣き顔なんて晒す事が出来たのだろうと、自己嫌悪に陥る。


 けど、これはアタシがやらなくちゃいけない事だ。アタシ以外の他に誰が出来る? 深紅には無理だ。あいつは甘いから、こんな手段取れるわけが無い。


 本気で守るなら、守り抜くなら、こうしなくちゃいけないんだ。


 アタシはあの日、くーちゃんを守り抜くって誓ったんだ。


 あまり家から離れないようにして、アタシは砂浜に座りこむ。あの家からこの海は近い。少し歩けば、夜の月を水面が歪める黒く広い海が広がる。


「やぁ、良い夜ですね。シュツェ」


「――ッ!!」


 突然かけられた声。その声をアタシは知っていて、絶対に聞きたくない声だという事を十分に理解していた。


 飛び跳ねるように立ち上がり、即座に戦闘モードに入る。


 普段着から戦闘衣装に変わり、左手に持った弓に矢を|番(つが)える。


「ヴァーゲ……ッ!!」


「お久しぶりです、シュツェ。元気そうで何よりです」


「黙れ!! 貴様、何しに来た!?」


「おや、そんな分かり切った事を聞くのですか? 私の……いえ、あの方・・・の望む者など、貴女ならすでに理解しているのではないですか?」


「……ッ!!」


 とっさに、アタシは家の方を見る。音、光の変化、そのどれをとっても家に変化は見られない。


 襲撃は無い? あの子・・・に限って? 


 困惑、次いで疑念。


 アタシは視線を家から外してヴァーゲを見る。


 ヴァーゲは変わらずアタシの前に悠然と立ち、薄らと気味の悪い笑みを浮かべている。


「……何が目的?」


「目的ならはっきりしているでしょう? 彼ですよ」


「なら、さっさと襲撃をするはず。貴方一人で来た意味が分からない」


 逃げるだけなら、ヴァーゲに捕まる事は無いだろう。例えくーちゃんを背負っていても、それは変わらない。


 アタシが本気で逃げに徹すれば、ヴァーゲ一人ではくーちゃんを捕獲する事は出来ない。それは、ヴァーゲ本人も良く分かっているはず。なのに、何故……。


「今日は挨拶だけですよ。ほら、心の準備が必要でしょう? 最愛の人との別離になる訳ですから」


「……そうはさせない。くーちゃんは、アタシが――」


「おや? 震えてますよ? 大丈夫ですか?」


「――ッ!!」


 薄ら笑いと共に放たれた言葉に、アタシは何も考えずに矢を放っていた。


 それは、相手を倒したいからではない。相手の気を引くためでも、相手を欺くためのフェイクでも、なんでもない。


「おや危ない……が」


 ヴァーゲはさして危機感を覚えた訳でもなく、矢を掴む――事も無く、アタシの放った矢はヴァーゲの前で突然停止をし、そのまま重力に従って地面に落ちる。


「私には、生憎あいにくと意味が無い」


「――ッ、相変わらず卑怯な力……!!」


「卑怯とは失礼ですね。私の力ほど公平なものはありませんよ?」


 にこにこと薄ら寒い笑みを浮かべ続けるヴァーゲ。


 そうだ。こいつの能力は公平だ。だからこそ強く、だからこそ……。


「……挨拶って言ったわよね? なら、もう帰って」


「ええ、そのつもりですとも。それでは、失礼いたしますね」


 ヴァーゲは一つ礼をして、悠然と砂浜を歩いていく。


 アタシはその背中をずっと睨みつける。あいつがいなくなるまで、あいつが見えなくなるまで、ずっと、ずっと……。


「っはぁ……」


 ヴァーゲの姿が見えなくなったところで、アタシは大きく息を吐く。変身が解け、アタシはいつものアタシに戻る。


「……くそっ、震えるな……っ!」


 震える身体を思い切り引っ叩く。けれど、身体の震えが止まる事は無かった。


 仕方ないので、震えが収まるまでアタシはその場に座りなおした。


 暗黒十二星座ダークネストゥエルブが一人、天秤てんびん座のヴァーゲ。恐らく、暗黒十二星座ダークネストゥエルブ最強。いや、純粋な戦闘能力で言ったらレーヴェの方が上だし、実力としてはツィーゲやヴィダーと同じくらいだろう。


 けれど、アタシ含めてその誰もがヴァーゲには勝てない。あいつは、ヴァーゲは、そういう風に出来ているのだ。


 深紅でも、くーちゃんでも、あのヴァーゲには勝てない。それほどまでにあいつの能力は規格外なのだ。


 だから、アタシでもヴァーゲには勝てない。ヴァーゲからは、逃げる事しか出来ない。


 勝ち筋の見える相手ならまだ良い。レーヴェとも戦おう。クリムゾンフレアだって倒す。ファントムも、ヒーローも魔法少女も、全部蹴散らす。


 けれど、ヴァーゲだけは無理なのだ。意気込みや気合でどうにかなる相手じゃない。あれは、元より同じ土俵で戦っていないのだから。


 逃げ続けるしかない。くーちゃんと一緒に、誰の手にも届かない場所に、逃げ続けるしかない。


「準備しなくちゃ…………っ!?」


 立ち上がろうとし、けれど、足腰に力が入らない。


 立てない。その理由を、アタシは良く分かっていた。


「情けないなぁ……本当に…………っ」


 情けなくて、一度は引っ込んだはずの涙が出る。


 そのまま膝に顔を埋めて、涙を流す。


「ダメだなぁ、アタシは……っ」


 泣き止むまで、アタシは砂浜で座り込んだ。


 この感情を無視するには、アタシは強くは無かった。


「ごめんねっ、くーちゃん……」


 アタシ、やっぱり弱いままだった……っ。



 〇 〇 〇



「――っ!?」


 私と愛しのお姉様の通う学校――残念ですが教室は違いますわ。だって学年が違いますもの! キーッ!!――の私のクラスにて、私は授業中にもかかわらずいきなり立ち上がってしまいましたわ。


 がたりとお下品に椅子が音を上げますけど、許してくださいまし! なんたって一大事! 


「ど、どうした、蛛形?」


 授業を担当していた先生が困惑した顔で私を見ますわ。けれどごめん遊ばせ、一大事なんですわ!!


 なんで私は授業を受けているのでしょう! ああ、それもあの忌々しい和泉深紅の告げ口のせいですわ!!


 彼奴きゃつ曰く――


『因みに、成績悪い人はちゃんと学校行って授業を受けて貰うつもりだ。蛛形さんの成績は? え、オール五? 本当に? 戦さん、それ本当? あ、やっぱり嘘なんだ。本当は二と三なんだね。戦さんはオール三なの? んー、じゃあ、二人ともちゃんと学校行こうか。黒奈の事を気にかけてくれるのは嬉しいけど、そのために留年とかになったら黒奈が気にするし。え、俺の成績? 俺はオール――――』


 ――回想終了ですわぁっ!! なんですのあの完璧超人は!! オール五とか聞いた事無いですわ!! 嘘ついてるんじゃありませんの!? ええ知ってますわよ嘘じゃないって!! だって通知表見せて貰いましたもの!! ってそんな事ぁどうでも良いんですわ!!


「先生、私ちょっと急用を思い出したので失礼いたしますわ」


「きゅ、急用? えっと、それは今じゃなきゃダメなのかい?」


「ダメですわ。即、この場を離脱しないといけないのですわ!! という訳で、失礼いたしますわ!!」


「え、ちょ、蛛形さん!?」


 鞄を掴んで勢いよく教室を飛び出しますわ! おほほっ、私の華麗なるステップに誰もついて――


「ふげっ!?」


「蛛形さん!? すっごい盛大に転んだけど大丈夫!?」


「だ、大丈夫ですわ……ご安心なさってくださいまし!!」


 気を取り直してクラウチングスタート。脳内で空砲が鳴り響きますわ!!


「それではさようならですわぁ~~~~~~~~~!!」


「あ、ちょっ、せめて理由を!!」


「腹痛で祖母が危篤で路上で困ってる子供が居て世界が滅亡の危機なのですわ~~~~!!」


「そんな分かりやすい嘘で誤魔化されると思ってるのかな!?」


 先生の悲痛な叫び声が聞こえてきますが、今日は無視しますわ!! 先生や私の成績よりも、今はお姉様ですわ!!


 |逸(はや)る気持ちを抑えながら、私は階段を上って二年の教室に向かいますわ。本当なら一人ですぐにでも行きたいところですが、それをすると怒る怖いお方が居ますの!!


 目的の教室にたどり着き、私はばばーんと華麗に登場しますわ!!


「乙女先輩!!」


 ばーんと勢いよく扉を開けたので、教室中の方々が驚いたように身を震わせますわ。あら、ごめんあそばせ。


「え、ど、どうしたんだ? 今は授業中だろう?」


「そんなことはどうでも良いのですわ!!」


「授業はそんな事では無いと思うが!?」


 先生の言葉を無視して、私は乙女先輩に言い放ちますわ!


「乙女先輩!!」


「な、何よ。どうしたの?」


「見つけましたわ!!」


「――っ」


 その一言だけで、乙女先輩には充分通じたみたいですわ。


「先生、私早退します!」


「え、どうしたんだ急に?」


「腹痛で祖母が危篤で路上で困ってる子供が居て世界が滅亡の危機なんです!!」


「最初以外もろに嘘だって分かるんだが!?」


「ともかく早退します! 今日女の子の日でかなり重めなんで!!」


 鞄を引っ掴んで、乙女先輩は恥ずかしげもなく先生に言ってのけます。


 そう言った話題に耐性が無いのか、先生は少し挙動不審になり、ついでにクラスの男子達もかなりの数が挙動不審になりますわ! このクラス不審者ばっかりですわね!! 大丈夫ですの!? お姉様が心配ですわ!!


「行くわよ美針!」


「はいですの!!」


 私達二人は教室を後にして昇降口まで向かいます。


「美針、見つけたって黒奈の事で良いのよね!?」


「それ以外誰が居ますの? 私がこの世で探し求めるのは黒奈お姉様以外存在しませんわ!!」


「ああ、そう! あんた黒奈に嫌われないように自重しなさいよ!」


「乙女先輩こそ、お姉様に愛想尽かされないように気を付けてくださいまし!」


「ふふっ、まさか!」


 私の言葉に、乙女先輩がおかしそうに笑う。


 そして、今まで私でも見る事のなかった良い笑顔を浮かべて、得意げに笑いながら言った。


「あいつが誰かに愛想尽かすとこなんて想像できないわよ!」


 その言葉に、私はああと思わず納得してしまいましたわ。


「確かに、お姉様が誰かに愛想を尽かせるなんて、想像できませんわね!」


 私達は笑みを浮かべながら学校を飛び出す。


「待っていてくださいましお姉様! 愛しの美針が今お迎えに行きますわ~~~~~~~~~~!!」


「その前に和泉くんに電話でしょうよ! ああこら! 勝手に突っ走るな!! ちゃんと場所とか教えないよ!! この……!! 美針――――――――――!!」


 乙女先輩のお小言を流して、私は走りますわ!!


 待っていてくださいまし、お姉様!! 今美針が感動的な再会を果たしに向かいますわ~~~~!!

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